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第百四話 溝の数を数えてみれば。

「う、ううん……あ、れ?」


 レオは薄らと目を開くと、寝ぼけまなこをゆっくりと(こす)った。

 

 なんとなく感じる違和感。


 それが何なのかを、ぼんやりとした頭で考える。


 自分の頬の下にあるのは、くしゃくしゃに丸めた上着。


 ヴァンの姿が見当たらない。


 レオはヴァンの姿を探して、うつ伏せのままに周囲に視線を走らせる。


 やっぱりいない。


 レオは急に不安になって、身体を起こそうと力を込めた途端、思わず飛び上がりそうな痛みが脇腹に走って、眉を(しか)めて(うずくま)った。


 昼も夜もない煉獄。


 この塔の中では、世界が(まばた)きしたのかどうかさえ分からない。


 昨晩という言い方が正しいのかどうかは分からないが、あれからレオは何度もヴァンの唇を求めた。


 長いキスが終わるたび、彼がやっと終わったという様な顔をするのが腹立たしくて、そのたびにあらためて唇を奪いなおしたのだ。


 結局、何時間キスし続けていたのかよく分からない。


 だが、おそらく世間一般の男女の一生分ぐらいは、キスしたんじゃないかなと思う。


 なんだか口の周りがひりひりする。


 正直、どこで意識が途切れたのかもわからない。


 たぶんキスをしながら、意識を失ったのだろう。


 ヴァンはどう思っただろう。


 呆れられたかもしれない。


 相手にしてられない、そう思われたかもしれない。


 思考がそこに至って、レオが思わず表情を沈ませた途端、ギギギと(きし)む様な音が部屋の中に響き渡った。


「あ、目が覚めましたか」


 林立するガラスの筒の向こう側、ドアを開けて、ヴァンが顔を覗かせる。


「レオが申し上げます。どこへ行ってたんです。こんなところで一人にされたら……」


「大丈夫ですよ。この階層と下の階層には何もいませんでしたから」


「レオが申し上げます。そういうことじゃありません。枕が勝手に動いたらびっくりするじゃありませんか」


「あ、まだ枕扱いなんですね……」


 ヴァンは苦笑しながらベッドの脇へと歩いてくる。


 彼は素材の良くわからない、把手(とって)のついた鍋のようなものを両手で抱えていた。


「レオが申し上げます。なんです? それ」


「あ、はい。下の階に水が出る場所があったので、汲みにいってたんです。喉渇いてませんか?」


 渇いている。


 渇いているに決まっている。


 この塔へ来る途中の水場で飲んで以来、一滴も水は呑めていないのだ。


 レオは思わずごくりと喉を鳴らした。


 ヴァンは机の上からガラスの器の様なものを手に取ると、一度それに水を注ぎ、綺麗に(すす)ぐと一旦水を床の上に捨てて、再び水を注ぎ直す。


 だが、


「レオが申し上げます。口移しを希望します」


 レオのその言葉を、表情一つ変えずに全く無視して、ヴァンは笑顔でコップを差し出した。


 むぅ……と唇を尖らせながら、レオはそれを受け取ると、ぴたりと動きを止める。


 ガラスの器を通して感じる、水の冷たさに驚いたのだ。


 おずおずと口をつけると、冷たくてとてもおいしい。


 完全な真水。


「レオが申し上げます。驚きました。こんなものがどこに?」


「すごいでしょ。下の階に泉みたいなのがあったんです。レオさん、きっと喉が渇いてるだろうと思って、そこから汲んで来たんです」


「……レオの為に?」


「はい」


 にっこりと笑うヴァンから、レオはなぜか恥ずかし気に目を逸らした。


「ところでレオさん。身体の具合はどうですか?」


 レオは恐る恐る身体を起こすと、何かを確認する様に手を握ったり開いたりした。


「レオが申し上げます。魔力は半分ぐらいです……ね。第四階梯以上は使えないと思います。それよりも……立って歩くのが厳しそうです。老婆の様に腰を折り曲げた状態なら、歩けなくもないですが……」


 この少年に、そんな恰好の悪い姿を見られるのは耐えがたい……が、身体を伸ばすと折れた肋骨がどこかに擦れて、飛び上がる程痛いのだ。


 最悪、恰好の悪さは我慢するしかない。


「じゃあ、僕が背負っていきます。といっても、上層階へ上がる階段が見当たらないので、どうにもできないんですけどね……」


「レオが申し上げます。それなら大丈夫です」


「大丈夫?」


「はい。そこの壁、溝が途中で食い違っているのがわかりますか?」


「み、溝ですか?」


 レオがベッドから右手の壁を指差すと、ヴァンは訝しげな表情でその場所に目を向ける。


「レオが申し上げます。おそらく、そこが隠し扉になっている筈です」


 ヴァンは思わず目を丸くした。


「すごい! よ、よくそんな事に気付きましたね」


 驚くヴァンに、レオは澄まし顔で顎をしゃくって言い放つ。


「ふふん、レオが申し上げます。キスしている最中も、レオは冷静に周囲を観察しておりましたので。レオはアナタと違って大人の女ですから、キスごときで我を失ったりはしないのです」


 はい、ウソです。


 キスを繰り返す内に、頭が沸騰しそうになって、必死で壁に走っている溝の数を数えている内に気付きました。


 レオは内心ひとりごちる。


「じゃあ、すぐにでも出発しましょう」


「レオが申し上げます。慌てないでください」


 ヴァンが壁の方へと歩みだそうとすると、レオがそれを制止した。


「ここがニ十階だとして、たぶんあと十階層ほどもあります。先々なにがあるかわかりません。ここは色々と物がありそうですから、何か使えそうなものがないか探してみましょう」


「使えそうなもの……ですか……」


 そう言ってヴァンは、手近な戸棚に歩み寄り、扉に手を掛ける。


 そこには瓶に入った様々な色の粉末や液体がずらりと並んでいた。


「なにか……液体とか粉末とか、そういうのはたくさんありますけど……何がなにやら」


 レオは戸棚に立ち並ぶ瓶を順番に眺めていく。


 確かに、どうともしがたい。


 暗殺者であるレオは、多少なりとも薬物の知識はあるが、今、見て分かったのは、右から二番目の水銀と、その隣の硫黄ぐらいのもの。


「他にはどうですか?」


「他……他には……」


 ヴァンは、戸棚の薬瓶並んでいるすぐ下の引き出しを開く。


「えーっと……こんなのがありました」


「指輪と短剣と……首輪の様にみえますが……?」


 どれも銀製の様だが、参加して随分色がくすんでいる。


「あれ? これって……」


 ヴァンには、その指輪がどこかで見たことのある物の様に思えた。


「レオが申し上げます。それを良く見せてください」


 ヴァンがレオにその三つの銀製品を手渡すと、レオはそれをまじまじと眺める。


「レオが申し上げます。どれも僅かですが、魔力を帯びている様に見えます」


「魔力?」


「魔力を帯びてる以上のことは分かりませんけど……レオが申し上げます。この指輪はレオが貰っても良いですか?」


「え……あ、はい」


 ヴァンが頷くと、レオは机の上へと手を伸ばし、紙束から三枚ほど紙を引き抜いて、その指輪を包んだ。


「レオが申し上げます。どんな魔法を帯びているか分からない内は恐ろしくて身に着けられませんけど、うふふ……アナタからのはじめてのプレゼントです」


 紙にくるまれた指輪を、愛おしそうに胸に抱くレオを眺めながら、ヴァンはなんとも複雑な表情をした。


「……じゃあとりあえずあとの二つは、僕が持っていますね」


 そう言うと、ヴァンはボトムスのベルトに短剣を差して、それに首輪を引っ掛ける。


「じゃあ、行きましょう」


 彼はレオの傍に歩み寄ると、彼女を背負って慎重に立ち上がる。


 そして例の壁の前で、レオはヴァンの肩越しに手を伸ばし、探る様に溝に指をかけた。


 ――たぶん、これで開くはず。


 彼女が少し力を込めると、壁面があっさり横にスライドした。


「ほんとに開いた……」


「ふふん」


 ヴァンがぼそりと呟くと、レオが得意げに鼻を鳴らす。


 壁面の向こうを覗き込んでみれば、そこには人が二人並んで歩けるぐらいの薄暗い通路が奥へと真っ直ぐに続いている。


 そして、その奥の方から、赤い光が洩れているのが見えた。


 レオと頷きあうと、ヴァンは通路へと足を踏み入れる。


 他の通路とは違って、側面の壁には溝が無く、黒一色ののっぺりとした素材。

 

 そこには、奥の方から漏れてくる赤い光の他に光源は無く、どこかおどろおどろしい雰囲気が漂っていた。


 そんな通路を、こつこつと響く自分の足音を聞きながら、レオを背負ったヴァンが先へと進む。


 そして、


「なんだ……これ」


 通路が尽きた先、少し広くなった場所に足を踏み入れて、ヴァンは思わず呟いた。


 そこには、上から降り注ぐ赤い光の中に、何かの残骸があった。

 

 形は人が三人ほども入りそうな鉄の箱。


 上からとても太い鉄を束ねて作った様なロープが、途中で千切れて垂れ下がっている。


 それは、まるで高い所から落ちたみたいに、下部はひしゃげて床にめり込み、床も大きくひび割れていた。


 そして、その鉄の箱の脇には、いくつもの滑車を組み合わせた仕掛けのようなものが鎮座している。


 強いていうなら、マセマーの整備作業を手伝った時に見た、高速車輛の中身に少し似ている様な気がした。


「レオが申し上げます。上を……」


 レオの指先を目で追って、ヴァンが上を見上げると、そこには長い長い吹き抜け、そしてその向こう側には赤い色が見えた。


 ――空?


 それは紛れもなく、煉獄の赤い空。


 どうやら、この吹き抜けは屋上まで続いているらしかった。


「この縦穴を抜ければ、一番上まで一気に抜けられそうですが……」


 レオにはこの残骸がどういう使われ方をしていた物なのか、大体想像がついていた。


 単純な仕組み。


 滑車でこの箱を引っ張り上げれば、上層階まで一気に昇ることが出来る、そういう仕組みだ。


 だが、その仕組みも今となっては、ただの残骸でしかない。


「参りました……」


 指を掛ける溝すらない、数十メートルにも及ぶ吹き抜け。


 それを登る手段など、レオには想像もつかなかった。


 だが、しゅんと眉をハの字に下げたレオを眺めて、ヴァンはなぜかニコリと微笑む。


 彼は、不思議そうな顔をするレオに、


「レオさん、例えばですけど……僕が手を離しても、しばらく僕の背中にぶら下がっていられますか?」


 そう言った。


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