第二十四話 ライトニング・スナイプ
抜ける様な夏空を、縦に一本の光が滑り落ちた。
稲妻の様に、特に大きな音を立てる訳でも無ければ、流星の様に尾を引く訳でもない。
それはただ、静かに、静かに、音も無く滑り落ちた。
城壁の上からその行く末を目で追って、シュゼットはすぐ隣に控えているロズリーヌへと問いかけた。
「どうだ?」
「距離1200。命中。ミリ単位のズレもありませんわ」
ロズリーヌの瞳の中には、茨の様な文様が浮かび上がっている。
彼女の展開している魔法『鷹の目』の視野の中では、マルゴ山脈の中腹にある実践訓練場、そこに設置された人の形をした模型が映し出されている。
直上から見下ろす視野の中で、デコイの頭部中央には黒い点の様なものが見えた。
それはコイン一枚ほどの大きさの黒い穴。
穴の周囲は溶けてプスプスと赤く熾っている。
――デタラメだ。
シュゼットは思わず眉間に皺を寄せる。
1200メートルの距離で、ミリ単位の狂いもないだと?
少し離れた位置で、片手を掲げて、魔法を発動させた態勢のまま立っているヴァンへと目を向ける。
「ヴァン。体調はどうだ、どこかおかしなところは無いか?」
「……だ、大丈夫です」
「これはテストだからな。我慢する必要など何もない。むしろ問題点があるならば、この機会に洗い出しておいた方がいいぞ」
「いえ……本当に大丈夫です。もしかしたら、いつもより体調がいいかも……」
そう言って、珍しく少年は不器用にも微笑む。
シュゼットが口にした通り、これはテスト。
今朝、発現したばかりの、ヴァンの魔法の実地テストである。
城壁の上にはシュゼットとラデロ、リュシールといった幹部達と、第十三小隊の面々が顔を連ねている。
ノエルとの接吻の結果、すでに彼の中に宿っていた『眼』の魔法と、ノエルの『光』の魔法が混じりあって、系統分類のどこにも当て嵌らない新たな魔法が、ヴァンの中に誕生していた。
ー―その名も『光弾狙撃』
1200メートル先に設置されたデコイ。
今まさに、城壁の上からでは白い点にしか見えないその頭頂部を、ミリ単位の狂いも見せずに撃ち貫いたのは、『光弾狙撃』である。
視界の範囲であればどこにでも、直上から光の槍を降らせる事ができる魔法であった。
城壁の上は静まり返っている。
驚きのあまり声も出ないのかと思えば、そういう訳ではない。
1200メートル先に空いたコインサイズの穴など見える訳もなく、言葉だけでは、皆、実感が沸かないのだろう。
『鷹の目』で、実際にデコイの様子を見ているロズリーヌだけが、興奮気味に頬を紅潮させていた。
眉間の皺を指で解しながらシュゼットは、常識というもののは斯くも儚く崩れさるものなのかと、苦笑する。
この魔法があれば、戦場で相手の司令官だけを狙い撃つことも出来る。
誰かを暗殺ことも、息を吸う様に出来るかもしれない。
出来てしまう。
思えば、魔力を持つ男というだけで非常識なら、キスで魔法をコピーするというのも非常識。
いまさら、この少年の中で二つの魔法が混ざり合って、新たな魔法が生まれる程度の非常識に驚く方が間違えている。
そんな気がした。
「ヴァン、光と眼、それぞれの魔法は使えるのか?」
「いえ、……『光弾狙撃』だけです」
「『光弾狙撃』の階梯は?」
「……わかりません」
「わからない……か」
通常、系統魔法の所持者は、使用できる出来ないに関わらず、その系統の全階梯の知識を、最初から頭の中に刻み込んで生まれてくる。
『わからない』という回答の一点をとってみても、特殊過ぎる状況だと言えた。
シュゼットとヴァンのやり取りを他所に、リュシールが興味津々といった面持で、ロズリーヌに問いかけた。
無論、彼女が動けば胸のあたりで慣性の法則が働く。
「で、威力はどうなのぉ?」
「印象ですけれど……。ノエルさんの『光速指弾』にはやや劣る様に思えますわ。それでも薄い鉄ぐらいなら十分に風穴が空きますけど」
「もしかしたら距離に応じて、威力が変わったりするのかしらぁ? 何にせよ、分からないことだらけねぇ……」
その時、リュシールが、何かを思いついたようにポンと手を打つ。
「こうなったら、ヴァンくんにどんどんキスして貰っちゃって、どんな魔法が出来上がるのか実験してみましょう! もっと強力な魔法が出来るかもしれませんよぉ」
「あはは、それ楽しそうだね!」
ノエルが呑気に笑い、エステルとミーロが何かを言おうと口を開きかけた途端、
「ダメだッ!!!」
怒鳴り声が響き渡る。
その場にいた者全員が、思わず首をすくめる様な大音声
皆の視線を集めた先、そこには鬼気迫る表情で目を見開く、シュゼットの姿があった。
呆気に取られるような空気の中、シュゼットは我に返ると、
「あ……、いや、スマン。……ノエルとキスした時にも、ずいぶん酷い頭痛があったと聞いている。ヴァンの身体に負担があることを想定して、慎重に行うべきだろう?」
そんな風に、あたふたと取り繕った。
そんなシュゼットの様子に、顔を立てねばならないとでも思ったのか、リュシールが努めて明るい調子で口を開く。
「じゃ、じゃあ中佐、例の作戦、アレにヴァン君を投入するというのはどうですかぁ? それなら実験にもなりますしぃ……」
その言葉に、シュゼットは再び眉間に皺を寄せ、考える様な素振りを見せた。
例の作戦ーーこの後、まさに人員選抜を行う予定の作戦である。
南西50キロメートルの位置、帝国領にある丘の裏側。
昨晩、偵察飛行に出ていた『翼』の系統魔法を持つ魔女、リルとルルが、そこに帝国軍が建造中の砦を発見したのだ。
はっきり言って用途の分からない砦である。
位置が中途半端過ぎるのだ。
「前回の侵攻の時には早期決戦のつもりで、特に補給線は重視していなかったみたいですけどぉ、輜重を徹底的に焼き払われたのが堪えたのでしょうねぇ。今回は、その砦を中継地点にして、それなりに腰を据えてくるつもりでしょう」
というリュシールの意見に、ラデロは首を捻る。
「補給の中継点にするつもりにしては、距離がありすぎませんか?」
実際、シュゼットもラデロと同じ見方をした。
まかり間違って、リュシールが言うような用途であれば、鼻で笑って済ませても良い。
長い補給線など、弱点以外の何者でもないのだ。
そんな訳がない、そう思うだけに不気味なのだ。
そこで、ちょっかいを掛けてみることにした。
軍隊として堅苦しく表現してみれば、『威力偵察』ということになる。
確かに、ヴァンの魔法ならば、砦が見える位置にさえ行けば、安全に攻撃することが出来る。
相手は何が起こっているのかすら判らず、混乱を起こすことだろう。
シュゼットはあらためてヴァンの方へと眼を向ける。
「ヴァン、もう一度聞くが、本当に身体は何ともないのだな?」
「は……はい、全然大丈夫です」
シュゼットは一旦目を瞑り、深く息を吸うと、リュシールへと向き直る。
「お前に任せる。但し、安全を優先してくれ」
「もちろんですぅ。あくまで遠距離攻撃ですから。それなら危険は無いでしょう?」
「そうだな、ではどこから狙い撃つつもりだ?」
「そうですねぇ……。あのあたりは全体敵に丘陵地ですし、すぐ近くにも深い谷が走っていたり、割と複雑な地形ですが、身を隠して、こっそり狙撃するのなら、南に800メートル程の位置に森がありますぅ」
「800……近すぎないか?」
シュゼットは思わず眉を顰める。
「ですが、身を隠せる場所ということになるとぉ、そこが最適かなと……」
リュシールが上目遣いにそう言うと、シュゼットは静かに目を閉じた。
「……よかろう。では本日深夜、第十三小隊はマルゴ要塞を発、狙撃地点到着後、未明を待って攻撃を開始せよ」