第十四話 覚醒と壊滅
ザザの姿が見えなくなると、エステルは背後の二人に向かって顎をしゃくる。
「ボサっとしてないで、移動するわよ。遮蔽物の無いところでノエルに出くわしたら、勝ち目なんて無いんだから!」
「ハ、ハイであります!」
「……す、すみません」
エステルは走り出すと、後ろをついてくる二人の足音を聞きながら、ため息をついた。
「ザザの勝手は腹立たしいけど、残念ながら理に叶ってるのよね……」
実際、エステルにはベベットの『致命的な礫』を防ぐ手立てがない。
更に言えば、炎の魔法は闇系統とは相性が悪すぎるのだ。
炎を灯せば影が濃さを増して、ベベットがどんどん有利になっていくばかり。
勝ち目があるとすれば、初手での一撃必殺なのだが、ロズリーヌがいる限り、奇襲など出来る訳がない。
そんな事を考えながら走り続けていく内に、いつの間にやら廃墟の内側、長く続く一本道の路地に差し掛かった。
ここは拙い。
こんなところで、ノエルに出くわしたら逃げ場がない。
エステルは慌てて、背後の二人を振り返る。
「あなた達はちょっと戻って、どこか奥まったところで、その楯を構えて隠れてて!」
だが、その時、
「あはは、エステル! お待たせ!」
狙い澄ましたかの様に、路地の向こう側の角を曲がって、ノエルが姿を現した。
「待ってないわよッ! 第三階梯、炎幕!」
間髪入れずに魔法を発動させると、エステルの両腕から渦巻く様に溢れ出た炎が、路地一杯に広がって、壁面を焦がしながら、ノエルに迫っていく。
ノエルは慌てて元来た方へと飛び退くと、どこか楽しげに声を上げた。
「ひゃー! 流石エステル。容赦がないよね」
「アンタに容赦してる余裕なんてないわよ!」
「でもエステル、その男の子、嫌いなんでしょ?」
「ええ、大嫌い!」
エステルの背後で、密かにヴァンが凹んだ。
分かっていたことだが、あらためて口に出されると、やっぱり傷つくものなのだ。
「エステル! じゃ、そこどきなよ、その子の手足一本ずつふっ飛ばして、死の恐怖を染み込ませたら、軍人なんて務まらなくなるよ。そしたらボクらもエステルも万々歳じゃん」
「ロズリーヌがそう言えって、言ったんでしょ!」
「うん」
ノエルはアホ正直だった。
エステルは苦笑して、
「確かに男は嫌い! 大嫌い! でも、部下を売るような奴はもっと嫌い! 自分が気に食わないのを私のためなんて、言わないでよね!」
と、言い放つと同時に、ノエルに向かって駆け出した。
「第二階梯 炎刀!」
走りながら、エステルの手の中で炎が剣を形作る。
「貰ったァ!」
不意打ち。エステルは大上段に炎の剣を振りかぶりながら、ノエルに向かって飛びかかった。
このタイミングならば躱せない。
指先を突き付ける時間も与えない。
エステルが勝利を確信したその瞬間、
「あは! ロズリーヌの言った通りになった」
ノエルは楽しそう呟いた。
指先はエステルから逸れている。それにも関わらず、ノエルは詠唱した。
「第二階梯 光速指弾!」
苦し紛れ。
そう判断した次の瞬間、激しい衝撃がエステルを襲い、弾き飛ばされて地面に転がる。
光の槍が背後から、エステルの肩口を貫いたのだ。
「うああああぁぁぁぁぁ!」
激痛。だくだくと血が吹き出し、思わず悲鳴を上げる。
炎の剣は掻き消え、エステルは震えながら血の滴る肩を押さえて、その場に蹲った。
「ありゃりゃ、肩かぁ……。やっぱ難しいな反射の角度って、良くわかんないや」
ノエルが撃った先にあったのは、ヴァンが構えていた楯。
磨き上げられた楯に反射した光の槍が、エステルの肩を貫いたのだ。
苦しげに呻くエステルを見下ろして、ノエルは嗤う。
「あはは! じゃ、エステル脱落ね! 安心してよ、残りもすぐに後を追わせて上げるからさ」
◆◇
ヴァンには、何が起こったのか分からなかった。
エステルが斬りかかった途端、真っ二つに斬られるノエルの姿を想像して、楯の後ろでギュッと目を瞑った。
しかし聞こえてきたのは、エステルの悲鳴。
驚いて楯から顔を出すと、今まさにノエルがエステルの頭に指先を突きつけようとしているところだった。
混乱する頭の中で、このままではエステルが死ぬ。その事実だけを意識がはっきりと掴み取る。
躊躇している暇などない。その時には、もう身体が動いていた。
「うわぁああああああああ!!」
ミーロをその場に残して、楯を構えたヴァンは雄叫びを上げながら、ノエルへと突進した。
雄叫びを上げて迫ってくる鋼の楯に驚いて、ノエルが慌てて指先を向ける。だが、楯に映っているのはまさに自分自身の姿。撃てば光の槍は、自分の方へと跳ね返ってくる。
「なんなんだよ、もうッ!」
慌ててエステルから飛び退いて、逃れようとするノエル。だが、もう遅い。鋼の楯が眼前に迫っている。激しい衝撃とともに、「ぐはッ!」と喉の奥で短く声を詰まらせ、ノエルは毬の様に二度三度と地面の上を弾んだ。
「エ、エステルさんッ!」
ヴァンは楯を放り出すと、蹲るエステルに走り寄る。
出血が酷い。肩を押さえる指の間からだくだくと血が滴り落ちて、地面に赤黒い水たまりを作っている。
ヴァンが戸惑っているうちに、ノエルはむくりと起き上がると、腕で口の端から滴る血を拭って、叫んだ。
「あったま来たァ! 死んじゃえええええ!」
狙いもへったくれもなく、ノエルは光の槍を乱射した。壁面が抉れ、石畳が削られて礫が飛ぶ。
「うわぁああああああ!!」
ヴァンは悲鳴を上げながら、無意識にエステルを抱きかかえて、地面を転がった。
濛々と立ち昇る土煙。振り回される様に転がったエステルの血が宙空に舞う。地面に着弾した光の槍が石畳を砕いて、ヴァンの身体を叩いた。エステルを抱きしめたまま、思わず目を瞑って必死に地面を転がり続けるヴァン。
やがて、ヴァンは息苦しさに思わず、目を見開く。
――目の前にはエステルの顔があった。
乾ききったヴァンの唇が、しっとりとした小さな唇に触れていた。
それを認識した途端、ヴァンの身体の底の底の底、どこか深い所で、ピシリと亀裂が入る音がした。
急激に魔力が膨れ上がり、ガクガクと身体が震える。身体を何かが突き破るような衝撃。どこか奥底から伸びてきた光が、ヴァンの喉元に、縱橫に巻きついていくイメージ。それは互いに結びついて、徐々に幾何学模様――魔力回路を形成する。
その瞬間、これまで感じたことの無い感情がヴァンの胸の中で渦巻いた。
それは恐ろしい程の全能感。
ヴァンはそれに酔った。
いや飲み込まれた。
そう表現する方が正しいのかもしれない。
ヴァンは自分の腕の中に横たわるエステルを見下ろすと、彼女の唇に再び自分の唇を押しつけた。
「ンンッ!?」
その瞬間、エステルは驚愕に目を見開き、暴れ、背を叩き、掴み、引っ掻く。必死にもがくエステルを力任せに押さえつけて、その唇を蹂躙する。
やがて細い腕がだらりと垂れ下がり、顔を上げたヴァンは、陶然とした表情のエステルを見下ろした。
「ヴァ……ヴァンぐんそ……う?」
ヴァンの背後で、ミーロが呆然と呟いた途端、我に返ったノエルが顔を真っ赤にして大声で捲し立てる。
「な、な、な、何やってんのさ! 変態! 変態! 変態! エステルから離れろ、ばかあ!」
エステルを胸に抱いたまま、ヴァンは前髪を掻き上げると、ギロリとノエルを睨みつける。
「うるさいな、オマエ……。こいつはもう俺のモンだ」
それは、見下す様な不遜な態度。
これまでのおどおどした態度が嘘のような落ち着いた物言い。
ノエルは圧倒されるように一歩、二歩と後ずさると真っ赤になって、喚き散らした。
「男嫌いのエステルに無理矢理ヒドいことしちゃう様な変態さんは、第十三には要らないんだよ!」
そして、ノエルがヴァンに向かって、指を向けようとしたその瞬間。
恐ろしく冷たい声で、ヴァンは呟いた。
「じゃ、オマエが死ね」
虫けらでも眺めるかのような感情の無い瞳。
ノエルの背中にゾクリと冷たいものが走る。
――「第七階梯 炎龍轟来」
◇◆
ヴァンの変化に、シュゼットが思わず腰を浮かせると、倒れた椅子が観覧席の床を叩いて、甲高い音を立てた。
その音が響くのと同時に、轟音と共にマルゴ山脈の至る所から、粘度の高い炎の柱が噴き上がる。
轟音と灼熱の地獄絵図。揺れる大地、吹き上がる火柱、溶岩がアーチを描いて大地に降り注ぐ。
「バカなマルゴ要塞を壊滅させる気か!?」
「ッ! ダメです。中佐、これ以上は!」
ラデロが、目を見開いてシュゼットに訴える。
ヴァン達の方へと目を向ければ、ヴァンとエステルのいる一角を除けば、既に真っ赤に焼けた溶岩の海。
恐らく既に燃え尽きてしまったのだろう、ノエルの姿など、どこにも見当たらない。
訓練場全体が真っ赤に赤熱して炎の中に飲み込まれ、ドロドロの真っ赤な溶岩が山肌を覆っていく。
まるで、この世の終わりの様な風景にシュゼットは思わず息を呑み、震える声でこう呟いた。
「だ、第五階梯『時の楔』を解除する」