第十話 裏切り者がいる。
「はあ……」
リュシールがこめかみを押さえて、溜息を吐いた。
胸が揺れた。
呆れたという雰囲気がにじみ出る揺れ方だった。
シュゼットの執務室。
執務机に腰かけるシュゼットの両側に、ラデロとリュシール。
その目の前には、第十三小隊ロズリーヌ班の三人が、背筋を伸ばして整列している。
「本当に、あなた達はいつもいつも……命令は無視する癖に、何かしら成果を上げてくるから叱りにくくて困るのよぉ」
「あはは、お褒めに預かり光栄でーす」
「褒めてません!」
あまりにも能天気なノエルの発言に、珍しくリュシールが声を荒げ、ラデロとシュゼットは目を見合わせて苦笑する。
「まあまあリュシール。命令無視の件は、後で第十三小隊の方でやってもらうとしてだな。君達の捕えた男が、なかなか聞き逃せない情報を持っていた」
「まあ、どんな情報ですの?」
ロズリーヌが興味深々と言った様子で、目を輝かせる。
「聞くかね? ここからは機密扱いだ。情報が漏洩した場合には問答無用で君等を処罰することになるが、それでも良いなら話しても良いがね」
シュゼットが悪戯っぽい表情でそう言うと、ロズリーヌとベベットは目を見合わせて頷く。
二人はノエルの方へと向き直ると、
「ノエルさんは、先に部屋に帰っておいてくださいませ」
「帰れ」
そう言った。
「ええっ!? そんなぁ、ボク誰にも言わないよぉ」
ノエルが思わず不満げに声を上げると、ロズリーヌはその鼻先にビシッ! と指を突きつける。
「アナタは言ったつもりは無くても、ポロポロ、口走るんですのよ」
「前科多すぎ」
ノエルは不満げに口を尖らせた後、思い当たる事があったのだろう。ガクリと肩を落として、扉の方へ歩きだした。
「ううっ……じゃあね……お先」
背後で扉が閉じられる音が聞こえると、ロズリーヌはシュゼットへと期待に満ちた視線を向けた。
「大きな情報としては二つだ。読心の魔法で読み取らせたものだから、嘘をついている可能性は無い」
そう前置きしてシュゼットは語り始める。
「三週間後、帝国が我がマルゴ要塞へと総攻撃を仕掛けてくる」
ロズリーヌの表情が曇る。
驚いた訳では無い。
その表情には、明らかに期待外れと書いてある。
これだけ頻繁に斥候を送りつけてくる様な状況なのだ。
帝国の侵攻がそう遠く無い事は、子供にだってわかる。
三週間後とその日を特定できたところで、今更としか言い様が無い。
「で、問題はもう一つの方だ。……この要塞の中に裏切り者がいる」
「裏切り者!?」
「ああ、そうだ。そいつは帝国の総攻撃とともに、何らかのアクションを起こす手はずになっているらしい。今回奴らが潜入してきたのも、総攻撃の日時をその裏切り者に知らせるためだ」
「誰なんですの?」
ロズリーヌの問い掛けに、シュゼットは肩をすくめる。
「それが……分からんのだよ」
「読心の魔法でも分からなかったんですの?」
「受けていた命令は、城壁の隙間に書簡を挟んでくることだけだったからな。その書簡は回収出来た。だから裏切り者にはまだ情報は伝わっていないはずだ」
「そこで……」
シュゼットの隣でラデロがクイッと眼鏡を押し上げると、ロズリーヌとベベットを見据える。
「あなた達二人には、裏切り者の正体を探ってもらいます。無論、裏切り者がいる事を、他の人間には洩らしてはいけません。余計な混乱を招く訳にはいけませんからね」
◇◆
「ちぇっ、なんだよぉ。二人してボクのこと除け者にしてさ」
ノエルは唇を尖らせながら、廊下を歩いている。
第十三部隊の居住区域に戻って来たところで、正面からエステル、ザザ、ミーロの三人が歩いてくるのが見えた。
「あれ? 導入研修終わったの?」
「中尉が途中で呼び出されたもんだから、中断しちゃったのよ。で、汗もかいたし、これから沐浴場へ行くところよ」
エステルがそう応えると、ノエルが身を乗り出す。
「お風呂? いいね! ボクも一緒していい?」
「いいけど、ロズリーヌとベベットは?」
「ふん! あの二人のことなんて、どうでも良いよ」
ノエルは子供の様に、頬を膨らませた。
その様子に、エステルとザザは顔を見合わせる。
まあ、何か軽く喧嘩でもしたのだろう。
そして、それは別に珍しいことでは無かった。
「じゃあ、パパッと準備してくるからちょっと待ってて」
そう言うと、ノエルは自分の部屋の方へと駆けこんでいった。
「ノエル上級曹長は明るい方でありますね」
「まあ、からかいがいはあるな」
ザザがそう言ってフッと鼻を鳴らすと、エステルは楽しそうに頷いた。
「ところで兎ちゃん、前の部隊はどうだったか知らないけど、別に階級なんて付けなくても良いわよ。第十三部隊の中じゃリュシール中尉以下は皆一緒、階級なんてせいぜい俸給額の物差しぐらいのものだもの」
「は、はあ。でも自分はそれだと、何だか落ち着かないであります」
「まあ、ダメって訳じゃ無いけど……」
エステルがそう言いかけたところで、バタンと勢いよく扉が開いて、着替えを抱えたノエルが部屋から走り出てきた。
「あはは、おまたせー!」
「早いわね。忘れ物とかしてない?」
「うん、大丈夫! 最悪パンツさえあれば、それで帰って来れるし」
「ちょっと! ダメよ! もう女の子ばっかりじゃないんだから!」
「へ? ……ああ、あの男の子ね。大丈夫だよ、ボク別に気にしないから」
ノエルがあっけらかんと言い放つと、エステルが思わず声を荒げる。
「ダメ! 男なんてみんな獣なんだから! ノエルが良くても、それで興奮して私達に襲い掛かってきたら堪ったものじゃないわ!」
「ああ、そう言えば、ヴァン君だっけ? あの子は一緒に行かないの?」
「行くわけないじゃない! 男よ? 男なのよ?」
エキサイトするエステルを宥める様に肩を叩いて、ザザが答える。
「彼には馬の洗い場を教えておいたから、今はそこで汗を流している筈だ」
「うへぇ……あの子貴族なんでしょ? よくそれで文句言わなかったね」
「まあちょっと変わってるとは思う。水は好きなだけ使って良いと言ったら、少し嬉しそうだったしな」
ザザの答えに被せる様に、エステルが吐き捨てる。
「男なんてどうせ獣なんだから、そんな扱いで良いのよ! 出来るもんなら、今すぐにでも叩き出したいぐらいよ!」
仲良くなれる様に手伝う。
ヴァンにはそう言ったものの、ミーロはその前途多難さに、思わず肩を落とした。