第三話 背後から魔法を喰らって死ぬことになる。
ローレンが伝令を送り出してから、三日後の夕刻。
夕陽を背に、三輪の荷車が街道を東へと走っていた。
荷車とは言っても、それを牽く馬の姿は見当たらない。
LV―03 コードネーム『山猫』。
それは輝鉱動力を搭載した兵員輸送用の小型車両。
……と、いえば聞こえは良いが、実際のところは荷車を改造して作った急造品であり、軍用としては些か頼りない。
輝鉱石と相性の悪い鉄の使用は耐久性を求められる車軸などのごく一部に留め、部分的に銅板で補強されてはいるものの、全体的にはほぼ木製。
車輪が三輪であることを除いてしまえば、御者台の後ろに荷台がくっついたその造形は、荷車以外の何者でも無い。
当然、車輪も木製で、クッション性などかけらも有るはずは無く、ついた渾名は『ケツ殺し』。
速度だけが取り柄の不良品であった。
御者台に座っているのは女性。
年の頃は二十代の半ば、肩の位置で綺麗に切り揃えられた黒髪に丸眼鏡。
この国の正規の軍装である赤いプリーツスカート、胸元にフリルをあしらった白いシャツに紺のブレザーを一寸の乱れも無く纏って、いかにも堅苦しそうな雰囲気を漂わせている。
「しかしシュゼット中佐……いくら陛下の勅命だとはいえ、シュバリエ・デ・レーヴル様の再来というのは、流石に眉唾が過ぎませんか?」
彼女は両足の間から伸びる一本の操縦桿で、車体を巧みに操りながら、背後の荷台にいる人物へと問いかけた。
「そこは話半分に聞くべきだろうな、ラデロ。ただ……強大な魔力を持つ男というのは、興味深いとは思わないか?」
応じたのは、荷台の柵にもたれ掛かって胡座を掻いている二十代の女性。
腰まである長い銀髪が、夕陽の煌めきを纏わりつかせて風に靡く。
面相筆でスッと引いただけの線一本で描ける様な糸目。
別に笑っている訳では無いのだが、その表情は、まるでにこやかに微笑んでいるかの様に見えた。
「ええ、それはまあ……そんなものが実在しているとすればですけれど」
二人を乗せた小型車両は、時速三十キロ程で砂埃を巻き上げながら疾走している。
ろくに整備もされていない田舎道を、上下左右と盛大に振り回されているというのに、二人は舌を噛みもせず、平然と話を続けている。
彼女達の尻の下では黒鉄色の丸い板が、車両の振動を吸収してゼリーの様にプルプルと震えている。
それは良く見れば、鉄製の円盾であった。
「ラデロ、その何とかいう子爵の領地はもう近いのだろう?」
「ヨーク子爵です中佐。お願いですから、到着するまでには覚えてくださいね」
「……善処はする。とはいえ到着する頃には陽も落ちているだろう。領内に入ったらどこかに宿をとって、訪ねるのは明日にしよう」
「どうしてです? マルゴット伯爵家の長女であらせられる中佐はもちろん、私でさえ爵位は上、ましてや陛下の勅命に従っての訪問です。それなりに歓待していただけるのでは?」
ラデロのその問いかけに、シュゼットは思わず苦笑する。
「ラデロ、君のその実直さを私は好ましいとは思っているが、この場合それはあまり上手く無いな。要塞を出る前に、その何とかいう子爵家……」
「ヨーク子爵です」
「そう、その何とか子爵家と交友のある家の子女を募って、情報を集めてみたのだが、これがまあ……見事なまでに惨憺たる評価だったよ、んんっ……」
シュゼットは仰向けに身体を反らせて大きく伸びをする。
「特にジョルディという男については、誰にどう聞いても同じ答えだ。『野心ばかり強いが、実の伴わない小物』だとね。そんな男なら、女王陛下の勅命でその少年を迎えに来たと告げれば、ここぞとばかりに値打ちを釣り上げようとすることだろう。私が個人的に興味を持ったことにして、引き渡しを求めるが、それでも交渉が必要になる可能性がある。そんな相手に一宿一飯の借りをつくるのかい?」
「そんなの恫喝してやれば良いじゃありませんか」
「そんな事を言っていたら、いつか君は背後から魔法を喰らって死ぬことになるぞ。賭けたっていい」
「…………」
ブスッとした表情で、返事も返さなくなった副官の背を眺めて、シュゼットは大袈裟に肩を竦めた。
◇◆
翌朝――
「うえっぷ……ラデロ……もっとゆっくり走ってくれ」
「……自業自得です。中佐」
ラデロは背後にちらりと眼を向け、そして深く溜息をついた。
荷台の上には、口元を押さえたまま、蒼い顔でぐったりとしているシュゼット。
昨夜、ヨーク子爵領内に入ってすぐ宿をとったのだが、シュゼットは「部下達の眼を気にせず、飲める機会など滅多に無い! 今夜は飲むぞー!」と、いきなり羽目を外し始めた。
ヨーク子爵領の名物だという、燻製うずらを頬張りながら、次から次へと葡萄酒を空けていく彼女の姿に、ラデロは『まあ、こうなるだろう』とは思っていた。
二日酔いで、クッション性のかけらも無いこの車両に乗ろうというのが、そもそも間違っているのだ。
輝鉱動力がバタバタとけたたましい音を立てて、みすぼらしい牛舎が立ち並ぶ一角に差し掛かると、身なりの貧しい者達が表に飛び出して来ては目を丸くする。
ヨーク子爵領は国境からさほど離れていない辺境地。
確かに、ここまで田舎であれば、輝鉱動力を積んだ車両など目にする機会も滅多にないのだろう。
「ヨーク子爵の屋敷は、もうそこですから我慢してくださいよ」
「うう……」
呻くばかりのシュゼットに、ラデロは小さく肩をすくめて、小高い丘の上に立つ赤い屋根の屋敷へと目を向けた。
◇◆
穴だらけの壁から差し込む朝日が、飼葉の散らばった土床に、歪な水玉模様を描き出している。
牛舎の脇を走る街道を、バタバタとけたたましい音を立てて何かが通り過ぎ、少年は思わず手を止めた。
「なんだ?」
だが、特に外を覗きにいくわけでもなく、少年はすぐに作業を再開する。
牛舎特有のどこか甘ったるい悪臭が漂う中で、少年はこぼれ落ちた飼葉を熊手で掻き集めていた。
少年の年の頃は十五歳あたり。
ボサボサに伸びた黒髪が、目元を完全に覆い隠し、背丈はこの年代の男子としては低く見える。
いかにも大人しそうな雰囲気。
茶色く汚れた袖なしのシャツから覗く腕は、やせ細ってはいるが日焼けして筋張った肉体労働者のものであった。
少年がひとしきり牛たちに餌を与え終え、子牛の角の伸び具合を確認して、そろそろ角を落とすべきかと思案している頃、立てつけの悪い牛舎の扉がガタガタと音を立てた。
「ヴァン、おいヴァン!」
少年が振り返ると、そこにはいつもと変わらぬ不機嫌そうな顔をした老人がいた。
「……ジョルディ様がお前をお呼びだとよ」
「……なんで?」
「知らんわい」
ヴァンも領主の伴侶であるジョルディが、自分の父親であることは知っている。
だが物心ついた時から農奴として、目の前の老人に育てられてきた自分からしてみれば、同じ領内でも小高い丘の上にそびえ立つ屋敷に住まうジョルディなど、全く別の世界の人間でしかない。
もちろん顔を見た事すら無い。
「……どこへ行けば?」
「外にお館のメイドがきちょる。勝手についてけ」
前歯の抜け落ちた日焼け顔を不機嫌そうに歪めながら、老人は扉の方へ顎をしゃくる。
育ての親だとはいえ、同じ農奴の間でも偏屈ジジイだと皆に避けられている老人の、いつもにも増して不機嫌そうな様子に、ヴァンは思わず肩を竦める。
それこそマゴマゴしていては、怒鳴り散らされるに違いない。
熊手を柵に立てかけると、ヴァンは老人の脇を通り抜けて牛舎の外へと歩み出た。
そこには褐色の肌をした小太りのメイドが一人、身じろぎ一つせず立っている。
彼女はヴァンの姿を見るなり、あからさまに顔を顰めた。
相手が同じ農奴でも無い限り、ヴァンに向けられる目つきは大体こんなものだ。
いちいち気にしても仕方が無い。
ヴァンはシャツの裾をまくり上げると、それで頬を滴る汗を拭った。
「何の用です?」
近づいてそう問いかけると、メイドは一層顔を顰める。
肉のたるんだ頬がぴくぴくと動いた。
お屋敷で生活する人間にしてみれば、牛糞に塗れて働く農奴の臭いは流石にキツいのだろう。
「……ジョルディ様がお呼びでございます」
「うん……それはさっき聞い……聞きました」
「今、お屋敷にはとても、とても大事な来客がいらっしゃっています。あなたの事はこれから坊ちゃまとお呼びしますので、何も喋らず話を合せてくださいませ。いいですね」
「坊ちゃま?」
「ええ、あなたは何も喋る必要はありません。ただ話を合せてくだされば良いのです。ついて来てくださいませ」
戸惑うヴァンを冷たい目で一瞥すると、メイドはくるりと背を向けて街道に止めてある馬車の方へと歩き始める。
「御屋敷に着いたら、まずは身なりを整えていただきます」
言われるがままに、少年はメイドの後について歩き始める。
老人はその背中を、売られていく子牛を見る様な目で眺めていた。