第十六話 ミーロ=アパンⅡ
夏の陽光を反射する白亜の宮殿。
女王マルグレテの避暑地シュレイル宮の一室。
「待ち侘びましたよ! ローレン」
ローレンが扉を開けると、女王マルグレテはソファーから、興奮気味に立ち上がった。
「本日は一体どういったご用向きでございますか?」
シュレイル宮は、王都より半日余り南の高原に建っている。
おいそれと行ける様な距離でもない上に、筆頭魔術師として忙しい身であるローレンではあったが「何をおいても優先で」と、女王専用高速車両LVS-01『牝獅子』を迎えに差し向けられては、流石に来ない訳にはいかない。
「シュゼットから報告が上がって参りましたの」
「中佐から……? ということは、例の少年に関わる事でございますか?」
「ええそう。彼が遂に魔法を使ったのです」
ローレンは、思わず目を見開いた。
「いやしかし……彼には魔術回路が無かったはずですが……?」
驚くローレンを楽しげに見遣って、女王はなぜか自慢げに胸を反らした。
「うふふっ、それにただ行使しただけではありませんのよ。行使したのは、なんと! 第七階梯の魔法なのです」
「七ッ!?」
ローレンは、思わず言葉を失う。
魔女は一人一系統の魔術回路を宿して生まれてくる。
その魔術回路には最初から十階梯までの魔法が全て含まれているが、実際に使用できるのは、良くて第四階梯まで。
秀才の誉れ高いシュゼットなど、第五階梯の魔法に到達しているものは、わずか数名しか存在しない。
王国の筆頭魔術師であるローレンですら、つい数年前に、やっと第五階梯の魔法を使用できる様になったばかりである。
「……彼はどうして突然魔法を。それもそんな高階梯の魔法を使える様になったのです? 一体何が……」
ローレンは筆頭魔術師として、自分より上の魔法を行使したという話に自尊心の軋みを覚えながら、言葉を絞り出した。
「唇ですわ」
「唇?」
「報告によれば、訓練中の事故で同僚の魔女と唇同士が触れた時に、その魔女の魔術回路を複製したらしいのです」
「複製……ですか?」
「そう唇で複製したのです。まさにそれが千の魔術を行使する魔女の祖、シュバリエ・デ・レーヴル様の秘密だったということですわ」
「では、彼は魔女と接吻する度に、その身に新たな魔術を宿していくというのですか?」
「それが……わからないのです」
「わからない? 他の魔女と接吻させれば済む話ではありませんか」
女王は静かに首を振る。
「彼が魔法を行使したのはシュゼット中佐の第五階梯『時の楔』を行使している中での出来事なのだそうです」
「訓練と仰せでしたが、事故に備えて保険を掛けておられたということなのでしょう」
「おそらく。ただ……」
「ただ?」
「唇が触れた途端、彼の性格が粗暴な者に一変したそうです。そして、周囲を気にかけることもなく、火炎系魔法の第七階梯炎龍轟来を行使したという事らしいのです」
「炎龍轟来と言えば、シュバリエ・デ・レーヴル様が霜の巨人退治で使用したという魔法……まさに再来というべきなのでしょうか……」
「シュゼット中佐が『時の楔』を解除して接吻したという事実を無かったことにすることで、事なきを得ましたが、そうでなければマルゴ要塞は、完全に崩壊していたそうですのよ」
「あの要塞を……でございますか?」
女王はコクリと頷く。
あまりにも荒唐無稽な話に、二の句を告げられず、女王とローレンの間に沈黙が横たわった。
「……か、彼は抑圧されて生きてきた人間ですので、力に振り回されたのでしょう。ですが、もしそうなら危険でございます。人間の欲望には際限がございません。力の手に入れ方を知ってしまったのですから、手近な魔女を襲ってでも、力を手に入れようとするのではありませんか?」
警戒感を露わにするローレンに、女王は肩をすくめて溜息を吐く
「……普通、そう思いますわよね」
「ええ、それだけの力を持てば」
「ですが、彼は自分の力を恐れて、引き籠ってしまったそうです」
「は? えっ? 引き籠った? それだけの力を手に入れたのにですか?」
ローレンは、思わず眉を吊り上げる。
「シュゼットは部下たちに『隔離した』そう発表した様ですけれど、まあ、自分でもコントロール出来ない力ならば、恐れるのも分からなくもないですわ」
女王は苦笑しながら、再びソファーに腰を下ろし、ローレンにも座れと促した。
「それと、もう一つ別の問題についても報告がありましたの」
「別の問題?」
「シュゼットが、帝国が総攻撃を掛けてくる日時を掴んだそうです」
「どこから入手された情報でございますか?」
「どうやらマルゴ要塞に内通者がいるらしいのです。それに連絡を取ろうとした敵兵を捕えた。そういう事の様ですわ」
ローレンはソファーテーブルの上、籠に積まれた無花果の実を無意識に眺めながら、静かに言葉を紡ぐ。
「内通者……でございますか? 通常であれば、要塞内部への侵入を手引するか、内部の破壊工作が目的なのでしょうが……。もう目星は、ついておられるのですか?」
「いいえ、発見できてはおらない様ですね。ですが……本当の問題はここからなのです」
ローレンとしては、ここまでの話で、すでにお腹一杯、胸一杯。
流石に表情には出さなかったが、正直なところ勘弁してほしいというのが本音であった。
「シュゼットも他の人間には一切伏せている様ですが、書簡には帝国が新兵器を投入する旨、書かれていたそうです」
「新兵器……」
「そう、おそらく王国から流出した輝鉱動力を使用したものでしょう」
驚いていない訳ではない。
……が、ローレンの反応が鈍いのは、すでに頭の中で処理が追いついていないからだ。
そんなローレンの薄い反応に、女王は少し不満げに言葉を繋ぐ。
「総攻撃に加えて、新兵器。こちらにも『無窮』があるとはいえ、盤石とは言い難い状況です。……ですが、第七階梯の魔法を使える者がいれば、戦局は一気にこちらに傾くと思いませんか?」
ローレンは、女王がなぜ自分を呼んだのかを理解した。
つまり、『あの少年を何とか使い物に出来る様にしろ』そういう事なのだ。
「わかりました、何かしらの方策を検討してみましょう」
ローレンがそう言うと、女王は満足げに頷いた。
「頼みましたよ……その少年がシュバリエ・デ・レーヴル様の再来であるのならば、我が伴侶として迎え入れることを、考えねばならないのですから」
その一言に、ローレンは思わず顔を顰める。
「陛下、めったなことを言わないでください。彼はつい先日まで農奴であった者ですよ」
「それこそ関係ありませんわ。この国はシュバリエ・デ・レーヴル様が創られた国。シュバリエ・デ・レーヴル様が再臨されたと言うのであれば、国をお返しして、私は喜んで、それに傅かねばなりません」
ローレンは深く溜息をつく。
「わかりました……が、早まりますな陛下。彼の少年がシュバリエ・デ・レーヴル様の再来か否か確定するまでは、そのことは口になさられませぬように。良からぬことを企む者もおりましょうから」
「ふむ、もっともです。気をつけましょう。ところでローレン、輝鉱動力の流出経路は特定できたのですか?」
「それが残念ながら、巧みに隠蔽されている様で、末端の人間からは、黒幕が浮かび上がってきません」
「只の金儲けのためというのは流石に考えにくいですわね。輝鉱動力の流出が王国存亡の危機に繋がることぐらいは童子でもわかることですもの。逆に言えば王国を滅ぼしたいと考えているものがいる。そう考えた方が良いと思いますわ」
「なるほど、王国を怨みを持つもの……その方面から虱潰しに当たってみるのも手でございますね」
「確か過去の流出事件は、叔母上の婚約者の下級貴族が黒幕であったと記憶していますが……」
「左様でございます」
「その近親者を当たってみるというのは、どうでしょう?」
「はあ……。しかしながら件の者は死刑。近親の者は、既に一族郎党、爵位を剥奪されて平民に身を落したと聞いておりますので、見つけられるかどうか……」
「なんという家名でありましたか?」
「確か……アパン準男爵であったかと……」