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第百十六話 逃亡する魔女達

 毒の魔女エリザベスを先頭に、ロズリーヌとミーロが二人掛かりでエステルの両脇を抱えて、大聖堂正面の扉から外へと走り出た。


 石段を駆け下りて表通りに降り立つと、ロズリーヌはぐるりと空を見回して、「あちらですわ!」と、立ち昇っている黒煙の少ない方角へと指を差し、彼女達はそちらの方へと駆け始める。


「ザザ准尉……」


 ミーロは後ろ髪を引かれる様に、背後を振り返った。


 だが、大聖堂に踏みとどまったところで、足を引っ張ることにしかならないことも分かっている。


 ロズリーヌとミーロの二人の魔法は元々、戦闘には向かない。


 加えて、エステルはヴァンを失ったショックで心身喪失状態にあり、戦闘どころか自らの足で歩く事すら覚束(おぼつか)ない。


 唯一の戦力といえばエリザベスなのだが、彼女の魔法『毒』は、

そもそもが暗殺向けの魔法である上に、魔力もほとんど底をつきかけている。

 

 どこかで立ち止まってミーロの魔力供給を受けられれば、なんとか戦闘可能という程度でしかない。


「ロズリーヌ少尉! 自分達は、ど、どこへ向かっているでありますか?」


「知りませんわよ、そんなの! とにかく少しでも遠くへ行きますわよ! どこかで高機動車輛を手に入れて、王立士官学校(アカデミー)の中佐達に合流するというのが、理想的ですわね」


「はっ! そんなに上手く行きっこないでしょ」


 ミーロの問いかけに、ロズリーヌがそう答えると、前を行くエリザベスが、振り向きもせずに鼻で笑った。


 もちろん、ロズリーヌ自身も、そんなにうまい話があるとは思っていない。


 だが、この状況では、ただ逃げるという行為に、理想を重ね合わせるより他にないのだ。


 ロズリーヌは駆けながら、脇に抱えあげたエステルの顔をちらりと盗み見る。


 光の失われた瞳。まさに呆然自失といった様子。


 人はここまで落ち込む事が出来るのかとさえ思う。


 それほどまでに、彼女の中で、ヴァンの存在は大きくなっていたということなのだろう。


 自分はこの女ほど、彼に愛されてはいないのかもしれない。


 この女ほど、彼を愛してはいないのかもしれない。


 だが、自分は、この女よりも、彼のことを()()()()()


 神にも等しいあの少年は、必ず自分達を救ってくれるのだと、そう信じている。


 ――ヴァン様。


 ロズリーヌが胸の内で、少年の名を唱えたその瞬間、背後で恐ろしいほどの魔力が膨れ上がった。


 エリザベスが足を止めて、「なによ! なんなのよ! もう!」と、狼狽するように声を荒げ、ロズリーヌとミーロもエステルを抱えたまま、背後を振り返る。


 その途端、彼女達は一斉に息を呑んだ。


 彼女達の視線の先、通りの向こうに見える大聖堂。


 それがピシピシと音を立てて、凍り付いていくのが見えたのだ。


 それだけではない。


 冷気が周囲の空気までをも凍り付かせ、大聖堂を取り巻くように白い煙が渦を巻いている。


 その白い煙の真ん中で、大聖堂に取り付いた(しも)がみるみるうちに大きさを増し、自然にはあり得ない角度の氷柱(つらら)が、まるで毬栗(いがぐり)の様に四方八方へと突き出していくのが見えた。 


 呆気に取られて見上げる彼女達の目の前で、氷が大聖堂を呑み込んでいく壮絶な光景。


 やがて、ピシッ! という甲高い音が響き渡ると、(いびつ)で巨大な氷塊が、大聖堂のあるべき場所に居座っていた。


「な、なんなのよ、あれ!?」


「ワタクシに聞かないでくださいまし!」


 目を()いて詰め寄ってくるエリザベスに、ロズリーヌが思わず声を荒げる。


「ロ、ロズリーヌ少尉! 准尉達を助けに戻るであります! 今ならまだ、間に合うであります!」


「落ち着きなさい!」


 顔を引き()らせて慌てるミーロを、ロズリーヌがぴしゃりと(たしな)める。


「あなたが戻って何が出来ますの? 大丈夫ですわ。ノエルさんはともかく、ベベットさんも一緒ですのよ。ちゃんと皆を『暗い部屋(ダークンドルーム)』に避難させている筈ですわ」


 ミーロは「ううっ」と小さく(うめ)くと、不安げな表情のまま、コクリと頷く。


 無論、ロズリーヌとて心配なのは変わらない。


 実際、二人が取り乱さなければ、ロズリーヌの方が取り乱していたかもしれない。


 だが、自分達に今できるのは逃げる事だけ。


 生き延びる為に足掻(あが)く事。


 それだけだ。


「行きますわよ!」


 ロズリーヌがエリザベスとミーロを見回してそう告げた途端、突然、地面が大きく揺れた。


 背骨を直接揺さぶられるような振動。


 慌てて目を向ければ、通りの向こうに鎮座する巨大な氷塊。その表面に、蜘蛛の巣のような白いヒビが、ピシピシと音を立てて走っていくのが見えた。


「伏せて!」


 エリザベスがそう声を上げた途端、耳を(つんざ)くような大音響とともに、大聖堂もろとも氷塊が粉々に砕け散る。


 崩れ落ちる氷が周囲の家屋を押しつぶして、轟音とともに土煙が舞い上がった。


 突風が表通りを駆け抜けて、


「きゃああああああ!」


 ミーロが軍人らしからぬ悲鳴を上げながら、エステルに覆いかぶさるように地に伏せた。


「くっ!」


 ロズリーヌは石畳に膝をつきながら、唇を噛みしめる。


 その蒼い瞳は白く煙る空に、悠然と浮かぶ銀鱗の竜の姿を映し出していた。



 ◇◇◇



「第七階梯 氷棺(アイスコフィン)!」


 ザザは、フロルの詠唱を背中で聞きながら、咄嗟(とっさ)に石畳の床に開いた穴へと身を躍らせる。


 それは彼女達がこの大聖堂へと辿って来た道。


 地下道へと続く縦穴。


「第一階梯 妖精の舞踏(フェアリーダンス)!」


 暗い縦穴を奥へと吸い込まれながら、ザザはなけなしの魔力を絞り出して、魔法を発動させる。


 そして、静かに地下道へと降り立つと、思わず「ふう……」と大きな息を吐いた。


「間一髪という奴だな……」


 だが、安心するのはまだ早い。


 縦穴の上の方から、ピシピシという甲高い音が近づいてくる。


 見上げれば入り込んで来た冷気が、壁面を白く凍り付かせながら、

恐ろしいほどの速さで、ザザの方へと迫ってくるのが見えた。


「くっ!?」


 思わず頬を引き攣らせると、ザザは地下道を駆けだした。


 石畳を叩くブーツの音が、けたたましく石壁に反響する。


 だが、振り切れない。


 まるで生き物のように、迫りくる極寒の冷気。


 氷の女王が(たわむ)れるように指を伸ばしてくる。


 ザザは必死の形相で、薄暗い地下道を駆け抜ける。


 ピシピシという氷結音がすぐ後ろにまで迫っている。


 振り向くことさえ、ままならない。


 ――このままでは……。


 ザザが胸の内でそう呟いたのとほぼ同時に、前方で光が揺らめくのが見えた。


 それは魔法ではない。自然で、温かな光。


 カンテラの仄灯(ほのあか)り。


 ザザが眉間に皺をよせて、光の方へと目を凝らすと、そこに、おかしな恰好をした人物の姿を見つけた。


 薄暗い下水道にそぐわぬ、折り目の正しい燕尾服。


 年齢は五十程、病的に痩せた白い肌の男の姿。


 それが、ザザの姿を目にすると、王侯貴族にでも挨拶するように肩の上でくるりと腕を回して、そのまま胸に手を当てた。


 命の危機に(ひん)している時に、そんな訳の分からない者が目の前に現れたら、人間はどういう行動をとるだろう。


「どけえええええぇぇぇ!」


 正解は――叫ぶのが精一杯。


 必死の形相で突っ込んでくるザザに、男はやれやれと肩を(すく)める。


 そして、まさに彼女と激突しようかというその瞬間。


「おやおやお嬢さん、情熱的なのは素晴らしいことですが、私には愛する妻と娘がおりましてね」


 男は、戯言を吐きながら彼女の手を(つか)み取ると、勢いのままに背後へと倒れ込み、彼女もろとも自らの影の内側へと沈み込んだ。

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