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第二十一話 紅く儚い世界の片隅で

 風が、ボビンレースをあしらったカーテンを揺らした。

  

 白いカーテンの黒い影が、赤く染まった床の上を踊っている。


 医務室の固いベッドの上で、ヴァンはゆっくりと眼を開いた。


 身体を起こして、辺りを見回す。


 誰もいない。


「夕方?」


 回らない頭で、眼の前の状況をそのまま口に出してみて、ヴァンは思わず首を傾げた。


 ふと見てみれば、拳に小さな傷。


 拳に、誰かをぶん殴ったような、そんな鈍い感触が残っている。


 ぶん殴った? 僕が?


 有り得ない。と、苦笑する。 


 でも、なんだか無茶苦茶、腹が立った。


 許せないと思った。


 そんな感情が、胸の奥に(わだかま)っているのが分かる。


 ――息苦しい。


 喉に手をやると、そこには紐のようなものが巻き付いている。


 皮のようなざらりとした感触。


 ――外に出たいな。


 ヴァンはベッドを降りると、誘われるようにフラフラと、部屋から歩み出る。風に誘われる様にフラフラと。


 外に面した壁面に手を付けて、二回角を曲がり、階段を登る。


 行き止まり。


 正面には、鉄の重そうな扉が、わずかに開いている。


 それは城壁の上へと続く扉。


 軽く押しただけで、ギィと、山鳥の鳴き声の様な(きし)み音を立てて、扉が開いた。


 赤い。


 世界は赤に包まれていた。


 斜光が、ヴァンの顔を赤く燃やす。


 帝国の方角、西の地平線。


 わずかに残ったコバルトの空を、夕陽が赤く燃やし、焦げついた部分から夜が世界を(むさぼ)っている。


 ヴァンは誘われる様にフラフラと、城壁の上へと歩み出す。


 一日が終わろうとしている。


 自分は目覚めたばかりだというのに、世界は自分を残して店仕舞いしようとしている。


 そんな気がして、誰に文句を言えばいいのかと思案した。


 無論、相手が誰であれ、ヴァンが文句など言える訳はないのだが。


 その時、


「起きたんだ?」


 背後から突然声を掛けられて、ヴァンはビクリと身体を跳ねさせた。


 油の切れた機械のようにぎこちなく首を回して、声のした方へと顔を向ける。


 赤い。


 真っ赤な陽光が(まと)わりついた紅い髪。


 まるで、それ自身が火の粉を上げて燃え盛っている様にも思える、紅い髪


 ヴァンは呆ける様に少女を眺め、少女はその視線に耐えかねた様に髪をかき上げて、ぷくっと頬を膨らませた。


「返事ぐらいしたらどうなのよ、馬鹿」


 その言葉で、急に現実に引き戻されて、ヴァンは思わず後退(あとずさ)る。


 今にも(きびす)を返して逃げ出しそうなヴァンの様子を、ジトッとした眼で見据えて、彼女――エステルはこう言った。


「逃げたら、怒るわよ」



 ◇◆



 はしたなく食堂のテーブルの上に座って、足をブラブラさせているのは、巻き髪ショートカットの天才魔女――マセマー=ロウ。


 ローレンはテーブルに肘をついて、眼を閉じている。


 シュゼットは椅子に腰を下ろして、無作法にもテーブルに足を乗せ、背もたれに身体を預けて、天井を眺めていた。


 三者三様に疲れた表情の女達。


 無言の時に耐えかねて、マセマ―=ロウが口を開く。


「とりあえずは、ロウ特製のチョーカーで、大丈夫なはずだよ」


「はず? はずでは困るぞ」


「んなこと言われても、今度はこっちが困っちゃうよ」


 天才魔女は肩をすくめる。


 二人の会話を聞くともなしに聞きながら、ローレンは窓の外へと眼を向けた。


 城壁の上、赤く燃える空を背景に、二つのシルエットが見えた。


 見張りの魔女か、非番の者が散歩でもしているのか。


「キスしても、とりあえず暴走する事は無くなったんだから、それでいいじゃん。まあ、魔法そのものも抑制されちゃうから、あの子が使えるのは第五階梯が精一杯だとは思うけど」


「魔法が使えようが、使えなかろうが、そんなことはどうでもいい! あの子の身が無事なら、それで良いのだ!」


 声を荒げるシュゼットに、マセマー=ロウは呆れた様な顔をする。


「シュゼぇ……。らしくないよ? なんであの子にそんな肩入れすんのさ」


「それは……」


 シュゼットは、じっと天井を眺めた後、あらためて天才少女に向き直る。


「あの子は……ヴァンは、もう充分に不幸な目にあってきたのだ。泥の様な世界で、一身に不幸を背負って生きて来たのだ。これ以上、神があの子の不幸に眼を(つぶ)るというのなら、私は神を信じることなど出来なくなる」


 マセマー=ロウは、ぶらぶらさせていた足をピタリと止めて、シュゼットを見据えると、ボソリと呟いた。


「じゃ。神様なんて、いないって事だよ」



 ◇◆



 エステルは、硬直するヴァンの方へと歩み寄ると、外塀の上に(ひじ)をついて、西の空を眺め始める。


「なんで、こんな所に……」


「中尉がアンタの様子見てこいって、(うるさ)いのよ」


「リュシールさんが?」


「部下思いなのよ、中尉は。で、医務室から出ていくアンタを見掛けて、追い掛けて来たのよ」


 二つに(くく)られた髪が、風に揺れた。


 ヴァンが、それをじっと見ていることに気づくと、エステルは少し不快そうに口を開く。


「アンタ、いつも私の髪を見てるわよね。なんで?」


「え? あ? は……はい……。あ、あの……怒らないで……ください」


「怒ってないわよ」


「知ってる人と……同じ髪の色だから……です」


「それだけ?」


 怪訝そうなエステルの視線を受け止めきれずに、ヴァンは思わず(うつむ)く。


「僕がたぶん5歳か6歳の時だったと思うんです……けど、女の子が売られてきたんです」


「売られてきた?」


「あ?! ご。ごめんなさい。……貴族だなんて紹介されましたけど、生まれてすぐ僕は農奴に落とされたんです。……気持ち悪いですよね。ごめんなさい」


 今にも逃げ出そうとするヴァン。


 エステルはその袖口を掴んで、睨みつける。


「いいからここに居なさい。……それで?」


「は……はい。農奴なんて、男ばっかりですけど、その子はある日突然、連れて来られたんです。僕より少し年上の、他の国の女の子だったと思います。言葉はあまりわからないみたいで、エステルさんと同じ真っ赤な髪で……。あ、でもエステルさんほど美人じゃなかったと思います」


「……美人って」


 ヴァンが斜光で赤く染まったエステルの横顔を眺めると、心なしか眼が泳いでいるように見えた。


「で……その子はどうなったの?」


「すぐに……死んじゃいました」


 エステルの息を飲む音が聞こえた。


「好きだったの?」


「分かりません」


 ヴァンは苦笑する。


「ぼ、僕もまだ小さかったですし、他に女の子なんていなかったから……。でも知ってる女の子が死ぬのはもうイヤ……かな」


 その瞬間、エステルの脳裏を、盾を手にした少年が、突っ込んでくる光景が()ぎった。


「……ばーか、弱いくせに。アンタは自分の心配だけしてればいいのよ」


「そう……そうですよね」



  ◆◇



「それはどういう意味だ!」


 シュゼットは椅子を蹴って立ち上がると、思わず声を荒げた。


 だが、マセマー=ロウは、眼を閉じたまま動じる様子もない。


「それは、筆頭の人に聞いてみなよ」


 シュゼットは興奮気味に、ローレンへと顔を突き付ける。


「ローレン殿! あなたは! あの子の、ヴァンの中に何を見たというのだ!」


 ローレンは眉間に皺を寄せて、苦し気に吐息を漏らす。


 そして、何度も口ごもるような素振りを見せた末に、訥々(とつとつ)と言葉を(つむ)ぎ始めた。


(おぞ)ましい化物の群れ。何十体という化物が、彼の中で(うごめ)いていました」


「化物?」


「ええ、どれも力を失っている様でしたが……。その中央には眠れる高潔な魂が鎮座して、その化物達を従えていました。おそらくあれが本来、少年の身体にあるべき魂……なのだと……思います」


 項垂(うなだ)れるローレンに、シュゼットは思わず食って掛かる。


「本来有るべき魂だと! 馬鹿な! ではあの子は! ヴァンは一体、何だと言うのだ」


 ローレンの表情が苦しげに歪む。


「あれは……あの少年の人格は、()()()()()()()()(まが)い物……です」


 シュゼットは、細い目を大きく見開いて絶句する。

 

 思わずふら付き、彼女の足がぶつかって、椅子がガタガタと音を立てた。


「わかったかい? シュゼ。アレは、あの子は、ボトルにハマったコルクみたいなものさ。只の(フタ)。本来の人格を起こさないよう閉じられた、只の(せん)なんだよ」


「だ、誰が、何でそんな事を……」


 声を震わせるシュゼットを見据えて、マセマーロウは吐き捨てる。


「知らないよ、そんなの。でもね、キスする度に魔力を得た化物共に、あの子の存在は押しのけられ、擦り切れて……」


  ◇◆


「まあ、良いわ……アンタをちゃんと第十三小隊の一員として認めてあげる」


「え?」


「私達の仲間だって……男のわりにはマシな奴だって、認めてあげるっていってんのよ! 嬉しくないなんて言わせないわよ!」


 エステルはヴァンに詰め寄ると、その鼻先に指を突き付ける。


 ヴァンは長く伸びた前髪の下で、眼を丸く見開いて硬直した後――満面の笑みを浮かべた。


「はい。多分……今まで生きてきた中で、一番嬉しいです」


 エステルは、くすりと笑う。


「大げさなヤツね。第十三小隊は行き場のない人間の集まりよ。嫌がったって、そうそう簡単に抜け出せないんだから、覚悟しなさいよ」


「ぼ、僕は……ずっと皆さんと一緒にいられたいいなと思っています」


「ずっとは、嫌よ」


 エステルが冗談めかしてそう言うと、二人はどちらからともなく、笑いあった。


  ◇◆


 夕闇が深くなっていく。

 

 天才少女は、城壁の上で並ぶ二つの人影を、見るとは無しに眺めている。


 楽しそうな笑い声が、風に乗って微かに聞こえてくる。


 いい気なものだ。


 そんな事を考えながら、今にも泣き出しそうなシュゼットに、マセマー=ロウはとどめの一言を告げた。



 ――あの子は、いつか(はかな)く消えるのさ。



 シュゼットが膝を落とす音が、ゴトリと夕闇に響いた。



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