第百六話 行く手を阻むもの
今回は少し長めです。
王宮の最奥。
金で彫刻された扉が、その豪奢さとは裏腹な無骨な音を立てて開き、ドレスの長い裾を引き摺って、女性が一人廊下へと歩み出てくる。
高く編み上げた髪に秀麗な顔立ち。
青いその瞳に、決意を宿したこの国の主、女王マルグレテであった。
「陛下! 陛下! お待ちを!」
彼女の後を縋りつく様に駆け出てきたのは、ローブを纏った白髪交じりの筆頭宮廷魔術師ローレン。
女王マルグレテは、ピタリと足を止めると、煩わしげに彼女の手を振り払った。
「ローレン! これがじっとしていられますか!」
「いや、しかし!」
「しかしも、かかしもあるものですか! 私の一言で、このくだらない争いを終わらせられるのです。この間にもこの王都の民草の命が失われているのですよ!」
「早まりますな、陛下! あの少年がシュヴァリエ・デ・レーヴル様の再来だと決まった訳ではないのです。王権の移譲を宣言するなど、拙速にもほどがあります」
女王の行く手を阻む様に回り込んだローレンは、大げさに身振りを加えて訴えた。
だが女王は、そんな彼女を冷ややかな目で眺めると、鼻先へと指を突きつける。
「アナタの方こそ現実を御覧なさい! その少年をシュヴァリエ・デ・レーヴル様だと奉じるものが、王権を彼に委ねよと迫ってきておるのです。元より私は白百合の儀にて、王権を彼に委ねるつもり、これは只の誤解による争い。その誤解を解くことに、何の問題がありましょうか!」
女王はちらりと窓の方へと目を向ける。
街中では、いたる所で黒煙が立ち上っている。
王宮周辺はまだ無事の様だが、戦火は着実に近づいていた。
だが、その時、
「問題は無くとも手遅れじゃよ、陛下」
廊下の向こう側から、年老いた女性の声がして、女王はローレンの肩越しにそちらの方へと目を向けた。
「ジェコローラ! フルスリール!」
総白髪の小柄な老婆と、穏やかそうな丸顔の女性が正面から歩いてくるのが見える。
ジスタン公とペルワイズ公。
女王の後ろ盾ともいうべき、三大貴族のうち二人である。
「手遅れとは、どういうことです」
ジスタン公の一言に、女王の眼光が鋭さを増す。
ジスタン公が、それを気おくれする様子も無く受け止めると、その隣のペルワイズ公が一歩前へと進み出た。
「私が説明させていただきますわ、陛下。件の少年はブルージュ男爵の屋敷に滞在しておった様ですが、それをミュラー家の兵が襲ったのです」
「バカな! マルゴの第十三小隊が、既に到着しているとは報告をうけておりませんわ。到着していれば、官舎に滞在している筈でしょう?」
「陛下、地位のある立場の者のところへ上がってくる情報は、常に何人もの人間に選択されたものじゃよ。その間に必要ない物として切り捨てられたか、意図的に目隠しされたかは分からんがな」
ジスタン公が静かにそう告げると、ペルワイズ公が頷き、改めて話を続ける。
「この原理主義者の蜂起は、それを見越して仕組まれたもの。件の少年は、既にミュラー家によって殺されているか、原理主義者に担ぎ上げられているか……」
「なぜミュラー家が彼を襲うのです。ジョセフィーヌは! ミュラー公は、なぜこんなことを!」
ローレンを押し退ける様にして、ペルワイズ公へ詰め寄る女王に、ジスタン公は静かに告げる。
「陛下……残念じゃが、ジョセフィーヌは既に亡くなっておる」
「ッ!?」
女王は、思わず息を呑んだ。
「やつの後を継いだ愚かな娘が、何者かに良い様に利用されて、この戦乱を引き起こしたのじゃよ。それだけではないぞ。用意周到な事に今や、マルゴ要塞も、ジグムント要塞も王国に、いや陛下……マルク王家に対して、叛旗を翻しておるのじゃ」
東西の要塞が敵になったというのであれば、この国の兵の大半が敵に回ったも同然、盤面は既に詰みの様相を呈していた。
「さて、陛下。もし件の少年が既に命を落としておったとしても、次にシュヴァリエ・デ・レーヴル様が現れる日の為に、御身に流れる目印の血を、その血に宿る『世界』の系統魔法を、後世へと引き継いでいかねばならぬのじゃ。例えそれが民草を、この国を犠牲にしたとしても」
思わず顔を蒼ざめさせる女王を見据えて、老婆――ジスタン公は決意を促す。
言葉を失ったままの女王に、ペルワイズ公が囁きかけた。
「事ここに至っては、是非もありません。兵を束ねて一点突破で王都を脱出し、我がペルワイズ家の領地にて、新たに兵を募って捲土重来を期すべきです」
◆◆
一方その頃、東側から王都へと続く街道では、十四台もの大型高機動車輛を前に、二人と一台の車両が道を塞いでいた。
俄かに強くなった風を嫌って、クルスがその乱れた髪を掻き上げると、大型車両の群れの中、一人の魔女が先頭の車両の後部から降り立って、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。
「貴様ら、ブルージュ男爵の使者か?」
訝しげな表情で近づいてくるのは、二十代半ばほどの魔女。
青味がかった肩までの銀髪。
切れ長の鋭い目つきが、性格のキツさを伺わせる。
「使者? 使者ねぇ……まあ、そう思うわな」
クルスは思わず苦笑する。
普通なら、十数台もの軍用車両を、道の真ん中で待ち受けているものが敵ならば、無謀を通り越して頭がおかしい。
クルスの不遜な態度に、その女性が不快げに目を細めた途端、
「マテル少佐」
クルスの背後から、シュゼットが声を発した。
マテルはシュゼットの姿を見つけた途端、歩みを止めて身構える。
「これは、これはマルゴット卿。マルゴット家は王権護持を掲げている筈ですが、まさか家を捨てて、こちらに味方していただけるということは……ありませんよね」
マテルはあらためて周囲を見回す。
見通しの良い平地。
目の前の意味の分からないずんぐりとした車輛。
その前に立っている二人の魔女の他には、兵の姿は見当たらない。
「当然だな。それはあり得ない。だがマルゴットの家も関係ないな。私はただ、職務を果たしに来ただけだ。王国の軍人が王都を守る。至極、当然のことだと思うがな」
その瞬間、マテルの表情に蔑みの色が浮かぶ。
「我々が賊で、あなたは正規軍だと? ははっ! 愚かな。目を見開いて情勢を見極めてはどうか? 正統な王に王座を返す。正義は我々にあり、シュヴァリエ・デ・レーヴル様が王座に着かれた後には、あなた達こそ簒奪者の片棒を担いだ賊となるのだぞ」
「残念ながら、あなた達のいうそのシュヴァリエ・デ・レーヴル様は、王座など欠片も望んでいないのでな」
シュゼットはそう言い放った後、小さく肩を竦める。
可笑しな話だと思う。
敵味方、どちらもシュヴァリエ・デ・レーヴルの為に、戦おうとしているのだ。
「ハッ! 世迷言を。その人数で何ができるというのだ!」
マテルは鼻先で笑うと、背後を振り向いて声を上げる。
「かまわん、押しつぶしてやれ!」
その時、シュゼットが嘲弄する様に口を開いた。
「平穏とは罪なものだな。マテル殿は優秀な軍人と聞いていたのだが、ジグムントで犬の群れを率いている内に、目の前にいるのが、犬か狼かの区別もつかなくなったらしい」
途端に、マテルの両脇を二つの影が、閃光の様に駆け抜けた。
「なっ!?」
クルスとアネモネ。
二人はマテルが声を洩らした時には、既にアイドリングしている『犀』の傍にまで肉薄している。
「いくぜ、アネモネ嬢ちゃん! 第一階梯! 『剣の舞』」
「はい! クルス大尉! 第一階梯 『鉄化』!」
クルスが自身の身体の周りに十本もの剣を発現させ、アネモネは自らの拳を鉄へと変える。
そして二人は、間髪入れずに、それぞれ『犀』の御者席へと襲い掛かった。
突然突っ込んでくる二人に、御者席にいた魔女達は一様に顔を引き攣らせる。
慌てて魔法を発動させようと口を開くも、もう遅い。
二台の『犀』で正面の窓が砕け散る。
一台の御者席には、剣の雨が降り注ぎ、もう一台の御者席、そこにいた魔女が最後に目にしたものは、鋼の拳だった。
◆◆
「レオさん、屋上に出ます。しっかり掴まっていてください」
「は、はい!」
壁から壁へと斜めに跳び続けていた二人が、真っ赤な空へと飛び出して、床の上に浮かんだ影が、近づくにつれて大きくなって、彼らはその上へと着地した。
「くっ……」
「だ、大丈夫ですか!?」
着地と同時にレオが呻いた。
どれだけ上手く着地したとしても、全く衝撃が無い訳ではない。
ましてやレオは、本来であれば、安静にしていなければならない身体なのだ。
「レオが申し上げます。大丈夫です。心配は要りません。少し休めば収まります……から」
「わ、わかりました」
ヴァンは心配そうな表情のまま、腰に巻いた上着を外して、レオを背中から下ろす。
脇腹を押さえて、その場で蹲るレオを眺めた後、
「な……なんだ、これ」
ヴァンは周りを見回して、思わず呆然とした表情で呟いた。
そこにあったのは、建造物の屋上というには、余りにも違和感のある光景。
まるで廃墟の様だった。
外壁は一部を残して崩れ落ち、フロアのそこら中に崩れ残った壁と、瓦礫の山。
まるで大災害の直後の様に荒れ果てていたのだ。
「こんなところに……出口があるのかな」
彼らは元の世界への出口を探して、ここまで来た。
出口があるとすれば最上階。
勝手にそう思いこんで、ここまで登ってきたのだが、この様子ではそれもずいぶん怪しくなってきた。
「レオさん、ここで少し待っていてください」
「レオが申し上げます。大丈夫です。レオのことは心配しないでください」
ヴァンは一つ頷くと、その場にレオを残して、壁の崩れた通路を歩き始める。
天井の無い通路は、まるで貴族が戯れに、庭師に造らせる庭園迷路のようで、どう考えても通常、屋上と呼ぶものとはかけ離れている。
ここは、屋上ではなく、その一つ下。
天井が崩れ落ちた後の、最上階なのかもしれない。
そう考え始めたところで、彼は塔の入り口とは逆方向、いわゆる裏側の外壁へと辿り着いた。
崩れ落ちた壁の向こう、遥か彼方に赤土の山が見える。
赤い空を背景に、それに溶け込む様に聳え立つ赤い山。
樹木の一本すらない。巨大な盛り土のような山だ。
おそらくアレが、レオが最初に落ちたという山なのだろう。
ヴァンはそこからゆっくりと、下の方へと視線を下ろしていく。
赤い大地には、塔の影が長く伸びている。
…………。
最初はそう思った。
だが、その瞬間、
『昇る太陽も無く、沈む月もない』
レオのその言葉がヴァンの脳裏を過る。
思わず、ハッ! と息を呑むと、彼は背後の空を振り返った。
無論、そこに太陽はない。
赤い空が満遍なく淡い光を放っているだけだ。
――どうして、影が伸びている!
崩れた壁面へと飛びつくように、再び下を覗き込んだヴァンは、思わず呻く様な声を上げた。
「そんな……」
影に見えたのは、瓦礫の山。
それは、本来この上に続いているべき上層階。
大地に横たわっていたのは、真っ二つに折れた塔の残骸であった。