第九十九話 振り向かせたい男
※ガルグイユ=英語で言えばガーゴイルですね。
爆音とともに、悪魔の肩から上が、粉々に飛び散った。
膨大な量の熱線が降り注ぎ、十五階のフロアはヴァンとレオの周囲を除いて、さながら、火を入れた石窯のごとくに熱を帯びる。
黒煙の中に、首の無い異形の彫像が立ち尽くしている。
弾け飛んだ首の断面は、そこから血が流れるわけでも無く、中の中まで黒曜石。
どうやらこの化け物はパイロスの様な、肉体を持つ悪魔ではなく、それを象った、動く彫像ということらしかった。
「あ、レオが申し上げます。聞いたことがあります。こういうのを出オチと言うんです」
「出オチって……まあ、こちらには、相手が攻撃してくるのを待つ義理はない訳ですし……」
レオの気の抜けた様な物言いに、ヴァンは思わず苦笑する。
しかし、威力を抑え気味にしていたというのに、『荷電粒子爆発』のこの威力。
見た目に悪魔の素材は、塔の外壁と同じ物の様に見える。
ということは、至近距離で爆発してしまえば、塔の外壁すら破壊してしまいかねない。
この十五階フロアのどこにも柱が見当たらないということは、外壁がこの塔の全重量を支えているという事に他ならないのだから、連発すれば、この塔を倒壊させる危険すらある。
そう思えば、よく一発で倒せたものだと、ヴァンは思わずホッと胸を撫でおろした。
「行きましょうか」
「はい」」
レオが頷くと、二人は階段に向かって歩き始める。
背後でギシギシと言う音がして、二人が振り向くと、首を失った悪魔の身体がフラフラと揺らいでいる。
そのまま、前のめりに倒れていく――かと思ったその瞬間。
悪魔の鳥のような足が、一歩前へと踏み出して、その場に踏みとどまった。
「っ!?」
思わず息を呑む二人の目の前で、首の無い悪魔が胸を反らす。
まるで雄叫びを挙げているかの様な姿勢。
その途端、断面がブクブクと泡立つと、ズボッ! という音を立てて、弾け飛んだ筈の首が再生した。
ウヴォヴァアアアアアァアアアアアアアァアアアアアア!
フロアに響き渡る奇怪な叫び声。
喉を反らせて、絶叫するヤギの頭。
これには流石に、ヴァンとレオも目を見開いた。
「レ、レオさん! 急いで! このフロアから脱出しましょう!」
「わ、わかりました!」
頭を失っても再生するというのであれば、幾ら倒しても限が無い。
二人は、慌てて階段の方へと駆け出し始める。
だが、悪魔は翼をはためかせると、その体格から想像もつかないような速さで、二人の方へと突っ込んできた。
「レオさんっ!」
「きゃっ!」
ヴァンは咄嗟にレオに飛びつくと、それを押し倒す様に転がって、ギリギリで悪魔の一撃を躱す。
「荷電粒子爆発!」
レオを抱え込んで床に転がると、ヴァンはすかさず魔法を行使する。
途端に、悪魔の行く手に光球が出現し、悪魔はそのまま光球へと突っ込んだ。
どろどろに溶けた光が、飛び散って周囲の景色が真っ白に染まる。
至近距離どころか直接光に接触した悪魔の身体は音もなく瞬時に掻き消え、僅かに足首だけが、最後に一歩進んで止まった。
そして、バックブロー――遅れてやってきた爆風に、ヴァンはレオを抱き抱えてフロアにしがみつき、レオは彼の腕の中で、頭を抱えて縮こまる。
だが、吹き荒れる爆風と黒煙の中で、床に転がった悪魔の足首が不自然に跳ねると、その断面がボコボコと泡立ち、次第に全身を形作り始めた。
「うそ……でしょ」
思わずヴァンが、呻くような声を洩らすと、再生を終えた悪魔が、
ウヴォヴァアアアアアァアアアアアアアァアアアアアア!
と、喉を反らして、奇怪な叫び声をあげた。
あの状態から再生するなんて。
しかも、さっきよりも段違いに再生速度が速い。
ヴァンはぎりりと奥歯を噛みしめる。
「次は、塵も残さず消滅させます!」
振り上げようとしたヴァンの腕を、レオが飛びつく様に押さえつけた。
「ダメです!! レオが申し上げます。あなたは先に向かってください。レオがこの化け物を足止めします」
「どうしてです。こんどこそ消滅させてみせますから!」
「レオが申し上げます。同じ事をなんど言わせる気ですか、あんなのを何発も打てば崩落を起こします。見てください! 今の爆発で既に外壁にヒビが入っています」
レオの指し示す方へと目を向ければ、確かに外壁の一部に蜘蛛の巣のようなヒビが走っていた。
「でも……」
「でもも、だっても、ありません! レオが申し上げます。あなたが上層階まで辿り着いたら、レオは後を追いかけます。レオ一人なら、逃げる事など造作もありません。最悪の場合でも、第六階梯で稲妻化して、アナタの後を追います。心配いりません」
ヴァンは逡巡するような素振りを見せた後、小さく頷いてレオを見据える。
「わかりました……でも……無理はしないでください」
「レオが申し上げます。アナタがレオの無事を願ってくれるなら、レオはきっと大丈夫です。神のご加護があるのですから」
「また神様ですか……」
ヴァンが思わず肩を竦めると、レオは可笑しげにクスリと笑い、そして、ヴァンの背を叩いて急かす。
「さあ、行ってください! 急いで!」
階段はすぐ先。
ヴァンが階段を駆け上がり始めると、
ウヴォヴァアアアアアァアアアアアアアァアアアアアア!
悪魔はギリギリと首を動かし、ヴァンを見据えて咆哮した。
「レオが申し上げます。化け物! レオが相手をして差し上げます」
だが悪魔は、レオには目もくれない。
前傾姿勢をとって蝙蝠の翼をはためかせると、階段を駆け上がっていくヴァンの方へと一気に加速し始める。
フロアの内周を周回する階段は、少々登ったところで、未だに悪魔の手の届く範囲。
階段ごと叩き潰そうとするように悪魔は大きく腕を振り上げて、ヴァンへと迫った。
「させません! 第四階梯 雷神の槌ァアアア!」
レオの絶叫と共に、高く掲げられた悪魔の腕に、宙空から巨大な雷が落ちる。
衝撃波が部屋の空気をビリビリと震わせ、ガルグイユは弾かれるように後退った。
だが、悪魔の腕にはひび一つ入ってはいない。
第四階梯の魔法でも、悪魔を弾き飛ばすのが精一杯。
悪魔は、未だに腕に纏わりつく紫電を払う様に、ブン!と腕を振るうと再び動き始めた。
だが、その間にもヴァンは階段を駆け上がっている。
螺旋状に塔の内周に張り付いている手すりのない階段を、必死の形相で駆け上がっている。
再び動き出した時には、既に悪魔が手を伸ばしても届かない位置まで登っていた。
レオはふうと息を洩らす。
とりあえずは一安心。
先ほどから、この悪魔は翼をはためかせてはいるが、僅かに宙を浮く程度でしかなかった。
高く飛べるわけではない。
レオはそう見切っている。
「レオが申し上げます。アナタの相手は、レオだと、そう言っています!」
だが、やはり悪魔は、レオには眼もくれない。
再び動き出した悪魔は、そのまま外壁へと突っ込むと、壁面に爪を立てて、器用にも登攀し始めた。
「レオが申し上げます。行かせません。つれない男は一人で十分なんですよっ!」
レオは背後から悪魔に飛び掛かると、その背にしがみつく。
必死に悪魔の背をよじ登り、首に腕を回して、全体重を掛ける。
だが、相手は彫像なのだ。
幾ら首を絞めたところで窒息するわけでもなく、女の子が、少々体重を掛けたところで、びくともする筈がない。
だが、そんなことはお構い無し。
「レオが申し上げます。落ちろ! 停まれ! 落ちろ!」
レオは、拳でガンガンと悪魔の頭を殴りつける。
だが、それこそ無駄というもの。
岩を殴ってるのと変わらない。
血がにじむのはレオの拳だけで、悪魔の方は小動もせず、ガシガシと音を立てながら、壁面の溝に爪を掛けて、真っ直ぐにヴァンを追いかけて上へと登っていく。
――このままでは……。
レオは、壁面の溝にかかった悪魔の爪へと目をやると、
「第三階梯! 雷撃!」
悪魔の爪、を狙って魔法を発動する。
彼女の魔法は寸分の狂いも無く悪魔の爪を撃ち抜いた。
だが、何も変わらない。
僅かに紫電の纏わりついたままの爪を立てて、何事も無かったかのように悪魔は上へ上へと上り続けていく。
レオは唇を噛むと、更に魔法を唱える。
「第三階梯! 雷撃!」「第三階梯! 雷撃!」「第三階梯! 雷撃!」
それは、馬鹿の一つ覚えともいうべき愚直な攻撃。
だが、雨粒も数十年かければ岩をも穿つという。
「第三階梯! 雷撃ォオオオオッ!」
遂に、僅かではあったが、悪魔の爪の先が砕けた。
その瞬間、表情の無い悪魔が、一瞬驚愕するかのように身を震わせる。
そして、まるで溺れる子供の様に腕を伸ばして、手近な階段を掴んだ。
だが、階段は、黒曜石とは言っても、壁面に比べれば薄い一枚板。
それは悪魔の体重を支えきれずに、途中から真っ二つに折れた。
悪魔の身体が壁面から剥がれ、背中からフロアへと落下する。
同時にレオは悪魔の身体を蹴って跳躍すると、蜻蛉を切ってフロアに着地した。
レオの目の前で、悪魔がフロアに叩きつけられ、石同士のぶつかる硬質な音が響き渡る。
「レオさん!」
その瞬間、頭上からヴァンの声が降ってくる。
既に、ヴァンは階段の最上部近くにまで到達している。
一瞬、ヴァンが階段を降りようとする素振りを見せると、レオは声を限りに叫んだ。
「レオが申し上げます。とっとと上へ上がってください! 邪魔! 邪魔! 邪魔なんです! 馬鹿ですか? 馬鹿なのですか? あなたが逃げ切ってくれないと、レオも戦闘を切り上げて逃げられないのが、分かりませんか!」
「ご、ごめんなさい!」
思いもかけない辛辣な物言いに、ヴァンが慌てて階段を駆け上がり、上層階へと消えてしまうと、フロアに倒れ込んだままだった悪魔がビクンと身体を跳ねさせる。
そして、ギシギシと音を立てて起き上がると、
ウヴォヴァアアアアアァアアアアアアアァアアアアアア!
レオの方へと顔を向けて咆哮を上げた。
真っ直ぐに自分へと向けられたプレッシャーに、レオの背中を冷たい物が走り抜ける。
レオは額の汗を拭うと、
「レオが申し上げます。やっとこっちを振り向いてくれましたか。本当に振り向いて欲しい男性はアナタではありませんが、まあ、仕方ありません」
自嘲する様にそう言った。