第十八話 破滅の口づけ
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「優しくして……差し上げますわよ」
そう囁いて、ロズリーヌは緊張のせいで、乾いた唇を舐めた。
まさに娼婦の様な装い。
恥ずかしくない訳がない。
優しくするも何も、男と肌を合わせたことなど無いのだから、何がどう優しいのさえ、分かっていないというのが本当のところ。
だが、素に戻ってしまったら、恥ずかしさで、そのまま逃げだしてしまうに違いない。
だから、ロズリーヌは内心、自ら淫靡な雰囲気を作り出そうと、必死であった。
これは一世一代の賭けなのだ。
自分自身を賭ける大勝負だ。
もう嫌なのだ。
他の貴族連中が陰で、揶揄して「金メッキ」などと呼んでいたことも知っている。
屋敷のメイド達が「鬼子」、そう呼んでいたことも知っている。
見返してやるのだ。
両親がロズリーヌを誇らしく思ってくれるならば、どれだけ分の悪い勝負でも、賭ける価値はある。
だが、そう思えばそう思うほどに、この冴えない男が自分の頼みの綱なのだと思うと、流石にちょっと泣けてくる。
背の低いちんちくりん。
だらしなく伸びた前髪の奥から覗く目は、いつもなにかに怯えて、おどおどしている。
見れば見るほどに、ロズリーヌの理想からはかけ離れている。
だがそのおどおどした表情が今は、とても良かった。
あたふたと後ずさる少年をベッドの端へと追いつめる事に、ロズリーヌは胸の奥でぞくりとした快感を覚える。
獲物を追いつめる肉食獣の歓び。
まさにその感覚。
ロズリーヌは指先を伸ばして、少年の頬を撫でる。
ヴァンは「ひっ」と喉の奥で詰まったような声を零して、壁際にさらに背を押し付けた。
――情けない男。
呆れるロズリーヌの指先を、少年の震えが伝わってくる。
少年はされるがまま。
まるで猫に見つかって、硬直するネズミの様な有り様。
ロズリーヌは、そのまま少年の輪郭をなぞる様に、彼の髪を掻き上げた。
――あら、意外と整っていますのね。
剥き出しになった彼の目を見たのは、初めてだったが容は決して悪くない。
ロズリーヌは、自分のモノにした後には、この髪型は変えさせようと思った。
ミュラー家の長女の伴侶となるのだ。
せめて見た目だけでも、どうにかせねばならない。
相変わらず、怯えるような少年の様子にロズリーヌは随分、余裕を感じられるようになってきた。
そのせいか、つい悪戯心を出して問いかけた。
「ねぇ、アナタ……エステルとワタクシ、どちらの方が素敵だと思いますの?」
「エステ……ルさん?」
「そう、あの小火女とワタクシ」
「そんなこと……」
「正直にワタクシと言えば、この身体をアナタの好きにさせてあげますわよ」
少年は思わず目を見開いて、ごくりと喉を鳴らす。
彼の眼が、ずっと自分の胸元を凝視しているのには、当然気づいていた。
その様子に、男という生き物の単純さが透けて見えるような気がして、ロズリーヌは胸の奥で呆れた。
だが、
「……選べません」
ヴァンはそう言って俯いた。
「僕はそんな身分じゃありませんから……」
その答えに、ロズリーヌは呆れを通り越して、ムッとする。
思わず怒鳴りつけたくなる気持ちを押さえつけて、静かに口を開く。
「……まあ良いですわ。私の事以外、何も考えられなくして差し上げます。選べないのなら、私がアナタを選んで差し上げますわ」
だがその時、ロズリーヌの胸がチクりと傷んだ。
ロズリーヌは自分で選んでおきながら、「選ばれた」少年に嫉妬したのだ。
――馬鹿馬鹿しい。
その感情を打ち消すように、大胆にもロズリーヌはヴァンの膝の上に跨ると、彼の頭を抱き寄せて、その顔を自らの胸に埋める。
息苦しいのだろう。
もがく少年の吐息が、薄い布地越しにロズリーヌの敏感な部分を撫で上げて、思わず「あ……」と吐息が零れた。
少年は何やらもぞもぞと足をすり合わせはじめた。
自分の身体の下で起こっている少年の身体の変化を感じて、ロズリーヌは思わず赤面する。
恥ずかしい。
そう思えば思うほどに、気持ちは高ぶって、酩酊するような快感へと変わっていく。
「ぷはっ!」
やがて、少年が何とか顔を上げたその瞬間、ロズリーヌはすかさず少年の胸を衝いて、ベッドに押し倒す。
少年が藻掻いたせいでロズリーヌの下着は大きくずれて、淡い桃色の先端がはみ出している。
そんな自分の格好を省みることもなくロズリーヌは、少年の上に馬乗りの体勢になると、ぎゅっと彼の身体を抱きしめた。
少年との間で、ロズリーヌの細やかな胸がぎゅっとつぶれる。
筋張った硬い感触。
意外にたくましい。
少年と自分は、誰にも求められない者同士なのだ、
そう思いいたると、ロズリーヌは少年の事が、なんとも愛おしく思えてきた。
その時には、ロズリーヌの頭の中から、打算は全て吹っ飛んでいた。
彼と一つでないことのもどかしさに、思わず腰がくねる。
まるで二つの身体に分かたれた魂が一つに戻ろうとする様に、彼の唇を求めた。
そして、ロズリーヌはヴァンに覆いかぶさる様に――唇を重ねた。
「んんっ……」
どちらのものとも分からない吐息が漏れる。
ロズリーヌは自分の大胆さに驚きながらも、尚も唇を押し開けて、舌を差し入れる。
舌が絡み合う生々しい感覚。
ぬるりとした感覚。
ざらりとした感覚。
ロズリーヌは我を忘れて、その甘い感触を貪る事に没頭した。
夏とはいえ、高地ゆえに肌寒いマルゴの夜。
しかし、肢体は熱を持って真っ赤に茹で上がり、玉の汗が絹のような肌を、胸の間へと滑り落ちる。
やがて静かに唇を離すと、名残を惜しむかのように二つの唇の間を一筋の糸が引いた。
「これであなたはワタクシのモノですわ」
そういってロズリーヌが嫣然と微笑んだその時。
ヴァンが腕を伸ばして、ロズリーヌの頬を乱暴に掴んだ。
両側から押しつぶされた唇は、タコのように尖り、折角の美貌は台無し。
そして不意を突かれたロズリーヌは、ヴァンに驚愕の目を向けたまま、あっさりと組み敷かれた。
「違いますね。アナタが私のモノになるんです」
その言葉にロズリーヌは、ハッと顔を上げる。
目の前には、口元をゆがめて不敵な笑いを浮かべる、ヴァンの姿がある。
感情が高ぶって粗暴になったとかいうのであれば、まだ分からなくもない。
だが、目の前でロズリーヌを見下ろすこの視線はそうではない。
理知的でありながら、恐ろしく残酷さを孕んだ視線。
間違いない、つい先程までオドオドしていた少年とは別人だ。
キスで少年の性格が変容する。
それを忘れていた訳ではない。
その証拠にロズリーヌは少年の変化に、さして驚きはしなかった。
「バカなことを……。自分の魔法ですもの。あなたに攻撃する手段がないことぐらいわかっていますわ。私が声を上げれば、外で待機しているノエルとベベットが踏み込んできますのよ。脳天に風穴を開けられたくなかったら、大人しく私に従いなさい」
少年はくくっ……と呆れた様な笑いを洩らす。
「自分の魔法ですか……。ならばお判りでしょう? 第十階梯にはどんな魔法がありましたか?」
「……ッ! 支配!? まさか! 第七階梯までしか使えないと……」
――『支配』
それは完全支配の魔法。
魂を粉々に砕いて、都合よく作り変え、永遠に術者に隷属させる残酷極まりない魔法。
「誰が言ったのかは知りませんが……」
少年は髪をかき揚げながら、ニタニタと嫌らしい笑みを浮かべる。
「第十階梯まで全て開いていますよ。遠慮はいりません。外のお二人も呼んであげてください。三人仲良く、私の玩具として楽しませてもらいますから」