第二十話 魂の造形
深夜、ラデロはシュゼットの私室の扉を、ノックした。
「中佐、シュクレル卿がお出でになりました」
ガチャリと音を立てて、鍵が外れると、今の今まで眠っていたのだろう。細い眼を眠たげに擦りながら、シュゼットが顔を覗かせる。
「……しゃくれがどうしたってぇ?」
「中佐……お願いですから、本人の前で言わないで下さいよ。絶対ですからね。筆頭魔術師のシュクレル卿ですよ」
「筆頭魔術師……ああ、ローレン殿か。書簡のやり取りばかりで、ちゃんと話した事は無いな」
徐々に思考がはっきりしだしたらしく、シュゼットの言葉尻からふわふわした様な響きが消えていく。
「ヴァン君のことで、陛下の勅命をお持ちになられているそうです」
「うむ。分かった。身支度を整えたら直ぐに行く。応接へ通しておいてくれ」
◆◇
落ち着き無く応接室の中をウロウロするマセマー=ロウを、ローレンがうっとうし気に眺めていると、扉を押し開けてシュゼットとラデロが現れた。
「ようこそ、シャクレ卿」
「シュクレルですけど!?」
思わずムッとするローレンの様子に、シュゼットの背後でラデロが頭を抱えた。
だが、
「シュゼ! ひっさしぶりー!」
ローレンの背後からマセマー=ロウが能天気な声を上げると、今度はシュゼットが思いっきり苦虫を噛み潰した様な表情になった。
シュゼットはその表情のまま、ラデロにだけ聞こえる様な小声で囁く。
「あのちびっ子から絶対、眼を離すなよ。何を壊されるか分かったもんじゃないからな」
「誰なんです、あの子?」
「マセマー=ロウだ」
「マセマって……、ええっ!? あの子がですか?」
マセマー=ロウと言えば、狂気の錬金術師の二つ名で知られる人物。
こんな小さな少女が王国最高の技術者だと言われれば、ラデロでなくとも驚く。
「なーに、ひそひそ話してんのさ。感じ悪いなァ」
「いえ、あはは……」
マセマー=ロウが憮然と唇を尖らせると、思わずラデロは愛想笑いを浮かべた。
「ヴァンのことについて陛下はどのように?」
シュゼットは。ローレンにソファーに座る様に促し、自らもその正面に腰を下ろす。
「彼をなんとか使い物になる様にせよと」
「なるほど。それであなたとソイツですか……」
ローレンと言えば『分析』系統魔法の第一人者。
マセマー=ロウと言えば、魔術工学の権威。
つまり、何が問題なのかを調べて、技術的になんとかしろ。
そういう事だ。
「早速ですが、ヴァン君に面談させていただきたいのですが?」
ローレンが性急にそう切り出すと、ラデロは僅かに眉を顰める。
なにもこんな時間に……。そう思うのも当然。
だが、時間が有限であることは『時間』系統の魔術師であるシュゼットには、分かりすぎる程に分かっている。
シュゼットは素直に頷いた。
◆◇
ラデロを先頭に、シュゼット、マセマー=ロウ、ローレンと並んで、ヴァンが引きこもってる部屋へと向かう。
「中佐、マセマー殿とずいぶん親しそうでしたが、お知り合いだったのですね」
ラデロが小さな声でシュゼットにそう尋ねると、シュゼットが再び眉を顰める。
「知り合いというか……。実に残念な事に、アレは私の姪なのだ」
「え!?」
驚くラデロを他所にシュゼットが溜息を吐く。
「ロウ男爵家に婿に出た長兄の娘でな……あれは、ウヒョオオオィィイイ!?」
「中佐!?」
話の途中で脈絡もなく、シュゼットがとんでもない声を出した。
ラデロが何事かと振り返ると、マセマー=ロウがニヤニヤしながら、シュゼットの尻にひとさし指を突き立てていた。
「シュゼぇ……ひそひそ話とかカンジ悪いんだよねぇ。次やったら、第二関節までぶち込んじゃうよ?」
「おま……それはシャレにならんからヤメろと、いつも言っているだろうが!」
『いつも』という表現にラデロは、こんど『山猫』に乗るときには、上官の尻をもうちょっと労ってあげよう、そう思った。
◇◆
やがて角を曲がれば、少年が引きこもっている部屋というところまで来ると、部屋の方から微かな話し声が聞こえて来た。
シュゼットとラデロは、顔を見合わせ、背後の二人をその場に留まらせて、そっと角から部屋の方を覗きこむ。
すると、少年の部屋の扉が開きっぱなしになっているのが見えた。
内通者の存在が、二人の脳裏を過ぎる。
ヴァンの身に危険が迫っているのでは?
焦燥が二人の胸を焼く。
シュゼットとラデロは頷き合うと足音を殺して近づき、一気に部屋の内側へと雪崩れ込んだ。
「動くな! 動くと命の保証は……」
そこまで言ってシュゼットは、思わず顔を引き攣らせる。
彼女たちが、部屋の中で見たもの。
それは、顔面は包帯でぐるぐる巻き、両手両足を拘束されてぐったりしているヴァンを、ノエルとベベットが抱えて、今にも影の中へと放り込もうとしている光景。
更には、それをやたら布面積の少ない、透け透け下着のロズリーヌが、腕組みしながら眺めている姿。
部屋の中に壮絶な沈黙が舞い降りて、全員が全員、その場で固まった。
在りえないほどに重苦しい空気の中、ロズリーヌが盛大に眼を泳がせながら、唇を震わせる。
そして、やっとの思いで絞り出した言葉、それは……
「……ちゃうねん」
違うと言われても困る。
ラデロはそう思った。
◆◇
数分後、部屋の壁際には、正座させられてしょぼくれるロズリーヌ班の三人と、それを前に、かつてない程の怒りの形相を浮かべたシュゼットの姿があった。
「つまり貴様は、自らの欲望の為にヴァンを手篭めにしようとし、凶暴化すると知りながら唇を奪い、マルゴ要塞を危機に陥れかけた。そういう事だな……あばずれ准尉」
「あばずれって!?」
「ア゛?」
「ス、スミマセン……」
ロズリーヌが思わずいきり立ちかけたところで、シュゼットに抉るような角度で一睨みされ、そのあまりの迫力に、へなへなと縮こまる。
「貴様の処遇は後々考えるとして、その透け透け下着で軍法裁判の被告席に立つぐらいは、覚悟はしておくのだな」
項垂れるロズリーヌに、ノエルとベベットが思わず憐れみの目を向けると、
「貴様らも同罪だ馬鹿者!」
とシュゼットが一喝し、
「ハハッ、ボクらも透け透け下着だってさ」
と囁きかけるノエルから、ベベットはうっとおしそうに顔を背けた。
「まあまあ、中佐。今、彼に魔法が宿っているというのであれば、それはそれで都合が良い。分析はしやすくなりますので」
ローレンの言葉に、ロズリーヌがホッとしたような顔を見せた瞬間、シュゼットの拳骨が金の縦巻ロール頭に落ちる。
残念ながら、ローレンが何と言おうと何のフォローにもならないらしい。
ローレンはベッドの上に横たわるヴァンの元へと歩み寄る。
手足は拘束されたまま、顔は包帯でぐるぐる巻き。
未だに目を覚ましている様子は見られない。
「拘束は解く訳には行きませんが、分析に支障はありませんか?」
ラデロがローレンにそう尋ねると、微笑みながら「大丈夫」と呟いた。
ローレンがヴァンを見下ろす。
顔は判らないが、あの日の赤ん坊がこんなに大きくなったかと思うと、感慨深い。
そしてローレンはあの日と同じように、ヴァンの喉元に手をかざし、分析の魔法を発動する。
「第一階梯 構造解析」
あの日と異なるのは少年の喉の奥に、魔術回路が存在していること。
他の魔術回路に比べて整然とした魔術回路、紛れもない『眼』の魔術回路であった。
だが問題は、ここではない。
彼が魔法を得た時、何故凶暴化するのか、彼の精神にどんな変化が起こっているのか、それを見極め、原因を取り除かねばならないのだ。
さらに深く、少年の中へ入り込んで行かねばならない。
『第五階梯 心魂解析!』
それは、魂の有り様そのものを把握する魔法。
だが突然、ビクリと身体を跳ねさせると、ローレンの額にじわりと汗が浮かんだ。
「馬鹿な……こんな事が……」
そう呟いた途端、ローレンはガクガクと小刻みに震え始めて、自らの身を掻き抱く。
その顔に張り付く表情は恐怖。
そしてローレンは、
「うわぁあああああああああああああ!?」
――目を見開いて、絶叫した。