第十五話 んな訳あるか!
ヴァンが静かに目を開くと、正面中央にはシュゼット、その左右にはラデロとリュシールが立っていた。
キョロキョロと左右を見回して額の汗を拭う。
マルゴ要塞の東側、山の斜面を切り開いて、棚の様に作られた平地。
まるで古代遺跡の様に崩れた建物が、わざわざそれらしく設置された実戦訓練場。
第十三小隊の面々が居並ぶ、その末席。
自分がいる場所を確認して、ヴァンはホッと息を吐いた。
「良かった……夢か」
ところがその途端、
「「「んな訳あるかあああああああああああ!」」」
第十三小隊の面々が一斉に声を荒げて、ヴァンの方へと詰め寄ってくる。
「酷いよ! まさか一発で蒸発させられるとは思ってなかったよ!」
「酷いであります! ヴァン軍曹! 1メートルしか離れていなかったのにエステル准尉は無事で、自分は燃やされるとか依怙贔屓にも程があるであります!」
「あれはキミの仕業か! いきなり溶岩被るとかどんな罰ゲームだ! 私は味方だぞ! チームメイトだぞ!」
「いや、あの、その……」
ノエル、ミーロ、ザザが口々にヴァンを取り囲み、ヴァンは目を白黒させながら後ずさる。
それを遠巻きに眺めながら、ロズリーヌはシュゼットに問いかけた。
「中佐、ワタクシは『暗い部屋』に避難しておりましたから、良く判りませんけど、一体何があったんですの?」
シュゼットは深く溜息を吐いた。
「少年が色々と拗らせると、マルゴ要塞が滅びるという事だ」
全く要領を得ないシュゼットの回答に、ロズリーヌは頭の上に「?」を浮かべて、首を傾げた。
「まあ、まあ落ち着け、貴様ら」
そう言って、シュゼットはノエル達を押しのけるようにヴァンの前に立つと、ニコリと微笑んだ。
「ヴァン、心配するな。こいつらはお前に殺された訳だが……ご覧の通り誰も死んではおらん。実際には何も起こっていない」
「は?」
「どうだ。今、お前は魔法を使えるか?」
ヴァンは少し考えるような素振りを見せた後、フルフルと首を振った。
シュゼットは満足そうに頷くと、ヴァンの髪に指を這わせる。
「私の魔法系統は『時間』なのだ。事前にこの訓練場を効果範囲として、時間に楔を打ちこんでおいた」
「楔……ですか?」
「ああ、そうだ。この訓練場には他には存在しない一時間が挿入されていた。お前が体験したことは、その存在しない一時間での出来事だ。流石に記憶は消せないが、解除してしまえば、そこで起こった事は無かった事に出来る」
再びシュゼットは、ヴァンに微笑みかける。
「お前に一体、何が起こったのだ」
「ご……ごめんなさい。わかり……ません。エステルさんの唇が触れた。そう思った途端、身体中が熱くなって……エステルさんのこと以外はどうでも良くなって」
「こいつはもう俺のモンだ! とか言ってたもんね」
ノエルがからかうようにそう言った途端、これまで一言も発せず、呆けたように立ち尽くしていたエステルの顔がボッと音を立てて、真っ赤に茹った。
だが、それとは裏腹にシュゼットの表情は険しいものになる。
「ノエル。今言ったヴァンの発言は、一言一句間違い無いか?」
「え? あ、はい」
「そうか……」
そしてシュゼットは眉間に皺を寄せて考えこんだ後、辺りを見回しながらこう言った。
「今日はこれで解散とする。ヴァンはこのまま私の執務室に来てくれ」
◇◆
任務を終えた兵士たちが一気に押しかけて、ザワザワと騒がしい夕食時の食堂。
壁際のテーブルには、エステル班の三人の姿があった。
白インゲン豆の煮込みに入った鴨肉を眺めながら、ミーロは不安そうに溜息を吐く。
ヴァンがシュゼットに連れて行かれたまま、帰って来ない。
リュシールの話では、方針が決まるまで隔離される事になったらしい。
「放っておけば良いのよ、あんな奴」
「ファーストキスの相手だろう? 心配してやってもバチは当たるまい」
ザザがからかう様な調子でそう言うと、エステルは椅子を蹴って立ち上がる。
「あれは事故! キスなんかじゃない。ちょっと触っただけよ!」
「エ、エステル准尉、こ、声が大きいであります……」
ミーロが慌ててエステルの裾を引っ張って、彼女は周囲を見回す。
他の小隊の魔女たちの好奇な視線がエステルの方へと向いている。
エステルは思わず赤くなって、再び椅子へと腰を落して小さくなった。
だが、ザザは更に面白がって追い打ちをかける。
「一つ聞くが、『この女はもう俺のモンだ!』なんて、熱烈な告白を受けた気分はどうなのだ」
「ちょ!? ザザホントやめて……。あんな奴、顔も見たくないわ」
ザザを睨み付けるエステル。
だが、何故かミーロがエステルにジトッとした目を向けた。
「自分は見てたであります。そう言われた瞬間に、エステル准尉がぽやーんと恋する乙女の顔になっていたであります」
「そ、そ、そんなわけないじゃないの! 気持ち悪いだけよ!」
「動揺したであります」
「動揺した……な」
「な、なによ、あなた達、まさか羨ましいとでも言うつもり」
「それは無い」
ザザが鼻で笑って、肩をすくめる。
だが、
「自分は羨ましいでありますッ!」
ミーロが立ち上がってぐっと拳を握る。
「だって! 普段は優しそうなヴァン軍曹が、自分の為に怒ってくれるだけでもうらやましいのに、情熱的に迫られるとか! それにヴァン軍曹は将来有望であります! シュバリエ・デ・レーヴル様以来、誰も到達していない第七階梯の魔法を使ったのでありますよ? すぐに三大貴族さえ追い抜いて、大出世されるに違いな……もがっ!?」
エステルとザザは思わずミーロに飛びついて、無理矢理口を塞ぐ。
「ちょ! ちょっと兎ちゃん、声が大きい」
「バカかキミは!」
だが一歩遅かった。
既に食堂にいた他の小隊の魔女たちの間に「第七階梯!?」「三大貴族よりも出世だって!」という、風に吹かれて葦の葉が鳴る様な、ざわめきが広がっていく。
「あちゃー……」
エステルとザザは心底困ったという表情で、顔を見合わせた。
◇◆
「何をやってるんだか……。相変わらず落ち着きのない方たちですわ」
少し離れたテーブルでエステル達の様子を窺いながら、ロズリーヌは肩をすくめる。
「あはは、でも本当にあの子どうなっちゃうんだろうね」
ノエルの能天気な問いかけに、ロズリーヌは少し考えるような素振りを見せた。
「たぶん女王陛下にお伺いを立てているのでしょうけど。いずれにせよ、シュゼット中佐はあの子のことを随分、気に入っておられる様子でしたし、悪いことにはならないでしょうね」
ロズリーヌは、口に運んだ豆を飲み込む。
「ただ、何かの拍子に彼が魔法を発動させたら、マルゴ要塞が吹っ飛ぶんですもの。相当な危険物には違いありませんわ。隔離は当然の措置だと思いますわよ」
嫌いなニンジンを皿の端の方に集める作業に没頭していたベベットが、ロズリーヌに囁いた。
「で、どう思う?」
「……彼は違いますわね。あんな不安定なものを帝国が送り込むはずありませんもの」
「何? 何の話?」
ノエルはキョロキョロと二人の顔を見回す。
だが、
「ノエルさんには関係のない話ですわ」
「なんでもない」
二人はそう言って、何事も無かったかの様に食事を再開する。
「むうっ……またボクを仲間外れにするんだ……」
ノエルは不満げに頬を膨らませた。