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第八話

「んーと……野菜はもう少しだけあったから……」


 僕たちはいったんマンションに帰ると、服を着替えてエコバッグを手にスーパーへと向かった。

 買い物客でごった返すスーパーマルトモの食材コーナー、僕は買い物かごを片手に食卓の色どりに思いを巡らせる。


「ん、よし」


 ジャガイモをいくつかと牛肉、しらたきを買って肉じゃがでも作ろう。

 キュウリが何本か会ったはずだから、それを塩もみして、浅漬けにして、わかめの味噌汁を作ろう。

 この辺本当に海が近いから、わかめとか魚介類が安くておいしくて、本当にうれしい。

 うんそうだ、シジミもついでに買っておこう。

 そうだな……かまぼこもおいしいんだよね。

 うーん、ついつい買いすぎちゃうよな。

 けどみんな安くておいしいんだから、いいよね?


「あ、これも買って」


 無造作にひょいと買い物かごに何かを放り込む玲於奈。


「……なにこれ?」


「はあ? あんた何言ってるの? “あげ潮”知らないなんて、本当にあんた静岡住む気あんの?」


「知らないよそんなお菓子!」


「あんたのその発言、全静岡県民を敵に回す発言よ。とにかく早く買ってきなさい。食後のデザートに、あんたにも食べさせてあげるから」


 ……買うのは僕なのに……。

 せっかく特待生とって家計を浮かせたはずなのに……うう、お父さんお母さん、ごめんなさい……。



「……なによ、なんでそんな暗い表情してんのよ」


 ……大概の原因は君にあるんだけどね……。


「いや何か疲れちゃってさ。毎日毎日」


「情けないわね。こんな美少女と買い物しながら、この素晴らしい風景を歩けてるのよ? ありがたいと思いなさい」


 この素晴らしい風景――。

 僕は、はたと足を止めて、大きく深呼吸した。

 うん、この香り、潮の香りだ。

 改めて、ここが海に近い場所なんだって気が付く。

 ふと見上げると、きれいな夕焼けに染まる富士山の姿。

 その下に広がる、夕陽を反射する大きな海。


「どう? 疲れだって吹っ飛ぶでしょ?」


 くるりと後ろを振り向いて、にっこりとほほ笑む玲於奈。


「うん。君の言う通り。すごく綺麗だ」


 僕は何のてらいもなく、ストレートに表現した。

 雄大さと繊細さが入り混じった、子の通りから見える風景、そしてリラックスした時だけ見せる、玲於奈の女の子らしい表情――

 ……。

 ………。

 …………えっ?

 ち、違うよ?

 べ、別に玲於奈のことそんな風に――


「何ボーっとしてんのよ」


 眉間にしわを寄せた玲於奈が、いつの間にか僕の顔を除きこんでいた。


「へっ? い、いや……その……」


「さ、早く帰るわよ。ご飯食べて、“あげ潮”食べながら作戦会議するんだから」


「う、うん」


 いやだなもう、確かに玲於奈はかわいい女の子だけど、別にそう言うんじゃないからね?

 僕は頭を振って、玲於奈の後について歩いた。

 当然、食材は僕が運ぶんだけどさ。

 ん?

 海が見える下り坂の入り口で、急に玲於奈の足が止まった。


「どしたの? 玲於奈」


 返事がない。

 ……?

 あれは……。


「拳聖さんだ!」


 拳聖さんは何人かの女のこと一緒に、楽しそうにおしゃべりしながら歩いていた。


「ん……あ、お前ら……」


 拳聖さんも僕たちに気が付いたようだ。


「よう、玲於奈と、えっと、佐藤玲だっけか」


「お楽しみじゃない、お兄ちゃん。また勝手にあたしたちの家に女の子引っ張り込んだんじゃないでしょうね」


「大丈夫だよ、お前が想像してるようなことは、あれから一度もしてねえよ」


「どうだか」


 玲於奈は不機嫌そうに顔をそむけた。


「お兄ちゃんって、この子、拳聖の妹さん? かわいいじゃん」


 その声の方向を、きっと睨みつける玲於奈。


「後ろの男の子もかわいいねー。もしかして、玲於奈ちゃんの彼氏?」


 ……へ?

 い、いやいやいやいや!

 違います、お姉さん!


「はぁ? 馬鹿げたこと言わないでよ。あんたたちには関係ないでしょ?」


 ああもう、玲於奈も感じ悪すぎだよ。

 女の人たちも苦笑いしてるじゃん。

 けどこの人たち、みんな美人だなあ……。

 一人ひとりが全然タイプが違うんだけど、とにかく綺麗な女の人だってのはわかる。

 それに……うん……拳聖さんの好きなタイプってこう……胸元の……ねえ?


「そういや玲、うちの妹が迷惑かけて悪かったな」


「あっ、いえいえ! 全然!」


 僕はぶるぶると頭を振った。


「そっか、ならいいんだが。ていうか、もしかしてまだボクシング部活動再開とか考えてんのか?」


「悪い? お兄ちゃんこそ、自分で言った約束忘れてないでしょうね。対抗戦実現できたら、必ずリングに復帰するって約束よ」


 その言葉に、拳聖さんは困ったように髪をかきあげた。


「あんな空手形で本気になるとはね……ま、せいぜい頑張るんだな」


 そう言うと玲於奈の頭をポンポンと撫で、そして僕に小さくウィンクをして通り過ぎた。


「あーん、待ってよぉ拳聖ぃ」


 艶めかしい声を上げる女の子が、その後に――


「きゃっ?」


 ガクン

 その女の人は前のめりに倒れて転がった。


「え? ちょ、一体――って……玲於奈?」


「逃げるわよ玲!」


 足を引っかけてその女の子を転ばせた玲於奈は、僕の手を取って一目散に駆けだした。


「な、な、な、なんてことするのさっ! い、い、いくらなんでもやりすぎでしょ?」


「何がやりすぎよ! あたしンちに着て好き勝手して帰るんだから、当然の報いよ! ただJKがローリングしただけでしょ? 何てことなわよっ!」


「そんな某ファンタジー小説の作者の名前みたいに言われてもっ!」



「ああもぉ! ムカつく! ちょっとモテるからって調子に乗っちゃって! 大体何よあの女ども! ちょっと位背が高くて胸がでかいからってさあ! あんなもんでおにいちゃんを誘惑するなんて! それに乗っちゃうお兄ちゃんもお兄ちゃんよ!」


 ボリボリボリ、二つも三つも“あげ潮”を口に放り込むと、ずずず、ミルクティーで流し込んだ。

 ……うーん、確かに玲於奈はかわいいけれど……拳聖さんの連れていた人はもっとグラマーな人たちが多かったから、そういう嫉妬心もあるんだろうな……。

 僕も“あげ潮”をかじってみる。

 ……ん……なんか……んん……甘いけど……ん……しょっぱいような……。

 ……不思議な触感だけど、悪くないな……。

 ……ていうかむしろおいしいかも……。

 ズッ、僕もコーヒーを一口含んだ。


「いい? 何としてでもあのイベリコブタをボクシング部に復活させるのよ!」


「そりゃあ僕だってそうしたいのはやまやまだけど……」


 はあ、どうしたらいいんだろうな。


「こうなったら、明日は学校中の男たちひねり上げて、女紹介しろって脅しつけてやるわ!」


 ……男子校に通ってる生徒をどれだけ絞り上げたって“女”の“お”の字も出てこないと思うけど……。


「そんな物騒なことしないでよ。ただでさえ君は男の制服着てるくせに、女の子だってことか気うそうとしないんだし……ばれたらいろいろ面倒くさいことになるんだから」


「何言ってんのよ。そもそもあんたが女のあたしが着てもぴったりな制服着るくらいきゃしゃなのが悪いんでしょ?」


「そんなのめちゃくちゃだよ! 大体、僕は君が僕の制服勝手に着ること――」


 ……。

 ………。

 …………?

 な、何?

 何にやにや笑ってるの?

 く、口元ゆがめて笑ってると、なんだか悪魔みたいなんですけど……。


「やっぱりあたしって天才ね。良く考えたら、ものすごく簡単なことだったのよね」


 ……な、何かものすごく……ものすごく嫌な予感がする!


「さらばっ! って、いたたたた! う、腕の関節はそっちには曲がらな――」


「さ、今からあたしの言うことには“イエス”か“はい”以外の返答はいらないわ。大丈夫。天井のシミの数でも数えていれば、すぐに済むわ」


「え? ちょ、ちょっと玲於奈? い、いったい何を――い、いやあああああ! や、いやっ、そんなこと――」


※※※※※


「石神さん」


 放課後の食堂、今日も人試合終えて優雅にアイスクリームを楽しむ石神さんの前に僕は座った。


「おう、ええと……玲、か。ここに顔を出すってことは、それなりの解答を期待していいんだろうな」


「ええ。きっとお気に召すと思いますよ。僕のいとこなんですが、石神さんお話をしたら、すごく興味持ってくれたんです。すごくかわいいと思いますよ」


 そう言うと僕は、スマホの画面を石神さんに示した。


「……」


 石神さんの体が固まる。

 や、やっぱり駄目だよな……。

 け、けど……うん、正直に言う。

 正直、かなりほっとした。


「そうですか。ではまた別の――「“エル・デスティナードォオオオオオ”!」」


 へ?

 ちょ、いたたたた!

 そんなに強く胸倉掴まないで!


「よくやったガキ! ドストライクだよ!」


「え? そ、そうですか?」


 マジで?

 いやいやいや、それはよかったけど、それはそれで困るんですけど!?


「じゃ、じゃじゃあ……石神さん、ボクシング部に……」


 すっ、ようやく石神さんの腕の力が解かれた。

 すごい力だな……。


「だめだ」


 え?


「ど、どうしてですか? 今こうして、女の子を紹介――」


「合わせろ」


 ええ?


「こ、この子に、ですか?」


「この“エル・デスティナード”とデートさせてくれたら、ボクシング部に復帰してやるよ」


「えええええええ?」


「あ? なんでそんなに驚いてんだ? 会ってデートさせろって言ってるだけじゃねえか」


 そ、そりゃあ驚く……っていうか、無理ですって!

 だ、だってその子――


「ええ。当然OKよ」


「玲於奈?」


「石神先輩がそれでボクシングに復帰してくれるのなら、その子もきっと喜びますよ。なにせ、彼女には、石神さんが元インターハイチャンピオンだってことを話したんですから」


「え? な、なんで美雄まで?」


「そ、そうか……リ、リングの上の……リングの上の俺に……」


 そう言うと石神先輩はお腹まわりを掴み、ガンッ、テーブルを叩いた。


「一週間後だ」


「は?」


「来週の日曜日、十時にこの学校の校門で待ち合わせだ。この子……えっと、名前なんてんだ?」


「えええ? ちょっと、いくらなんでも――「了解。伝えておくわ。名前は“レイコ”よ」」


 ちょっと玲於奈!

 ふんっ、鼻息荒く石神さんは立ち上がる。


「おう。“ミ・デスティナード”、レイコに伝えておけよ。それじゃあな」


 そう言うと石神さんは

 ドスドスドスドスッ

 巨体を揺すって食堂から出ていった。


「ちょ、ちょっと! どうするんだよこの状況!」


「はあ? あたしのナイスアイデアのおかげであのイベリコブタがボクシング部に復帰する気になったのよ? ありがたく思いなさい」


「ああ。これで俺たちの目標に、一歩近づいたってわけだ」


「っていうか、何で美雄までここにるの?」


「玲於奈からいろいろ事情を聞いてさ。面白そうだからついてきた」


 お、面白そうって何だよ!

 僕の怒りを尻目に、美雄は僕からひょいとスマートフォンをとり上げた。


「ちょ、ちょっと美雄?」


「へー、なかなかかわいいじゃん」


「でっしょー? どう? あたしのメイクの腕前は」


 こら二人とも!

 見詰め合って笑わないのっ!


「髪の毛はどうやったんだ?」


「あたしの写真トリミングして色を加工して、合成したってわけ。やっぱりあたしって、天才よねー」


「へー、なかなか大したもんだ。しかしわからんだろうなあ。これが――なあ」


「うん。玲だなんてね」


 ……そう。

 ……この写真は僕。

 ……昨日無理やり玲於奈に化粧をさせられて、玲於奈の持っていたキャミソールを着させられて無理やり写真を取られてしまった。


「だーかーらー! なんで二人ともそんなに他人事なんだよ! こんなことになっちゃって、一体僕はどうしたらいいんだよ!」


「簡単な話よ。あのイベリコブタとデートしてきなさい」


「良く考えれば、最良の方法じゃん。俺らの友人関係にもひびが入らないし、ボクシング部の再始動の夢にも近づく、一石二鳥じゃね?」


 ぽん、と美雄は肩を叩いた。


「ところで、デート用の服はどうしようかしら。あたし、家出の時必要最低限の服しか持ってきてないんだけど」


「あ、だったらさ、俺がなんとかするよ。姉貴がスタイリストやってて、家に色々衣装置いてあるから」


「それはいいわね。じゃ、今日さっそく下見に行くわ」


「勝手に話進めないでよ! 今後石神さんとお付き合いとかしなくちゃいけないわけ? 僕は石神さんのカノジョにならなくちゃいけないわけ?」


「……あ、あんたそういう趣味あったの……」


「ちがうけど! そんなわけないけど!」


「大丈夫大丈夫。わざと嫌われるとか、留学に行くとか、適当に言っとけば何とかなるさ。大事なのは、約束を履行させるための実績づくり、だな」


「美雄まで! 無責任すぎる!」


「つべこべ言わないの。これはもうあんたにしかできない仕事なんだから。さ、じたばたしないで、静かな気持ちで日曜日を迎えなさい。わかったわね?」


「鬼だー!」


※※※※※


「ああ……今日という日がほんの数秒で終わったらいいのに……」


 憂鬱な中で時間はあっという間に過ぎ去り、今日は日曜デートの日。

 僕たちは朝早くから起きて、メイクと着替えに大忙しだった。

 ちらり、僕は校門の影を確認する。

 グッ、サングラスをかけて変装した玲於奈と美雄が親指を立てる。


「……何かあったらすぐに助けてくれるって言ってたけど……」


 うわっ!

 ……ううう……ワンピースのスカートって、結構スース―して寒いんだな……。

 いくら春先でも、女の子ってなんでこんなの着て風邪ひかないの?

 下着まで女の子のものを履く必要ないと思うんだけど……。

 一応ニットは羽織ってるし、今日は結構日差しが強いからまだいいんだけどさ……。


 「一応形だけね?」なんていわれて……体中の無駄毛処理までさせられて……まあもともと全然生えてないんだけど……。

 このウィッグもなんだか気になるなあ。

 口紅とか、これでどうやっておかしとか食べんの?

 美雄のお姉さんは「すごく似合ってる」って言ってくれたけど……。

 女装やお化粧が似合ってるなんて言われてもちっともうれしくないんだよ!

 ?

 玲於奈と美雄……何吹き出してるんだよ……。

 ……なんだよ……薄情な奴らめ……一生恨んでやるからな……。

 ああ、ここが知り合いの少ない静岡県でよかった……。

 こんなの知り合いに見られたら、僕はきっと生きてはいけない……。


「よっ、レイコちゃん」


 ……?

 誰かが――

 ……。

 ………。

 …………誰?


「レイコちゃん、だよな? 待たせて悪かったな」


 いやいやいや……本当に、誰?


「ん? あのガキどもから俺の写真見せてもらってるはずだよな。俺だよ俺」


 ……。

 ………。

 …………もしかして……


「初めまして、ミ・デスティナード」


「石神さん!」


 ちらりと二人を見れば、表情は確認できないけど全身が固まってるのが見える。

 当然だ。

 何度も目を疑ったもの。


「……あ、あの……な、なんだか……佐藤君からお伺いしていた印象と……今は、かなり太っていらっしゃるって……」


「おお、そういや、あいつ等俺の太ってた時のことしかしらねえしな。一種間で落としたんだよ。十五キロな」


「十五キロ!?」


 まじで?

 人間って、そんなにすぐに体重落とせるものなの?


「もともと俺は太ったように見えてしっかりと筋肉は残ってたしな。代謝が半端ねえから、落とそうと思えばいつでも落とせたんだよ」


 鼻高々に微笑む石神さんは、丸太のような腕でTシャツをめくる。


「うわっ……」


 そこには、一切の脂肪の乗らない、完璧に割れた腹筋が覗いた。


「へっ、すげえだろ。しっかし――」


 ……。

 ……ううう……石神さんのじっとりとした視線が、ぼくの体中をなめるように行き来しているのがわかる……。

 ……な、なんだか怖い……

 石神さんはハンチングをかぶりなおし、綺麗に整えられたあごひげをこする。


「――かわいいぜ。ミ・デスティナード」


 まつげのばたばたした大きな目が僕にウィンクを飛ばした。


「えええええ?」


 そ、そんな!

 ぼ、僕男ですから、そんなこといわれても困りますっ!


「そ、そんなことないです! か、かわいくなんて――」


「――君は最高さ。謙遜しなくていいんだぜ」


 ゾゾゾゾゾ

 体中に悪寒が走る。

 石神さんの丸太のような左腕が僕の腰に絡みつく!

 ち、ちがう!

 そ、そこは僕のお尻です!

 右手が僕の髪の毛をさわさわとなでる!

 い、いやっ!


「おっと、そんなに緊張しなくてもいいんだぜ。大丈夫さ、俺は女性の意に反するようなことはしない主義なんだ。積極的だが女性を大切にする、それがラテン男のモットーさ」


「わ。わかりましたっ!」


 僕は慌てて石神さんの腕から離れた。

 ああ、なんかすごく怖い……。

 無理矢理迫られる女の人の気持ちがちょっとわかった気がしたよ。

 ん?

 僕の背中に何か当たったような……。

 石ころ?

 その方向を見れば、玲於奈と美雄がなにかを合図している。

 そ、そうだ。

 美雄が言ってた、男が引く女の特徴、それを実践するんだ。

 さっさと嫌われて、デート終わらせよう。

 死んでもやりたくなかったけど……ええい、もうどうにでもなれっ!


「い、石神さんこそ、格好いいですにゃあん」


 僕は右手を猫のようにして言った。

 ふふふふ、どうだ!

 語尾に“にゃ”をつけて自己演出する、オタサーの姫的な痛い女だ!


「にゃ……にゃ?」


「そ、そうですにゃ。すごく男らしくて、格好いいにゃ!」


 ふふふふ……石神さん困ってるぞ……。

 石神さんはきっと派手な女の人とか好きそうだから、こういう女は完全にストライクゾーンから外れているはず――


「“ガータ”……」


 ひいいいいいいいいい!

 いやああああああああ!

 か、髪の毛をなでないでぇ!?


「かわいい子猫ちゃんだね。気にいったぜ。こんなかわいい仕草を見せる女の子、今までの俺の人生にはなかったぜ」


 れ、レアもののとして気に入られてるしっ!


「心配ないさ。子猫がどれほどセクシーか、知らないほど俺はガキじゃない」


 た、助けて、玲於奈、美雄――って、何で馬鹿笑いしてんだよっ!

 ぼ、僕の身に危険が及びそうになったら、助けてくれる約束だろっ!?


「そ、それよりぃ、石神さんは今日どこに連れて行ってくれるのかにゃ?」


 あ、あぶないあぶない……。

 何とか距離を徒って石神さんから離れることができた。

 ピッ、石神さんは二枚のチケットを出して見せた。


「“アモーレ・ペレス”、美女には名画がよく似合うのさ。メキシコ映画、俺のルーツを君に知っておいて欲しくてね」


「い、石神さんのルーツ?」


「俺のアブエロ、おばあちゃんがメキシコ系なのさ」


 

 つんつんつん、古い映画館のベンチで、僕の肩をつつく人。


「……玲於奈……美雄……」


「石神はどこに行ったのよ」


「トイレ、だって……ていうか、なんで助けてくれないんだよ!?  いろいろ危ないところだったじゃないか!」


「いやぁ、なんだか……いい感じの恋人同士みたいだったから、声かけづらくってさ」


「ちょっと! 美雄まで馬鹿なこと言わないでよっ!」


「けど、お前だってすごくいい人だって思っただろ? そういうのって結構伝わるもんだよ」


「まあ、確かにそうだけど……」


「それで、この後あんたたちはどうする予定なの?」


「映画みたあと三津シーパラダイスって水族館に行って、石神さん行きつけのうなぎ屋に行くっていってたけど……」


 すると玲於奈と美雄が顔を見合わせて複雑な表情を浮かべる。


「……うなぎ……ねえ……まあ、考えすぎだとは思うけど……うん、俺は大丈夫だと思うよ」


「ま、いいんじゃない? いざとなれば、その寸前になって男だって気がつくはずだから」


 その寸前?

 どの寸前?


「いやまてよ……アレだけのパワフルな感じの男がうなぎなんか食べようものなら……」


「そうね……いっそ男相手でも、って……」


「ちょっと待って! 一体君たちは何の想像しているの?」


 ぽんぽん、玲於奈が僕の方を叩く。


「これもボクシング部のためよ。なるようにしかならないんだから頑張りなさい。いざとなったらあんたの“うなぎ”でも食べさせてやりなさい」


「ぼ、僕のうなぎって何だよ!」


「うんまあ、俺は……祈ってるよ……それくらいは、ね」


「まあ言うじゃない? “パンがなければお菓子を食べればいいじゃない”って。女に飢えたあいつなら、きっとおいしく召し上がってくれるわよ」


「ちょっと! 約束がちがうっ! 助けてくれるって――」


「ま、新しい世界が広がるかもだから、あながち悪い体験ではないかも――あっ、石神が来たわよ!」


「やべっ! 隠れろっ!」


「ああっ! ひどいっ! ひどすぎるっ!」


「どうしたんだい? ガータ」


 ひっ!

 石神さんが僕の型を、頭がおかしくなるほどに優しく抱いた。


「な、なんでもないにゃあ」


 石神さんの手には、コーヒーとオレンジジュース、そしてポップコーンが。


「さ、そろそろ入ろうぜ。君に、ラテン男との愛がどんなものか、しっかり教えてあげようじゃないか」


 助けてぇー!



「今日は楽しかったぜ、ガータ」


 夕焼けの見える海沿いのベンチ、石神さんは笑顔でそういった。

 ……ようやく今日のデートも終わりか……。

 ……石神さんのスキンシップが激しすぎて、せっかくの映画の内容もうなぎの味も、全然記憶にないよ……。


「ガータ、君さえよければ、これから俺のうちに来ないか?」


 やばいっ!

 やばすぎるっ!

 は、はやくデートを切り上げなきゃ!

 う、うん、僕は喉を鳴らして、真剣な表情を作る。


「私も今日は楽しかったにゃ。けど、私、もう帰らなくちゃいけないのですにゃ」


「……そうか。それは仕方ないな。もしよかったら、また今度俺とデートしてくれないか? もしよかったら……俺と付き合わないか?」


 いやあああああ!

 マジになられても困るんですけどっ!

 お、落ち着け玲……今度は玲於奈のプランを実行するだけだ……。


「じ、実は私、今度引っ越さなくちゃならないんですにゃ」


「どこに?」


「う、うん……と……アイルランドにゃ」


「……そうか……ずいぶんと遠いところに行っちゃうんだな……」


 石神さんはがっくりと肩を落とした。


「けど、もしよかったら手紙をくれないか。俺も返事を出すから」


「わ、わかったにゃ」


「君がいなくなったら、この心の空白をどのようにして埋めればいいのか……俺には何の生きる目標もなくなってしまいそうだ……」


「そ、そんなことないですっ!」


 そんなことは絶対にない!

 だって……だって石神さんには……。


「石神さんには、素晴らしいボクシングの才能があるじゃないですか!」


「ガータ?」


「一年生でインターハイ優勝して……誰もがうらやむような才能を持ってるじゃないですか! 拳聖さんとは違うけど、見てる誰もが熱くなれるような、そんなボクシングをしていたじゃないですか! 僕は……僕はあなたにももう一度リングに立って欲しいんです!」


「“僕”? “拳聖さん”?」


 やっばあああああああああい!

 つ、ついつい地がでちゃったああああ!


「な、生意気いってごめんなさいにゃ」


 は、早く引き上げよう!


「そ、それじゃ、アイルランドから手紙送るにゃっ!」


 ベンチを立ち上がり、駆け出そうとしたその時――


「見たいのかい?」


 へっ?

 僕は振り返ってその顔を見た。

 石神さんは、真剣な表情で口を開く。


「だったら見せてやるよ。俺の、ボクサーとしての、リングの上に立つ俺の姿ってものをさ。今度、他の学校との対抗戦があってな。実に来てくれ、というつもりはねえが、動画かなんかで送らせるよ」


 そして、にいっ、って笑うと、拳を高々と突き上げた。


「ボクサー石神拳次郎、ここに復活だ。そしてこの復活を、ガータ、君に捧げるよ」


 ……よかった……。

 石神さんが、ボクシングを再開するんだ……。


「……ありがとう……」

 すごく恥ずかしいけど――


「ガータ?」


 女の子ならきっとこうしているはずだ。

 僕は石神さんの、たくましい体にそっと抱きついた。

 石神さんはそれを受け止め、僕の髪の毛をなでる。


「……ガータ、見てろよ。アイルランドにまで、俺の名前を響かせてやるからな」


「……うん」



「やっちゃったな……いろんな意味で……」


 僕のマンションで、テーブルに座った美雄が頭を抱えた。


「ええそうね……いろんな意味で」


 同じく頬杖をつく玲於奈。


「ちょ、ちょっと待ってよ! いわれた通りのことはしたし、きちんと石神さんもボクシング部に復帰するって言ったじゃない!」


「そこは、まあ褒めてあげるわ。けど……」


「ああ。最後のアレは……」


「い、いけなかった? 女の子ならそうするんじゃないかって……」


「あの男、石神、完全にあんたに惚れちゃったわよ」


「は? な、何言ってるの?」


「ああ、間違いない。あそこでさっさと別れておけばいいものを……ありゃあ、ずっとレイコちゃんを想い続けるな」


「あ、あたしたちそこまで責任持てないから。もしあんたがレイコちゃんだってばれたら、責任持って相手してあげなさいね?」


「そんな! 無茶言わないで!」


「まあ、いっそそっちの道に行きたければ行ってもいいんじゃね? 俺たちは止めないよ」


「ひどい! ひどすぎるっ! あんまりだーっ! そもそも、水族館でが石神さんにまとわり疲れている間、玲於奈も美雄も僕のことなんかほったらかしで楽しそうに水槽眺めてたじゃないかっ!」


「だって久しぶりだったんだもん。ね? 美雄もそうでしょ?」


「そうだな。俺たぶん“ミトシー”なんて五、六年ぶりくらいかも」


「美雄も? あたしもよ。懐かしいわー。昔はよくお兄ちゃんに――」


 ちょっと!

 僕を置いて地元トークはじめないでよ!

 ああもう、この人たち、僕のことなんかどうでもよく、単純に遊びたかっただけなんじゃないのか?

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