第百二十話 ヒット&アウェイ
銀鱗の竜は首を振るって、その顎にかけた『翼』の魔女を無造作に放り出した。
血のアーチを描いて、王宮前の広場に落ちた魔女の死体は点々と赤い印を描きながら、石畳の上を転がる。
コンマ数秒の静寂の後に、我に返った魔女達の甲高い悲鳴と怒号が広場に溢れかえった。
「何をしておる! 疾く撃ち落とすのじゃ!」
「ハッ!」
ジスタン公ジェコローラが一喝すると、左右の宮廷武官達が前へと進み出る。
「第四階梯! 爆裂!」
「第二階梯! 剣の雨!」
「第一階梯! 凍てつく矢!」
「第四階梯! 致命的な礫!」
宮廷武官達が口々に詠唱すると、宙空を旋回する銀鱗の竜へと魔法が殺到する。
だが、銀鱗の竜に怯む様子はない。
「ぐぉおおおおおおおおおおおおおおお!」
竜が首を跳ね上げて、地鳴りのような低い咆哮を上げると、周囲の空気が凍てついて、キラキラと氷の粒が舞い散った。
途端に、竜へと殺到する魔法。その一つ一つへと氷の粒が纏わりついていく。
炎も氷の矢も剣も闇の塊も、竜の身へと到達する前に、形を保ったまま凍り付いて地に落ち、そして、砕け散った。
「細氷障壁!? 馬鹿な! 氷雪系第八階梯ですって!?」
氷雪系統の魔女、ペルワイズ公フルスリールが驚愕の声を上げると、ジスタン公は周囲の者達へと喚き散らす。
「バカ者! 怯むな! 撃て! 撃て! 撃て! 竜とて生き物には違いないじゃろうが! いずれ魔力も尽きる。その時まで撃ちまくるのじゃ!」
唖然としていた魔女達は我に返ると、次々に魔法を唱え始め、ありとあらゆる攻撃魔法が、宙空を埋め尽くす。
だが、どれも宙空に舞い散る氷の粒に阻まれて竜の身体に届くものはない。
「むぅううう! フルスリール! あれはどういう魔法なのじゃ! どんな攻撃も跳ねのけるとでもいうのか?」
ジスタン公が忌々しげに呻くと、ペルワイズ公は眉間に皺を寄せたまま静かに首を振る。
「あれは、言うなれば絶対魔法防御です。物理攻撃にはなんら耐性のあるものではありません。とはいえ……」
「ああ……空を飛ぶ竜に届く剣や槍など有りはせん。くそっ!」
思わず下唇を噛むジスタン公の耳に、唐突に輝鉱動力が唸りを上げる音が飛び込んできた。
それは、通常の高機動車輛に比べて、随分と甲高い音。
思わず顔を上げて左右を見回すも、それらしい物は見当たらない。
「どこから聞こえてくるのでしょう?」
ペルワイズ公が思わず首を傾げた途端、それが王宮の中から響いてくることに気付いたジスタン公が思わず目を見開いた。
「な、皆の者! 左右に避けろ! 陛下! こちらへ!」
「な、なんですの!?」
ジスタン公とペルワイズ公が女王の手を取って、王宮の正面扉の前から逃げた途端、
「どっせえええええい!」
意味不明な叫びとともに、王宮の正面扉を突き破って、一台の高機動車輛が飛び出してくる。
それは異形の高機動車輛。木馬のような車体に前後に並んだ二つの車輪。
LV―08『飛蝗』。
嘶く悍馬の様に、前輪を高く持ち上げて走り出た『飛蝗』は、そのまま正面の階段を跳ねる様に駆け下りていく。
「ぎゃぁあああ! し、死ぬううぅうう!」
「うるさいよ、筆頭の人! ちゃんと掴まってたら死なないんだってば!」
車体の上で悲鳴を上げる年配の魔女の姿に、女王は思わず眼を丸くした。
「ローレン!? あなた何をしてるんですの!?」
だが、女王の声はローレンには届かない。
届いても返事をする余裕も無い。
『飛蝗』を操っているのは、くるくる巻き毛の小柄な魔女。狂気の錬金術師、マセマー・ロウ。
背中に大きな筒状の物を背負って、今にも卒倒しそうな顔でマセマーの腰にしがみついているのは、筆頭宮廷魔女のローレンであった。
「お主ら何を考えておるんじゃ! 女王陛下を轢く気か!」
ジスタン公がジタバタと足を踏み鳴らして、遠ざかって行く二人の背中へと怒鳴りつける。
だが、マセマーは相手にする気が無く、ローレンには相手に出来る余裕が無い。
「どいて! どいて! 轢き殺しちゃうよ!」
マセマーは、階段を下りきると操縦桿のグリップを捻って速度を上げながら、逃げ惑う兵士達を追い立てるように広場の中を周回し始める。
「筆頭の人! 準備してよ、早く!」
「そ、そんなこと、言われても! ひゃっ!? せめて停まってくださいよ!」
「ダーメ! 一撃必殺で離脱しないと、ロウ達がやられちゃうんだってば!」
「うううううっ」
涙目で唸りながら、ローレンは不器用な手つきで、背中に斜め掛けしていた鉄の筒を肩へと担ぐ。
「ほ、本当に大丈夫なんでしょうね」
「なにが?」
「なにもかもですっ! な、なんで私がこんなこと……」
「まだ、照準が装備出来てないんだもん、仕方ないじゃん」
「仕方無いって! 分析系統の魔女なら他にもいるでしょう!」
「あっれぇ? そんな事言っちゃって良いのかな? あんまり聞き分け無いと、筆頭の人が陛下にウソついて、ヴァン兄のこと排除しようとしたって、陛下の前で口走っちゃうかもね~。怒るだろうなぁ、陛下」
「うううううう、分かった! 分かりましたから!」
「使い方はさっき説明した通り。一応ロウと筆頭の人の身体はワイヤーで繋いであるけど、結構、反動あるから掴めるなら、ちゃんと掴んでてね!」
「掴むって、どう考えても手の数が足りませんよ!」
「あはは、そりゃ残念だね!」
そう言い放つと、マセマーは更に速度を上げて、宙空を旋回する竜の後を追って、距離を保ったまま広場を周回する。
ローレンは震える指先で、肩に担いだ筒を支えると魔法を発動させた。
「だ、第二階梯 空間分析!」
分析系統の第二階梯。それは本来、主に測量に使われる魔法である。
ローレンの脳裏に正確な竜と自分達との位置関係、距離が描きだされた。
「距離九十八.一五四メートル、届きますか?」
「大丈夫、問題ないよ! やっちゃえ! 筆頭の人!」
「もう、どうなっても知りませんからね!」
ローレンが投げやりに声をあげると同時に、マセマーの耳元で引き金を引くカチッという音が聞こえた。
途端に響き渡る激しい爆発音。
「うわっ!?」
「きゃぁあああ!」
目の前がチカチカするほどの轟音に、二人は思わず声を上げる。
黒煙が尾を引き、筒から放たれた鉄の槍が空気を切り裂いて、竜へと迫る。
それは、狂気の錬金術師謹製の新兵器。
魔力砲塔改――『天穹』。
従来の魔力砲塔『無窮』が魔力を放つ物だったのに対して、マセマーは帝国の空中戦艦に着想を得て、魔力で物を飛ばすという方向に開発の方向性をシフトした。
魔女自身の魔力は消費せずに、輝鉱石に強い圧力をかけて魔力を暴走させ、その爆発力で鉄の槍を射出するという代物だ。
威力は『無窮』と比べるべくも無いが、魔女でなくとも使えるということの意味は大きい。
「うひゃあ……耳栓しててもキツいねぇ、やっぱり」
マセマーが眉を顰めながら空へと目を向けると、竜の身体がガクガクと激しく揺らいでいる。
目を凝らせば頭の半分ほどが吹っ飛んで、そこから赤黒い肉が覗いているのが見えた。
「やったよ! 筆頭の人! めいちゅー!」
「じゃ……じゃあ、止めてください。も、もう無理」
息も絶え絶えといった様子の中年魔女の訴えに、マセマーは首を横に振る。
「ダメダメっ! 頭吹っ飛ばしてんのに、落ちる気配ないじゃん。まだ生きてんだもん、アレ。『天穹』は一発撃ったら、ダメんなっちゃうし、後は陛下達に任せちゃって、このまま離脱するよ! ジスタン公のおばあちゃん、めっちゃ怒ってるしね」
「え、ちょ、ちょっと待っ」
「無理、待たないっ!」
「ぎゃあああああああああああああああああ!」
マセマーがグリップを目いっぱいに回して速度を上げると、『飛蝗』は前輪を高く持ち上げながら、跳ねる様に階段を駆け下りて、街中の方へと去っていく。
後には、例によって中年魔女の悲鳴だけが取り残された。
◇ ◇ ◇
「あらあら、こんな所にいらっしゃったんですのね。お姉さま」
大聖堂から、ほど近くの路地裏。
そこで壁に凭れ掛かったまま、虚ろな表情で地面を眺めている赤毛の少女を見つけて、黒髪の少女はニヤニヤといやらしげな笑みを浮かべた。
黒髪の少女が纏っているのは、王立士官学校の学生であることを示す臙脂色の制服に、黒のプリーツスカート。
彼女は赤毛の少女の前に静かにしゃがみこむと、その顔を覗き込んで話しかけた。
「エステルお姉さまは心が壊れてしまう程、お兄さまの事を愛していらっしゃったんですのね」
だが、その一言にも、エステルは何の反応も示さない。
黒髪の少女は満足げに頷くと、静かに呟く。
「第二階梯 催眠」
その途端、エステルの虚ろな瞳の奥で、怪しげな光が揺らいだ。
「お兄さまを深く愛するお姉さまなら、その実の妹である私の為に何でもしてくださいますわよね?」
エステルは静かに顔を上げると、こくりと頷いた。
「ええ、そう。そうね。レナードちゃん」