第百八話 修羅
修羅がいた。
穏やかなそよ風が、丈の短い草を揺らす秋の午後。
砕け散るガラスの音が安寧を掻き乱して、戦端が開かれた。
クルスとアネモネの二人が、それぞれに、停車していた高機動車輛、『犀』の御者席へと襲い掛かったのだ。
まずは足止め。
車輛で強引に突破されては元も子も無いのだ。
先頭の二両の御者を倒して足を止め、クルスは剣を、アネモネは鉄の拳を引き抜いて、車両後部の乗降口から飛び出してくる魔女達を見据え、雄叫びを上げてそちらの方へと飛び掛かる。
まさに特攻。
無謀とも思える二人のその行いには、無論狙いがある。
二人の魔法は共に、近接戦闘向きの魔法。
距離をとって遠距離攻撃魔法を使われては、手も足も出ないのだ。
敵の只中、その死地に飛び込んでこそ浮かぶ瀬もある。
二人にはそれが分かっていた。
密集する敵のど真ん中に飛び込めば、味方を巻き込む事無しに大規模な攻撃魔法を使うことなど出来はしない。
そして一対多。
一見無謀にも思えるその振る舞いは、実は理にかなっている。
複数の人間で一人を相手取ることは難しい。
何より味方が邪魔になって、一人ひとりが思う通りには動けなくなるのだ。
クルスが宙空に浮かんだ剣の一本を掴みとって、敵の真っただ中へ切り込んでいくのを横目に、アネモネは目の前の魔女を殴り倒し、車両の薄い鉄の幌の上へと駆け上がった。
彼女の重みに鉄の幌が撓み、ゆらゆらと足元が揺れる。
「うおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ!」
やはり同じ血が流れているのだろう。
ラデロそっくりの獣のような雄叫びを上げて、アネモネは幌の上へと拳を叩き込み、勢いのままに開いた穴から車輛の内側へと飛び込む。
車両後部の乗降口。
車輛から降りるべく、そこに殺到していた魔女達の背後に、轟音と共に悪鬼のような形相の狂戦士が落ちてくる。
薄暗い車輛の内側。
余りのことに慌てふためくジグムント要塞の魔女達。
「だ、第二階梯、火炎と……」
「第一階梯 鉄化ッ!」
慌てて炎の剣を展開しようとした魔女の首が、音を立ててへし折れる。
即座に鉄を足に纏わせたアネモネの、渾身の回し蹴り。
潰れた蛙の様な悲鳴とともに、魔女は側面の幌を突き破って、車両の外へと投げ出された。
「まだまだッ! こんなものでは何の試練にもなりません!」
アネモネは拳を構えて周囲を威嚇しながら、犬歯をむき出しにする。
だが車輛の内側へと突っ込んだのは失敗だった。
それは若さゆえ、実戦経験の浅さゆえ。
「怯むな! 少々周りを巻き込んでも構わん! 魔法を撃て!」
「た、退避!」
幌の外側から聞こえた声に、アネモネの周囲にいた魔女達は我先にと、後部の乗降口を目指して駆け出した。
「しまっ……」
思わずアネモネの口から、焦りが声として零れ落ちる。
視界が瞬時に真っ白に染まる。
轟音と共に凄まじい衝撃。
火炎系統の第四階梯『爆裂』が次々と車両へと着弾し、数人の魔女達を巻き込みながら炸裂する。
車輛の側面に着弾した炎の塊は、薄い金属の幌を紙の様に引き裂いて、爆炎がアネモネのいる荷台の上を嬲った。
「あーらら」
クルスは眼の端で、黒煙を上げて燃え上がる車両を捉えながら、手にした剣を無造作に振るう。
余裕ぶってはいるが、彼女にもアネモネの事を心配している余裕などないのだ。
土属性の魔女がいるのだろう。
地面から槍の穂先の様に突き出してくる土を悉く剣で砕き、飛来する炎を、雷撃を、次々と弾きながら、逃げ惑う敵を追って剣を振り回す。
「オメエらも人喰いクルスの名ぐらい聞いたことあるだろうが! 喰われたいヤツからかかってきやがれ!」
クルスが啖呵を切った途端、濛々と立ち昇る黒煙の中から、アネモネがよろよろと這い出して来た。
全身煤に汚れ、血塗れ。
何より痛ましいのは、彼女の右腕の肘から下が無くなっていることだ。
どうやら『爆裂』をまともに喰らったらしい。
切断面を鉄に変えて止血してはいるが、相当痛むのだろう。
彼女の表情は、苦痛に歪んでいる。
「ははっ、アネモネ嬢ちゃん! いい格好だな、オイ。ちっとは軍人らしくなったじゃねえか」
「え……ええ……すばらし……い試練です。痛みに耐えながら戦う……良い訓練になります」
「どエムかよ!」
状況に似つかわしくも無い軽口を叩きながら、クルスは目の前の魔女の胸を刺し貫き、その体を蹴り倒して剣を引き抜く。
だが、幾ら傷ついていようとアネモネの方にも、敵は容赦なく襲い掛かってくる。
いやむしろ、傷ついているからこそ勢いづいて襲い掛かってくるのだ。
剣系統の魔女だろう。
剣を手にした魔女達が三人、アネモネの方へと殺到してきた。
アネモネは突き出される剣を、残った鉄の左腕で払いながら、じりじりと後ずさる。
だが、彼女はただ後退っていた訳ではない。
足元に横たわっているのは、吹っ飛ばされた鉄の幌の残骸。
それを力任せに蹴り上げる。
苦し紛れ。
アネモネの行動は、彼女を追い詰めていた魔女達の目には、そう映った事だろう。
だが、
「第二階梯 鉄細工ォオオ!」
アネモネのその叫びと共に、蹴り上げられた幌の残骸が、宙空で生物の様に蠢いた。
そして彼女の失われた右腕の先に、シュルシュルと音を立てて巻きつき、円錐形を形作る。
その形状は、まるで馬上試合で使われる突撃槍。
予想外の出来事に顔を引き攣らせる魔女達、嗤うアネモネ。
「突撃!」
彼女は腰だめに右腕の突撃槍を構えると、跳ね飛ぶように敵の一人へと突進する。
慌てて背を向けて逃げ出そうとする魔女。
それを背中から一突き。
「きゃああああああああああああああ!」
弓なりに反る背中と断末魔の叫び声。
傷口から溢れ出た血が、アネモネの頬を汚した。
だが、反撃もそこまで。
彼女は武器の選択を誤った。
魔女の身体を貫通した突撃槍を引き抜く前に、背後から他の魔女が組み付いてくる。
慌てて肘うちを打ち込むも、あまりにも態勢が悪い。
「ぐっ……ぎっ……!?」
次に上がった悲鳴はアネモネのものだった。
肋骨の間に、差し込まれる冷たい感触。
「よくもやってくれたなぁ! 死ねぇえ!」
背後から組み付いた魔女が大きく目を見開きながら、アネモネの脇腹に突き刺した短剣をグリグリと捩じり上げる。
剣の動きに合わせて、アネモネの視界が明滅する。
やがて、意識が遠ざかり始め、黒目がぐりんと上を向いて、彼女は膝から崩れ落ちた。
「あーあ、くたばっちまいやがった。情けねぇな、アネモネ嬢ちゃんよぉ」
クルスが呆れ顔で溜息を吐く。
それは、彼女が周囲の敵のほとんどを打ち倒し、次の敵を求めて移動しようと肩に剣を担いだ矢先の事。
まあ、しかたが無い。いくらアネモネが王立士官学校を主席で卒業した秀才だとは言っても、新兵にコレは過酷すぎる
クルスが思わず苦笑した途端、その目が大きく見開かれた。
突然、襲い掛かって来た衝撃。
凄まじい悪寒が彼女の身体を駆け抜ける。
「な……なんだ?」
ゆっくりと視線を落としていくと、彼女の腹部。
そこにはぽっかりと大きな風穴が開いていた。
「ちっ……出てくるのが……早いぜ、大将……」
クルスがそう呻くのと同時に堰を切ったかのように、勢いよく血が噴き出した。
血だまりの中に倒れ込みながら、クルスは虚ろな目で、目の前の『犀』の車体の上を見上げる。
そこに仁王立ちする人物。
それは、女とも思えないほどの筋骨隆々の身体、太い手足。
顔立ちははっきり言って地味で、唇は薄く、団子鼻。
目は点の様に小さい。
「この不細……工め……」
その負け惜しみの様な一言を最後に、クルスの意識は途切れた。
◆◆◆
二人の姿が地に沈んだのを確認して、マテルはシュゼットの方へと振り向いた。
「マルゴット卿……なるほど、まさに狼です。よくもやってくれたものですよ。こちらの被害は犀三台と恐らく死傷者は二十人は下らんでしょうな」
不愉快そうに顔を歪めながら、マテルはシュゼットを観察する。
だが、その表情に焦りの色は全くない。
益々不愉快になって、マテルは言葉を吐き捨てる。
「こちらの足を止められればそれで良いとお思いなのでしょうな。確かに破損した『犀』を避けて行軍を開始しようとすれば一時間ほどもかかるでしょう。だが、『無窮』は無傷、二人の優秀な部下を失って一時間を稼ぐのが精一杯とは、全く愚かな事ですな」
だが、その一言にシュゼットは、大きな口を開けて笑った。
「ははは、まったく貴殿の仰る通り、情けの無い連中です。もう少し頑張ってくれるものだと思ったのですがね。だが、まあ、次はもう少しちゃんとやるでしょう」
「次? はっ、馬鹿馬鹿しい。今度はアナタが突撃するとでも?」
「ご冗談」
そう言うと、シュゼットは眼を伏せて、ぼそりと呟いた。
「第五階梯『時の楔』を解除する」
次の瞬間、『盾亀』の前に、死んだはずの二人が立っていた。
マテルは思わず目を見開いて、背後を振り返る。
濛々と立ちこめる黒煙と傷ついた魔女達の呻き声。
幻ではない。先ほどの戦闘は確かにあった。
だが、まるで何事も無かったかの様に、何の違和感もなくクルスとアネモネがそこにいるのだ。
二人だけに対象を絞って掛けられた時間系統の第五階梯『時の楔』。
それが解除された結果であった。
「全く情けない……あっさり死ぬなバカ者」
シュゼットが吐きすてる様にそういうと、アネモネが「申し訳ありません」と項垂れ、クルスが憮然と頬を膨らませる。
「ちょっと油断しただけだ。今度こそペネロペの大将の、あのレンガ面を歪めてやるさ」
「だからバカ者だと言ってるんだ! 目的が違うだろう! 『無窮』の破壊が最優先だろうが! 今度はちゃんとやるんだぞ、『時の楔』は、あと二回が限度なのだからな」
「へいへい、わーってますよ、まあ、あと二回も死ねるんだったら余裕だろ」
唖然とするマテルを放置して、クルスとアネモネは再び戦場へと足を踏み出した。