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第二話 無価値という名の少年

 ローレンは鮮明に覚えている。


 それは春がまだ浅い頃、良く晴れた日の昼下がりのこと。


 北向きの窓から差し込む淡い陽光が、廊下にぼんやりと窓枠の形を描いていた。


 コツコツ、コツコツ。


 苛立つような調子でありながら、規則正しい靴音が長い廊下に響く。


「ジョルディ殿、少し落ち着かれた方が……」


「う、うむ、分かっている、分かっているのだがね」


 ローレンは目の前で、ソワソワしている太鼓腹の男を呆れ顔で眺める。


 男の名はジョルディ。


 ヨーク子爵の伴侶、いわゆる入り婿(むこ)である。


 彼は四十過ぎの脂ぎった暑苦しい風体の男ではあったが、顔のパーツ一つ一つをみればかなり整っている。


 おそらく若い頃は、それなりに秀麗な容姿の持ち主であったのだろう。


 初めての子供ともなれば、それなりにナーバスになるのは仕方がないことだが、ローレンの眼にジョルディのそれは、これまで見てきたどの父親達の不安とも異なっている様に見えた。


 負けの込んだろくでなしが、転がるダイスの行末を見守る様な、そんな必死さがこの太鼓腹の男の挙動に見え隠れしている。


 それもその筈、目の前の革張りの扉、その向こうで産気づいているのは彼の妻、ヨーク子爵ではない。


 ヨーク子爵家に仕える魔女の一人――つまりはジョルディの浮気相手であった。


 ジョルディとヨーク子爵の婚姻は、親同士の取り決めによる愛の無いものであったとはいえ、浮気相手の存在が発覚した時点で、彼は離縁される筈だった。


 ところが、そうはならなかった。


 その浮気相手に宿った新たな命は、(かつ)て無い程に巨大な魔力の持ち主であることが分かったのだ。


 力のある魔女を輩出することは、ヨーク子爵家の隆盛につながる。場合によっては、正式にヨーク子爵家の一員として、母親共々迎え入れてやっても良い。


 愛無き故か、ヨーク子爵はジョルディに平然と、そう言い放ったそうだ。


 ローレンは、二十代も半ば。


 世間的には行き遅れと言われる年齢ではあるが、いまだに結婚というものに多少の夢や希望を描いている彼女からすれば、それは信じられない話であった。


 ――家の隆盛にしか興味がないのだろうか?


 ローレンがヨーク子爵という女性の人物像に思いを巡らせかけたその時、


「オギャア! オギャア!」


 扉の向こう側から、赤子の鳴き声が聞こえてきた。


 ジョルディはあわてて扉に飛びつくと、勢いよく部屋へと飛び込む。


「……あとはさっさと分析して帰るだけですね」


 苦笑気味に独り呟くと、ローレンもジョルディの後を追って、部屋の中へと足を踏み入れた。


 彼女も平静を装ってはいるが、なにせこれから魔法系統の分析をする赤ん坊は、浮気相手の子供である。


 ヘタに首を突っ込んで、ドロドロの愛憎劇に巻き込まれた日には、目も当てられない。


 サラッと分析を済まして、報酬を頂戴したらさっさと帰るというのが理想的だ。


 だが、


「生まれたか!」


 ジョルディのその一言に、助産医の表情が曇るのを、ローレンは見逃さなかった。


「はい……その……」


 助産医は敷き詰められた格子柄の絨毯へと目を逸らし、そして絞り出す様に言った。


「……元気な()()()です」


「なっ!? なんだと!」


 ジョルディは眼球が零れ落ちるのではないかと思うほどに、目を見開く。


「ば、馬鹿な、では強大な魔力が宿っているというのは、貴様の勘違いだったとでも言うのか!」


「いえ、そうではありません。この子は男の子ですが、間違いなく強大な魔力をその身に宿しております」


「ロ、ローレン殿、そんなことが有り得るのか?」


「そんな話は聞いた事がありませんが……確かに強大な魔力を感じます」


 狼狽するジョルディを置き去りにして、ローレンはゆっくりとベッドの方へと近づいていく。


 憔悴しきって弱々しく呼吸する女性の枕元に、白い布に包まれた生まれたばかりの赤ん坊の姿があった。


 間違いなく、濃厚な魔力を感じる。


 あまりにも濃厚な魔力の気配に、ローレンは思わず顔を顰めた。


 男の子が魔力を宿すなどという話は聞いたことがない。


 だが、それ以前に赤ん坊が知覚できる程、濃厚な魔力を発していることが、まず異常なのだ。


 ローレンは赤ん坊の喉元に手をかざし、分析の魔法を発動する。


「第一階梯 構造解析(アナリシス)


 淡い光がかざしたローレンの手を包み込む。


 それは事物の構造を把握する魔法。


 魔女は喉の奥に『魔術回路』を持って生まれてくる。


 その回路の接続の仕方を読み取ることで、持って生まれた魔法の種類を判別出来るのだ。


 ジョルディが緊張の面持ちでごくりと喉を鳴らし、やがてローレンの手から光が消えた。


「ローレン殿?」


 ローレンはジョルディの方を向くと、ゆっくりと(かぶり)を振った。


「確かにこの子には膨大な魔力が宿っています。しかし……」


「し、しかし……?」


「この子には魔術回路がありません」


 いくら巨大な魔力を有していたとしても、それを具現化する魔術回路が無ければ魔法を使う事など出来はしない。


「そんな……」


 呆然とした表情のまま、膝から絨毯の上へと崩れ落ちるジョルディ。


 その姿を眺めながらローレンは、この赤ん坊の苦渋に満ちたものとなるであろう将来に思いを馳せた。


 ◇◆


「その後の事は私も人伝(ひとづて)に聞いた程度の事しか存じ上げません。母親は産後の肥立ちが悪く、子供の将来を嘆きながら亡くなったと聞いております」


「そのジョルディという人物は、離縁されたのですね?」


「いえ、ジョルディ殿は相当に運の強い御仁だった様で、その子が生まれたすぐ後に、ヨーク子爵が身ごもっている事が発覚したのです。正妻との間に優秀な魔女が生まれた事で、離縁を免れたと聞き及んでおります」


 他愛も無い昔話。


 そのつもりで話していた筈なのに、女王マルグレテの表情が険しいものへと変わっている事に気付いて、ローレンは戸惑った。


「ねえ、ローレン。その赤ん坊はどうなったのです?」


「詳しいことは存じあげませんが、ヨーク子爵がジョルディ殿へのあてつけに、農奴へと落したと聞いております」


「……農奴です……か」


 義憤であろうか? ローレンは女王の瞳の奥に、憐みとも怒りとも思える様な感情が宿ったのを見た。


 この若き女王は、生まれながらに女王としての資質を身に着けて生まれてきた、王者の中の王者。ローレンはそう評価している。


 欠点があるとすれば、それは正義感が強すぎることだ。


 歴史を振り返ってみれば、正義感を振りかざした結果、国のかじ取りを誤ったという例を数えてみれば、枚挙に(いとま)がない。


 これは言うなれば地方領主のお家騒動でしかない。


 いわば家庭の事情とも言うべき出来事だ。


 もし女王が、正義感を振りかざして、この件に介入しようとするのであれば、全力で諌め無くてはならない。


 ローレンはそう身構えた。


 ローレンが身を硬くするのを他所に、女王はスッと立ち上がると、背を向けて緑溢れる庭を眺める。


 静寂の中にチチチと小鳥の(さえず)りが聞こえた。


 女王は深く溜息を吐くと、押し殺した様な声で語り始めた。


「ローレン。貴女には打ち明けておいた方が良いのでしょうね」


「何をです?」


「我がレーヴル王家、ひいてはこの国の魔女たち、全てに係わる秘事についてです」


 振り向いた女王の真剣な表情に、ローレンは思わず息を呑む。


「全ての魔女のルーツは魔女の祖、我がレーヴル王国建国の祖であるシュバリエ・デ・レーヴル様へと辿り着きます」


「もちろん存じております」


「実はシュバリエ・デ・レーヴル様は()()なのです」


「は?」


 ローレンの口から思わず間抜けな声が洩れる。


「始まりの魔女。膨大な魔力を持ち、千の魔法を使いこなしたという我が国の開祖は、男性だったと言っているのです」


「まさか、そんな筈が……」


「あるのです」


 女王に冗談を言っている様子は欠片もない。


「……もしや、陛下は彼の赤子がシュバリエ・デ・レーヴル様の再来だとでも」


 女王マルグレテはこくりと頷き、ローレンは小さく身体を震わせる。


「ヨーク子爵領から一番近い駐留軍は?」


「おそらく西の国境、マルゴ要塞ではないかと……」


「マルゴ……今から伝令を送れば三日後には着きますわね。確か責任者はシュゼットではなかったかしら」


「はい、マルゴ要塞には、現在、シュゼット中佐麾下の第八小隊から第十五小隊までが駐留しているはずです」


 女王マルグレテはローレンをじっと見据える。


「ローレン。シュゼットの下へ伝令を走らせなさい。大至急です。私の勅命を与えます。その赤ん坊、いえ……今はもう十五になっているはずですわね。その少年を早急に保護させなさい」


(かしこ)まりました」


 ローレンは慌てて立ち上がる。


「シュゼットは信用のおける人物です。先程あなたに話した事は、全て書簡に記しても構いません」


「たしか、中佐は陛下のご学友でございましたね」


「ええ、彼女なら私の意を汲んで、最善の対応をしてくれるはずです」


 身分は違うので今となっては気軽に話をする訳にはいかないが、シュゼット中佐の人となりは良く知っている。


 この秘事を任せる人物が彼女であったことを、女王は幸いだと感じていた。


「ローレン、何かその少年の特徴は分かりませんか?」


「いえ、私が見たのは本当に生まれてすぐでしたので、ただ確か……ヴァン(無価値)と名付けられたと聞き及んでおります。」


ヴァン(無価値)……名付けたのは子爵ですか?」


「左様で」


 子爵にとって、その赤ん坊は本当に価値の無い者だったのだろう。


 だが、それを名として与えるという冷酷さに、女王は思わず眉を顰めた。

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