第十一話 マルゴ温泉
「ふあ……」
湯船に浸かるなり、ミーロは幸せそうな声を洩らした。
何だかんだ言っても、新しい環境に放りこまれて二日目。
これまで緊張の連続で、それなりに疲れていたのだ。
マルゴ要塞の地下にあるこの沐浴場は、地下から湧き出す天然の温泉を使用している。
また、女性ばかりが何千人と暮らすこの要塞らしく、非常に充実していた。
その広さはちょっとした競技場並みで、広い浴槽が幾つもあり、湯煙の向こう側は果てが見えない。
壁面は岩肌を削ったそのままで、何とも言えない野趣に溢れており、浴槽の外には木製の簀子が敷かれ、足が痛くないように配慮されている。
今は午後の任務を終えた少女達で込み合っている時間帯なのだが、それでもこれだけの規模があれば、満員というには程遠い。
「ふふん、兎ちゃん、どうよマルゴ温泉は! スゴイでしょ」
何故か自慢げにそう言いながら、ノエルがミーロの隣で、浴槽のへりに頭を乗せてぐっと足を伸ばした。
「はいであります! 以前の部隊は隊舎にお風呂なんて無かったでありますから、普段は身体を拭くだけ。月に一度、交代で村長の家のお風呂を借りていたであります」
「ありゃりゃ、それはきついねー」
「まあ、駐留部隊と言っても小さな村で、隊員も四人だけでありますから」
エステルとザザが湯船の中を、二人の隣へと歩いてくる。
「もう湯船に浸かってるの? 二人ともちゃんと身体洗った?」
「ハイであります」
「ボク汚くないもーん」
途端に、エステルがノエルをジトッとした目で睨みつけた。
「今すぐ洗って来なさい」
「ええっ……めんどくさ……わかった、わかったよぉ。睨まないでよぉ」
エステルの氷点下の視線に耐えかねて立ち上がると、ノエルはそそくさと洗い場の方へと歩いて行った。
「ノエルは、ほんとに自由なんだから……」
そう言いながらエステルがミーロの隣で肩まで湯船に浸かると、それに倣う様にザザもその隣に腰を下ろす。
はあっ……と気持ちよさ気な溜息をついて、ミーロの方へ目を向けた途端、エステルの目はある一点に釘付けになった。
――水に浮く大きさ!?
リュシールという怪物がいるので、ついつい麻痺してしまいがちなのだが、体格の小ささを思えば、ミーロも十分に規格外のサイズだと言って良い。
それはすなわち、エステルが小隊内ランキング序列2位(エステル調べ)の座から陥落した瞬間であった。
ちなみにエステルの次はザザ。
尚、ロズリーヌ班の三人は、三人揃って空気抵抗が少ないとだけ言っておく。
「エステル准尉、そう言えばこの後、お部屋を移動されるでありますよね。自分もお手伝いするであります」
唯でさえ打ちひしがれているところに、思い出したくもない事実をぶつけられて、頭をガツンと殴られたみたいに、エステルの首が折れる。
「い、言わないでよぉ。忘れようとしてたんだから……」
「現実逃避しても仕方ないだろうに」
項垂れるエステルを、ザザが呆れ顔で眺めた。
「大丈夫でありますよ。ヴァン軍曹は大人しい方でありますし……」
「あんた、兎の癖になんで狼の肩もつのよ」
「兎じゃ無いでありますぅ!」
じたばたするミーロを横目に、ザザは首筋に湯を掛けながら、笑みをこぼした。
「で、彼は一体どんな人間なのだ。兎ちゃん」
「ザザ上級曹長も興味あるでありますか? あと自分は兎じゃないでありますよ」
「……興味が無いと言えば嘘になるな。あれだけの魔力を持ちながら、あの年齢になるまで何の噂にもならず、マルゴ要塞を預かるトップが直接出向いて迎えにいく。それも女王陛下の勅命だという噂もある」
そこで言葉を区切って、ザザはミーロの眼を見つめる。
「それだけでも充分おかしいのに、あの陽に焼けた肌、節くれだった手。あれはどう見ても貴族のものではない。農夫の物だ。兎ちゃんは大人しいと言ったが、私の眼には彼の有様は、奴隷の様に生きてきた人間の賤しさに思えて仕方ないな」
「そうそう、それにいきなり第十三小隊に配属って言うのが、まずおかしいのよ」
エステルが身を乗り出す。
「自分で言うのもなんだけど、貴族の子息で大事に扱おうっていうなら、第十三小隊だけは無いと思うわ。私達、どんだけ前線に投入されると思ってんのよ。それに兎ちゃん、あなたもあの男の所為で、死の十三に配属されたのよ。やっぱり男なんて碌なもんじゃないわ」
興奮気味に捲し立てるエステルを他所に、ザザはちらりと周囲の様子を伺う。
他の部隊の人間も幾人もが湯船に浸かっているのだが、やはり謎の少年の噂が駆けまわっているのだろう。
そしらぬ顔をしているが、皆、意識は明らかにこちらの話に向いている。
「エステル、これは私の勝手な想像なのだがね……」
ザザは悪戯心を出して、ワザと聞こえる様な声のトーンで喋り始めた。
「あの少年、実は前女王陛下の隠し子ということはないだろうか?」
「ちょ!? あんた何言いだすのよ。不敬よ!」
エステルの動揺もさることながら、耳を欹てていた他の小隊の少女達が、一気にそわそわし始める。
「考えてみろ。もしそんな人間が残っていたとしたら、権力争いでも起これば担ぎ出されかねないだろう? 女王陛下の勅命で、魔法も使えないのに一番危険な部隊に放りこまれているのだとしたら……」
「はうっ!? ぼ、謀殺……でありますか?」
ミーロが思わず目を見開いた途端、バシャン! という音とともに目の前で激しい水しぶきが上がった。
「ひゃっ!?」
「きゃああ!」
「ッ……!」
三者三様に驚く彼女達の前で、ノエルが湯船から顔を覗かせた。
「あははっ! ビックリした? ねえビックリしたでしょ?」
そう言った途端、
「びっくりしたわ――よッ!」
鬼の形相のエステルによって、再び湯船の底に沈められるノエルの姿があった。
◇◆
「ねぇ、ベベットさん、あなたはどう思いますの?」
シュゼットの執務室を出てすぐに、ロズリーヌはベベットに問いかけた。
「どう?」
「裏切者の事ですわ」
「……正直、めんどくさい」
疲れたとでも言いたげに、肩を落として歩くベベット。
そのやる気の欠片もない様子に、ロズリーヌは思わず溜息をつく。
だが、秘密を共有する相手がノエルではなく、ベベットだった事は幸いだった。
これがノエルなら、何から何までロズリーヌが考えて、指示してやらねばならないところだ。
やる気を出させるのは難しいが、ベベットの明晰な頭脳には、ロズリーヌも一目置いている。
「ワタクシは、ズバリあの少年が怪しいと思いますの」
「なんで?」
「なんでって……男だからですわよ。そもそも帝国に味方するような魔女なんている訳がありませんわ。そしてこの要塞にいるのは一人を除いてみんな魔女。単純な消去法ですわ」
「精神支配の魔法を受けた魔女がいるとか……」
「ありえませんわ。まず帝国にそんな魔法を使える者がいませんもの」
「でも……何人か捕虜になった魔女もいた」
「あなたもフロルがどうなったのか、ご存じでしょう。彼らはまず魔女の喉を焼くんですのよ、魔法が使えないように」
ロズリーヌは思わず眉を顰める。
だが、それでもベベットは、ふるふると首を振った。
「……あの子は違うと思う」
「それならそれで良いですわ。でも、とりあえずあの少年を探りますわよ。小隊内に裏切り者かもしれない人間がいるなんてゾッとしますもの。違うということを確認しておきたいですわ」
「どうする?」
「殺しましょう」
そう言ってロズリ一ヌは、不敵な笑みを浮かべた。
「明日の訓練でってこと?」
ベベットの問いかけに、ロズリーヌはこくりと頷く。
「殺されかければ、きっとボロを出しますわ亅
先ほど、明日の訓練の内容を聞かされた時には、シュゼット中佐は気が触れてしまったのではないか? ロズリーヌはそう思った。
だが今にして思えば、上官の指示に間違いなどあるはずがない。
もちろん、自分の考えることにも間違えなどあるはずがない。
ということは、少年を殺してみるというアイデアは、シュゼットの意にそぐうものだ。
ロズリーヌは何の躊躇もなく、そう思った。