第二十三話 最強魔術師の誕生
「はああああああ!?」
エステルの声が食堂に響いて、周囲の目が一斉に彼女の方を向く。
「エ、エステル准尉、声が大きいでありますよ」
ミーロが慌ててエステルに声を掛け、ヴァンは殴られるのを恐れる様に頭を抱えて身を反らした。
「で、アンタ、キスしたんだ? ふーん? そうなんだ?」
「は……はい、たぶん……そうなんだと思います」
「たぶんって何よ、たぶんって! 一瞬でも気を許した自分が腹立たしいわ。やっぱり男なんて獣よ」
「あ……あ、す、すみません」
眼を三角にして、睨み付けるエステルに、呆れてザザが口を開く。
「おいおい、問題はソコじゃないだろう?」
「そうであります。ロズリーヌ准尉に襲われたら、ヴァン軍曹にはどうしようもないであります。むしろヴァン軍曹は被害者でありますよ?」
「いや、兎ちゃん、私が問題といってるのはソコでもない」
ザザは、ヴァンの方を見遣って声のトーンを落とす。
「つまり君は今、『眼』の魔法を使えるということか?」
「は……はい。使えます」
エステルとミーロが思わず目を見開く。
「『鷹の目』が使えるでありますか!? それはスゴいであります」
「そ……そうね。なんか腑に落ちないけど、ウチの班にあの厄介な魔法を使える人間がいれば、戦術は広がるわね」
エステルは複雑そうな表情で頷くと、ザザは深刻そうに眉を顰める。
「いや……これはかなり不味い事になったぞ」
「何がでありますか?」
「気が付かないか? 『鷹の目』だぞ? 今、この少年が魔法を使ったらどうなる?」
「どうなんのよ?」
「……風呂でも、着替えでも覗き放題だ」
時間が止まった。
「なっ!?」
エステルが驚きの声を上げた後、眼を見開いてヴァンを振り返る。
途端にヴァンは、再び頭を抱えて身を反らした。
「ロズリーヌのアホ! なんてことしてくれんのよ」
「だ、大丈夫でありますよ、ヴァン軍曹はそんなことしないであります」
「兎ちゃん、そうじゃない。する、しないではないのだよ。『出来る』という事が問題なのだ」
ミーロの肩に手を置いて、ザザが静かに首を振る。
「こいつもう喉焼くか、死刑にしないと仕方ないんじゃないの?」
「やるか?」
エステルとザザが不穏な視線をヴァンに向けると、ヴァンは「ヒッ!?」としゃくり上げるような声を漏らし、ミーロが慌てて二人とヴァンの間に立ちはだかった。
「たとえお二人でも、ヴァン軍曹には指一本触れさせないであります!」
覚悟を決めたかの様なミーロの視線に当てられて、エステルとザザは思わず目を逸らす。
「冗談よ、兎ちゃん、冗談だから……」
どこか白けた様な雰囲気が漂って、エステルとザザは再びテーブルについた。
「でも、実際どうすんのよ? そのままって訳にはいかないでしょ」
すると、ザザは顎に手を当てて考え込むような素振りを見せる。
「誰かが上書きするしかないだろうな」
「キスするってこと? 上書きされれば良いけど、単純に使える魔法が増えたらどうすんのよ?」
「いや、それはないだろう。喉は一つしかないからな。回路を複数描けるようなスペースは無かろう」
二人の会話にミーロが割り込んでくる。
「なるほどであります。じゃあ、誰かがもう一度ヴァン軍曹にキスすれば良いのでありますね」
「エステル、どうだ? 一度やっているのだから二度でも同じことだろう」
途端に、エステルの顔が真っ赤に茹つ。
「ば、ば、馬鹿いわないで! お断りよ、あれは事故! ノーカンよノーカン! ああいうのは結婚してからじゃないとダメなんだから! ザザ、あんたがすればいいじゃない」
「いいのか? 私の系統魔法は『重力』だぞ。自分でいうのも何だが『重い女』だ。全力で責任を取らせるぞ? 次に彼が他の女とキスしたら、『彼を殺して私も死ぬ』と刃物振り回してる未来が見えるんだが?」
「……無茶苦茶怖い事、冷静に言わないでよ」
その時、思いつめたような表情で、ミーロが挙手した。
「じ、自分がやるであります」
「却下」
「却下だな」
問題外と言わんばかりに、二人はミーロに眼もくれない。
ミーロは小動物さながら手を振り回してジタバタした。
「なんででありますか!?」
「吸収の魔法の使い手なんて、班に二人も要らないからよ。そうなったら兎ちゃん、アンタは元々問題があって第十三小隊に配属されてきたわけじゃないんだから、他に転属させられるわよ?」
「うっ……それは……嫌であります」
ずーんと落ち込むミーロを他所に、二人はあらためて考え込む。
ちなみに、ずっと蚊帳の外のヴァンは、ちらちらと様子を伺いながら、首をすくめてお茶を啜っていた。
「ウチの班に有益な能力があって、キスすることに抵抗が無さそうなヤツ……あ!?」
エステルが何かを思いついた様に、ザザに眼を向ける。
「うむ、たぶん私も同じ人間を思いついた」
そして、二人は一斉に口を開く。
「「ノエル!」」
その瞬間、食堂の幾つか離れたテーブルから、
「あはは、呼んだ?」
と能天気な声が響いた。
◇◆
「で、ほんとに良いの? ノエル」
「あはは、全然良いよ。減るモンじゃないし」
流石に食堂でキスさせる訳にもいかず、エステル、ザザ、ミーロ、ヴァンに加えて、ノエルとベベットは地下の第十三ミーティングルームに移動した。
ロズリーヌはラデロに連行されてから、戻ってきていないらしい。
ザザはヴァンの顔をのぞき込む。
「本当に暴走することはないのだな?」
「は、はい。シュゼットさんからはそう聞いてます。ただ……よほどのことが無い限りやるなと……」
「ふむ、ならば大丈夫だ。風呂や着替えを覗かれるのは余程の事だからな」
「……覗きませんよ」
ヴァンの主張を全く無視して、ザザはノエルの方へと振り返った。
「じゃあ、ノエル。頼む」
「あはは、わかったぁ!」
薄暗いカンテラの灯りの下、椅子に座らされたヴァンがぎゅっと、眼を瞑る。
どこか必死な雰囲気が痛々しい。
他の四人が見守る中、ノエルはその正面に立つと、いつもの能天気な笑い方とは少しニュアンスの違う笑い方をした。
「あはは……っ、なんか……流石に、これは照れちゃうよ……ね」
ヴァンの顔に吐息の感触。
ノエルの唇が近づくにつれ、エステルとミーロは何か複雑そうな表情を浮かべる。
ザザはほとんど変わらない表情、ベベットは興味深々といった様子でガン見していた。
やがてノエルの唇が、ヴァンの唇に静かに触れる。
その瞬間、
「うう……!」
まるで激しい頭痛をこらえるかの様に、ヴァンは苦悶の表情を浮かべて呻き声を上げた。
苦しみに足掻く様に指で宙を掻くと、そのまま強引にノエルの身体を抱き寄せる。
そして、慌てて抵抗しようとしたノエルを力づくで抑え込んで、そのまま力強く唇を貪り始めた。
「あ、アンタ! なにやってんのよ!」
「引き離せッ!」
エステルとザザが力尽くで引き離すと、二人の舌の間を艶めかしく白い糸が引いた。
「す……す、すみません」
「すみませんじゃないわよ、この獣!」
エステルが眦りを吊り上げて、ヴァンを怒鳴りつける。
だが、ヴァン自身が驚いているのは、表情を見れば誰の目にもあきらか。
「まあ、落ち着け」
と、ザザがエステルを制止した。
ザザは、ヴァンの目線まで腰を落として顔を覗き込む。
「大丈夫か?」
「……頭が痛いです。すごく」
「そうか……で、ちゃんと上書きされたのか?」
「それが……」
ヴァンは痛みを堪える様な表情のまま、一瞬口ごもる。
そして、
「混じっちゃいました」
そう言った。