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第十二話 ミーロ=アパン

 ヴァンはベッドに寝転がって、天井を見つめていた。


 ――僕は、何でこんなところにいるんだろう。


 昨日までの農奴暮らしと比べれば、格段に恵まれているはずなのに、どうにも居心地が良くない。


 自分の居場所はここじゃない。そんな気がしてならないのだ。


 ――贅沢いうんじゃねぇよ、クソガキ。おめぇに選ぶ権利なんてある訳ねぇだろうが。


 前歯の抜け落ちた頑固ジジイの(しか)め面が思い浮かんで、ヴァンは思わず苦笑する。


 確かにそうだ。


 生まれてこの方農奴として生きてきたのだ。


 命じられるまま、何かを選んだことなどなかったのだから。


 昨晩もベッドの上段、下段どっちを使うか。


 たったそれだけを選ぶために、「先輩は下段を使っていたであります」というミーロの言葉を必要とした。


 これから自分で選択していかねばならないのだと思うと、気が遠くなるような気がした。


 その時、ギィ……と小さな音を立ててゆっくりと扉が開いた。


 身体を起こして扉の方へと目を向けると、そこには大きな荷物を抱えた赤い髪の少女が立っていた。


 ――赤い髪。


 あらためてそれを見た途端、ヴァンの頭の中を古い記憶が(よぎ)る。


 それは牛舎の隅に積まれた寝藁の上で、為す術も無く弱っていった小さな女の子の記憶。


 その赤い髪から目が離せなくなってヴァンは、呆けた様にそれを見つめる。


 ベットの上のヴァンの姿を見つけた途端、エステルは頬を引き()らせて硬直していた。



  ◇◆


 一秒、二秒……。


 あまりにも重苦しい時間。


 エステルは、ゆっくりと部屋の中を見回した。


 左側のベッドの上段には、あの男の姿がある。


 そして下の段のベッドの脇には、ミーロのものらしい荷物が置かれている。


 そして……ミーロの姿は無い。


 恐らく右側のベッドを使えという事なのだろう。


 そう判断して、エステルはごくりと喉を鳴らすと、ヴァンから目を逸らさずに沢蟹の様に壁に背をつけて、ベッドに近づいて行く。


 その間、ヴァンは呆けた様な表情で、ずっとエステルの事を目で追っていた。


 ――こっち見んな!


 そう怒鳴りつけてやろうかとも思ったが、ヘタに刺激して噛みつかれても困る。


 とりあえず右側のベッド、その下段に荷物を放りこんで、壁に背をつけたまま深く息を吸う。


 そして沐浴場での、ミーロの言葉を反芻する。


 ――ヴァン軍曹は大人しい方でありますし……。


 つまりこの男は動物に例えれば、草食系動物、狼では無く羊みたいなものだ。


 大丈夫、怖くない。羊ならば噛まれることもない。


 せいぜい近づいたら顔を嘗め回されるぐらいのものだ。


 ――顔を嘗め回される!?


「いやあああああああああああああああああ!」


 ヴァンにベロベロと顔面を嘗め回される姿を(割とリアルに)想像して、エステルは思わず悲鳴を上げた。


 流石に突然悲鳴を上げられれば、誰だってビックリする。


「あ、あの……」


 あたふたと宙を手で掻きながら、ヴァンが声を掛けた途端、エステルはますます怯えた顔になって叫んだ。


「来ないで! 近づいたら舌を噛んで死んでやるんだから」


 一声かけたら死を覚悟されてしまった少年は、オロオロしながら口を開いた。


「……ぼ、僕は何もしませんし、エステル准尉が嫌がるなら、話しかけませんし、出来るだけ視界に入りませんから、その……できれば怯えないでく……ださい」


「だ、誰が、アナタなんかに怯えるもんですか! ば、馬鹿な事を言うと燃やすわよ!」


 その瞬間、エステルの言葉の末尾に掛かる様に、勢いよく扉が開いた。


「どうしたでありますか! 何かすごい悲鳴が聞こえたでありますが」


 部屋の中に飛び込んで来たのはミーロ。


「兎ちゃん! どこ行ってたのよぉ! この男が……」


 エステルが今にも泣き出しそうな顔で駆け寄ると、ヴァンの方を指さして訴えかける。


 だが、ミーロは何かを悟った様な顔になって、ヴァンへと微笑みかけた。


「ヴァン軍曹……災難だったであります」


「ちょ、ちょっとぉ! (ラパン)ちゃん! なんでそんな感想になるのよ!」


「いや……たぶん、エステル准尉が勝手に妄想して、勝手に悲鳴を上げて、勝手に怒鳴ったんだろうなと思ったでありますが……違うでありますか?」


 ベッドの上でヴァンがこくこくと頷き、エステルがあらぬ方向に視線を泳がせる。


 その様子に苦笑しながら、


「実は資材部に、これを分けてもらいに行ってたのであります」


 と、ミーロは小脇に抱えていたものをエステルに差し出した。


「暗幕?」


「はいであります。ヴァン軍曹は大人しい方ですけど、私達が着替えてるのが目に入ったりしたら、やはり目の毒でありますし、ザザ上級曹長からは『エステル准尉はずいぶん寝相が悪い』と伺ったでありますので……」


「ちょ! ザザ何言ってんのよ! 寝相なんて悪くないわよ!」


「まあ、寝相はともかく、あんまり寝顔を見られたくはないでしょうし、これでベッドの周りを囲っちゃえば、一応のプライバシーは守れるであります」


 しかしエステルは真剣な表情で考え込む。


「でも、見えてないと襲ってこられた時に、察知するのが遅れるわね」


「……襲いませんよ」


 呆れるようなヴァンの呟きに、エステルはカチンときた。


「そんなのわからないじゃない!」


 ミーロは思わず苦笑する。


「そんなに心配なら、自分がヴァン軍曹と一緒に寝るであります」


「「は?」」


 ――何言ってんの、この娘?


 初めてエステルとヴァンの思いが一致した。


「自分がヴァン軍曹を隣で監視しておくであります。それならエステル准尉も、安心してお休みいただけるであります」


「「それは流石に……」」


 困惑するエステルとヴァンを他所(よそ)に、自己犠牲精神なのか、それほどヴァンを信頼しているということなのか、特に気負う様子もなくミーロは平然としている。


「そんなことされたら、あなたが心配で眠れなくなるわよ! 分かった、分かりましたッ!」


「え? 良いんですか? 自分は兄様や弟達と一緒に寝ていましたから、たぶんそっちの方が良く眠れると思うのでありますが……」


「……僕が眠れ……ません」


「でしょ! ほら御覧なさい! ダメよ! ダメダメ!」


 エステルがミーロを威嚇するように顔を突きつけると、ヴァンがうんうんと頷いた。


 本人達は気付いていない様だが、いつの間にやらヴァンとエステルが二人がかりでミーロを説得する図式になっている事に、ミーロは思わず苦笑せずには居られなかった。


 ◇◆


 ヴァンとエステルがミーロを説得しようとしていたその頃。


「いきなり実戦は……流石に過酷ではありませんか……中佐」


 と、リュシールが眉を(しか)めていた。


 シュゼットの執務室、淡いカンテラの灯りの下、ソファーで向かい合う三人の姿があった。


 シュゼットはリュシールを見据えて口を開く。


「リュシールの言いたい事は分かるが、我々には時間が無いのだ。彼がシュバリエ・デ・レーヴルの再来であるかどうかは別として、帝国の総攻撃を受けるとなれば、彼から魔力の補給が出来るということは大きく戦局を左右することになりかねない。戦場に出してあっさり死なれては困るのだよ」


「そもそも、シュバリエ・デ・レーヴルの再来なんて本当に有り得るのですか? それに男の子だなんて、彫像や絵画、シュバリエ・デ・レーヴルをモチーフにしたものは数多くありますが、どれも美しい魔女の姿です。私には余りにも荒唐無稽な話に思えて仕方がありません」


 いつもの間延びした様な喋り方を忘れたように食って掛かるリュシールに、シュゼットは肩を竦める。


「それは私も変わらんよ。だが陛下の肝いりなのだ。我々が疑念を差し挟むことなど許される訳が無かろう。様々な局面で、彼にどんな変化があるのか、あるいは変化がないのか、極限状態に置いてみる価値はあるとおもうがな。前例も類似のケースも無いものを思い悩んでも仕方があるまい」


 だが、リュシールは更に憂いの色を濃くする。


「……私が過酷だと言っているのは、彼のことだけではありません」


「……ふむ、(ラパン)か」


 そのまま黙り込んでしまったシュゼットの代りに、ラデロが口を挟む。


「確かに、あんな小さな()に残りの人生を彼に捧げろ、戦場では彼の楯となってお前が死ねというのは、あまりにも酷な話に聞こえるかもしれませんね」


「でしたら……」


 リュシールがあらためて口を開きかけた途端、それを遮るように、ラデロは言った。


「ですが、彼女がそれを望んだのです。彼女は既に死んだものとして、大きく増額した弔慰金を彼女の父親に渡してあります。それがあれば彼女の望みどおり、弟たちは農奴に墜ちずに済むのですから」

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