第十四話
え?
マジ?
「ぜ、全部脱ぐんですか? パ、パンツも?」
「たりめーだろ、っと。おら、さっさとしろよ。大丈夫だよ。お前のが小さかろうがカブってようが生えてなかろうが、そんなもん誰も気にしねーよ」
す、少しは恥じらいを持って脱いでくださいよ石神さん!
「石神拳次郎選手、六十四.八キロ、パス」
「ま、こんなもんだろ」
腕組みをしてないで早くパンツはいてくださいよ!
「チ○コだけじゃなくて、相変わらずのばかさ加減丸出しだな、拳次郎」
「ん? てめーは……」
相手校の選手の一人が、石神さんに近づいてくる。
っていうか、あんたも丸だしだよ!
「深南じゃねえか。性懲りもなく、まだボクシングやってやがったのか?」
「てめえこそ。安心したぜ、ブタみたいにぶくぶく肥え太ったって聞いてたからよ。てっきりリミットオーバーで失格になるかと思ってたぜ。ま、何キロだろうが、今の俺がてめーごときに負けるはずはねえけどな」
「言うねえ言うねえ。一年のインターハイ予選で俺にワンパンKOされて、ライト・ウェルター級に逃げたような奴がよ」
「あ、あの……」
馬呉さんなら知ってるかもしれないな。
「……あの人……石神さんの知り合いなんですか……」
「え? あ、ああ。そうっす。深南健って奴で、知り合いって言うか……一方的にアニキをライバル視してる奴なんです」
「一方的なライバル?」
「ええ。中学時代に、結構なワルでならしてたんですが……自分同様、アニキにカタにはめられちゃいまして……それ以降、アニキを一方的にライバル視して、アニキがボクシングやってるって聞いてボクシングを始めたらしいっす」
「へっ、お前がブタみたいに太ってる間、俺は血反吐を吐くようなトレーニングをつんでたんだからな? 今日は覚悟決めとけよ?」
「そうかいそうかい、だったら俺は、お前に才能の違いっつーものを思い知らせてやるよ」
「何だと? やりたいんなら今すぐここでやってやってもいいんだぜ? ああ?」
あ、あのお二人とも……フル〇〇でにらみ合うのはやめてください……。
「こ、こら君たち何をやってるんだ!」
「そ、そうっすアニキ! ら、乱闘ばかりは……」
馬呉さん、そして計量担当の役員の人に引き剥がされるようにして、額をつき合わせていた二人は別れた。
ほっ……喧嘩でも始まっちゃうかと思ってどきどきしたよ……。
「定禅寺西高校佐藤玲選手、お願いします」
「ほれ、俺のことなんかどうでもいいから、さっさとお前も計量してこい」
「あ、は、はい……」
うわー、人前で全裸になるなんてなかったからな……。
それだけボクシングの計量ってのはシビアなものなんだろうな……。
ソロリ、ガシャン――
役員の人が、慎重に秤の分銅を調整する。
大丈夫、大丈夫だよな――
「……佐藤玲選手、五〇.三キロ、パス」
ほっ……なんとか間に合ったな。
目の前の鏡に、一ヶ月前の僕の姿を重ねてみる。
体重が最初の一週間で一気に減って、それから少しずつ元に戻って言った。
結局は元の体重に戻ったんだけど、明らかに一ヶ月前の僕の体ではないことが実感できる。
そりゃあ確かに、美雄や石神さんみたいに、というわけにはいかないけど、僕の体にわずかに残る筋肉痛が、僕がいかに苦しい思いをして来たのかを訴える。
大丈夫、僕は強く、たくましくなっているんだ。
「えーと……次……興津高校半田当真選手」
「どけよ」
「うわっ……って――」
相変わらずでかいなー。
でかいだけじゃなくて、裸になると一層よく分かるよ。
すごく――
「お前の体を見てると不安になってくるよ。大丈夫か? 試合中ぽきっと折れたししないか?」
またも煽りをいれる拳聖さん。
「ぐぬう……へ、へっ、減らず口叩けるのも今のうちだぜ」
「……半田当真選手……六十七.二、パス」
一八五以上はある身長なのに、体重はわずか六〇キロ台半ば。それでいて身長以上に長く見えるリーチ。
拳聖さんといえば、腕を組んで余裕の表情で半田を見つめる。
……確かに、今までだったら余裕で倒せた相手だったんだろう……。
けど、一年近いブランクがあるし、何より……。
ああもう!
悩むなって!
僕は僕のやるべきこと!
勝利を掴み取るために、今できることをしなくっちゃ!
「どうした。やけにナーバスじゃないか」
「あ……拳聖さん……」
「初めての試合ってのは、みんなそんなもんだ。とにかく落ち着け。いつも通りの、お前のボクシングをすればいい」
……試合前で緊張、ってのも確かにあるんですが……僕は……拳聖さん……。
「んじゃ第一試合は俺の“バディ”の試合だからな。先に言って待ってるぜ」
すでに計量を終えていた拳聖さんは手早くジャージーを着込むと、クールに計量室を去っていった。
――オッキッツッ――パンパンパパパン――オッキッツッ――パンパンパパパン――オッキッツッ――パンパンパパパン――
ボンッ
胸元でグローブを叩きつける美雄。
「すげー声援。完全アウェーっすね」
青コーナーの下のパイプ椅子、肩と首をゆるゆるとストレッチする。
「まあ、空手じゃあこんなのなかっただろ」
「そっすね」
――オッキッツッ――パンパンパパパン――オッキッツッ――パンパンパパパン――オッキッツッ――パンパンパパパン――
僕は美雄の肩に手を乗せ、入念にマッサージする。
「いよいよだね美雄。頑張ってね」
「サンキュー玲。けどマッサージはやっぱり――」
「――どきなさい」
わっ……そうだね。
僕みたいな男がやるよりも――
――オッキッツッ――パンパンパパパン――オッキッツッ――パンパンパパパン――オッキッツッ――パンパンパパパン――
「いい? 確かにあんたは経験じゃ劣ってるかもしれないけど、自信もって思いっきりやれば大丈夫だから。頑張りなさいよ」
「わかってるって。そんなことより、しっかり俺の試合見ててくれよ」
「言われるまでもないわ。当たり前じゃない」
「ま、自分がフった男なんだから、責任もって応援してくれよ」
「……バカ……」
そういうと、玲於奈は顔を真っ赤にした。
――オッキッツッ――パンパンパパパン――オッキッツッ――パンパンパパパン――オッキッツッ――パンパンパパパン――
「それより、拳聖さん、俺の相手、どんな奴なんすか」
「そうだな、羽村って奴だ。今二年生だ」
「強いんすか?」
「……たしか去年、インターハイ五位の実力だ」
「イ、インターハイ五位?」
それってめちゃくちゃ強いじゃん!
けど――
「ま、すごいったら美雄のほうがすごいもんね」
「ああそうだな。見せ付けてやれよ。お前の力」
「さあ行くわよ。空手道全中チャンピオンさん」
「押忍」
美雄はさわやかな、そして自信に満ち溢れた微笑を浮かべた。
――オッキッツッ――パンパンパパパン――オッキッツッ――パンパンパパパン――オッキッツッ――パンパンパパパン――
“第一回戦、ライト・ウェルター級、赤コーナー、興津高校、羽村修哉選手”
――オッキッツッ――パンパンパパパン――オッキッツッ――パンパンパパパン――オッキッツッ――パンパンパパパン――
「おや、君は」
大歓声の中に、僕は聞きなれた声が響いたのを聞き逃さなかった。
うん、すごく、懐かしい声。
間違いない。
「佐山先生!」
「ん? 玲、お前佐山先生とも知り合いなのか」
「石切山先生も! 会場に顔を出して大丈夫なんですか?」
「まあな、これから生徒たちの試合があるというのにじっとしているわけにはいけないからな。まあ、学校には内緒だ」
「そうか佐藤くん、ボクシング部に、しかも佐藤拳聖のいる定禅寺西高校に入学するとはなあ。線がほそぉ見えて、えらい根性や」
「いやー、そんな……」
興津の漆畑先生、全国のボクシング部に声をかけたって言ってたけど、大阪の佐山先生のところにまで伝わっているとは。
「一指導者ではありますが、いやー、おたくの佐藤拳聖の、一ファンですからな。その佐藤拳聖君がリングに復帰するその一戦、見逃すわけにもいかんでしょう」
でも、今回ばかりはグッジョブ、て言わせてもらうよ。
“青コーナー、定禅寺西高校、悠瀬美雄選手”
――パチパチパチパチ――
「しかしまあ……恥ずかしながら、ご存知の通りの状態で……何とか彼によって再スタートを切ることができたような次第です」
「そらまたたいしたもんやなあ……まあ何にしろ、新しいスタートを切れるいうんはええことや」
「佐山先生、それはちょっと違います」
僕がリングに目を移すと、佐山先生、そして、石切山先生もそれに習う。
「新しいスタートを切ることだけが、僕たちの目標じゃないんです」
リングサイドでは、美雄に指示を与える佐藤兄妹の姿が見える。
「セコンドアウト!」
「いやいやいや、大阪相邦高校の佐山先生までいらっしゃるとは」
うげっ、漆畑……せっかくいいところなのに……
「おお、漆畑先生、わざわざお招きいただいて、本当にありがとうございます」
「今度はいよいよインターハイですなあ。お互いに頑張りたいものですなあ。青コーナー、うちの羽村なんですが、今年こそ全国優勝狙おうと張り切っておりますからねえ」
「羽村君ですか、ええボクサーですからねえ」
もういいや、漆畑の学校自慢なんて聴く意味ないよ。
今僕ができること――
――カァン――
「頑張れよしおーっ!」
「うおっ!? ま、まあ定雲寺西の選手もそれなりには練習して来たのでしょうが、うちの羽村の仕上がりの前に――」
「ダウーン!」
「ほおら、見てごらんなさい。もう早速ダウンをええええええええええ!?」
「悠瀬……」
「これはまた……えらいこっちゃ……」
その瞬間、会場の時間が止まっていた。
「押忍っ」
悠瀬は小さく残心すると、ゆっくりと青コーナーへ引き上げて行った。
「な、なんてストレートや、い、いや、ストレートなんて生易しいもんやない……あれは――」
「正拳突きです。右上段逆突きって言うんですって」
「ナイスだ悠瀬」
「どうも」
パン
試合後のセレモニーが終わりリングを降りる美雄は、拳聖さんとクールにハイタッチを交わす。
「さすがは俺のバディだな」
「すごかったよ美雄。会場の空気完全に固まっちゃってたよ」
僕はバンデージに包まれた美雄の手を無理矢理つかんだ。
「俺は不満だらけっすけどね。はっきり言って相手は俺のことナメて油断してましたし。練習したことがほとんど出せなかった」
その言葉通り、義男の顔はどこか不満げだ。
「一応これでもジャブからフックからあらゆるパンチを練習してきたんですけどね。まったく練習の成果が出せませんでしたよ」
「なーにくだらないこといってんのよ」
コツン、玲於奈が美雄の頭を小突く。
「油断なんてするほうが悪いの。空手は“一撃必殺”がモットーなんでしょ? 勝ったあんたが強かった、それでもう充分よ」
「惚れてくれてもいいんだぜ?」
「……バカなこといわないの……」
玲於奈はまた美雄の頭を小突いた。
「いよいよですね、馬呉さん」
「暑苦しい男のセコンドにつくのは嫌よ」ということで、急遽僕が第二セコンドに立つ。
相手のボクサーは……うん、やっぱりすごく体がおっきい。
それだけじゃない、すごく、怖い顔をしている。
「まあ、いつも通りいけ」
「……う、うす……」
うわー、なんか震えちゃってる……この人、体大きいのにすごく気が小さい人だから、飲み込まれちゃってるんじゃないかなあ……。
「セコンドアウト!」
「よお、お前、もしかして馬呉のこと心配してんのか?」
セコンド席に座り、腕を組みリングをにらむ石神さんは、おもむろに口を開いた。
「い、いえ……僕なんかが他人を心配するような、そんな――」
「心配ねえよ。俺がしつけてやったからあんな感じだが、あれは本来のあいつじゃねえ」
……そういえば……馬呉さんて……。
「なんか……不良グループのリーダーだったって……」
「“ザ・ブレード”、この地区一帯をシメてたチームのリーダーさ。まあ俺も中学時代はよくあいつの名前は聞いてたよ」
そっか……そんなに有名な不良だったんだ……。
「あの巨体に信じられねえほどのタフネス、この俺が路上であれだけてこずった喧嘩相手は、あいつくらいなモンだよ」
「け、けど、そのしつけが行き過ぎたんじゃ――」
「――変わるよ、あいつは」
「え?」
「まあ見てなって」
――カァン――
?
馬呉さん動かな――
「うがあああああああああっ!」
「えっ?」
リングの上、旅腕を振りかざし、雄たけびをあげたのは馬呉さんだった。
その咆哮に気圧され、相手は一瞬体をすくませる。
そのすきを逃すことなく――
「があああああああああああああっ!」ガキゴキ、ガキッ
「うわっ……」
思わず目を背けちゃった……。
「言ったろ? 変わるって。ウドの大木馬呉ちゃんは、リングに立って、相手と向き合いゴングが鳴れば、亜嵐“ザ・ブレード”馬呉に戻るのさ」
「うごあはあああああああっ!」
“ザ・ブレード”の名のごとく、両のフックの三連打を浴びせかけた馬呉さんは、まるでキングコングのように胸を叩き、唸り声を上げていた。
「よっしゃそろそろ……」
そう言うと石神さんは立ち上がり、軽やかにリングに上がると――
ゴキンッ
「あだっ! ……? ……こ、これは?」
ようやく正気に戻った馬呉さんは、ゆっくりと足元に視線を落としていく。
「うわああああああ! またやっちゃったああああ! だ、だいじょうぶですかいたっ!?」
「うるせえ! これは試合だ! いいからさっさと青コーナー戻れっ!」
「うぬぬぬぬぬ……」
気が付くと、後ろの役員席で、漆畑が気持ち悪い唸り声を上げている。
そりゃそうだ、インターハイクラスをそろえたはずの試合で、二試合とも数十秒内に決着が付いているんだもの。
しかも、自分たちのノックアウト負けで。
「いやー、えらいもんですなあ石切山先生」
佐山先生がぱちぱちと手を叩きながらも、驚いた表情で声を上げた。
「本当にこれがついこの間まで活動しとったボクシング部の試合ですか?」
「いやはや……顧問の私が言うのもなんですが……まさかここまでとは……」
「ぐぬうううううう……ふ、深南ぃ! お、お前まで負けたら、承知せんからなあっ!?」
――オッキッツッ――パンパンパパパン――オッキッツッ――パンパンパパパン――オッキッツッ――パンパンパパパン――
「これより第三回戦、ライト・ウェルター級を開催いたします」
――オッキッツッ――パンパンパパパン――オッキッツッ――パンパンパパパン――オッキッツッ――パンパンパパパン――
「赤コーナー、興津高校、深南健選手」
――オッキッツッ――パンパンパパパン――オッキッツッ――パンパンパパパン――オッキッツッ――パンパンパパパン――
今まで以上に大きな声援が湧き上がる。
自分たちの代表がことごとく敗北し、もう後がないからだろう。
「そういえばあの人、計量室で石神さんと睨み合ってた人ですよね。戦績はどんな感じなんですか?」
「そうだな……」
拳聖さんはペラリと資料をめくる。
「前回の国体では一回戦負けだが、県大会を含めてのそれまでの試合は、拳次郎との対戦以外は全部KO勝利だ」
「かなりムラがあるんスね……空手でもいるんすよそういう奴。そういうやつは、大体――」
「ええそうね」
拳聖さんから資料を受け取り、その戦績を分析する玲於奈。
「負ける時は、全部反則負けね。かなりラフなボクシングをするタイプみたいね」
「……この試合……荒れるかもな」
そう言うと、拳聖さんはニヤリ、と微笑んだ。
「好都合だ。拳次郎にとってはな」
「そ、そうですね。兄貴にとっては、むしろ組しやすい相手でしょうね」
僕もそう思う。
きっと、そういう戦いをさせたらあの人の右に出る人はいないよ。
「玲、よく見とけよ」
「はいっ」
「こういうボクシングもあるんだ。ベアナックルを叩き付け合うような、原始的な姿のボクシングがな」
「青コーナー、定禅寺西高校、石神健次郎選手」
――パチパチパチパチ――
「えー、対抗戦だから、お互い紳士的な――」
レフェリーもその二人に漂う異様な雰囲気に気づく。
「二度と俺の前に立てなくしてやるぜ、健次郎」
「二度と? これで何度目だよ、俺の前に立ってその言葉を吐くのはよ」
「こら! 私語は慎みたまえ! お、おいっ!」
――サザワザワザワザワ――
騒然となる会場の中、レフェリーは慌てて両者の間に分け入った。
「こ、これはあくまでも対抗戦だ! これ以上こういう振る舞いをするのであれば、没収試合とするからなっ!?」
「チッ」「ケッ」
ようやく二人は距離をとった。
うわー……今までにない、変な意味での緊張感があるなあ……。
レフェリーが何事かこまごまと注意を与えると――
「それでは両者、グローブを、って、お、おいっ!」
ボンッ
二人は投げやりにお互いのグローブを合わせ、いや、叩きあった
――サザワザワザワザワ――
「お前の試合は、いつも胸が躍るよ」
苦笑しながら拳聖さんは言った。
「そいつぁどうも」
ふてぶてしい笑顔を浮かべる石神さんは、全く物怖じしていないようだ。
ある意味、さすがですよ、石神さん。
「応援してますから、頑張ってくださいね」
ボンッ
あいたっ
「良く考えろ。お前ごときに心配される俺か?」
「そ、そうでした。あははは……」
「お前はお前の試合だけ心配してりゃあいい」
「フッ、らしいな」
拳聖さんは、石神さんの口の中にマウスピースをねじ込んだ。
「そんなことより、俺は“ミ・ガータ”、レイコに届ける動画の方が心配だぜ」
「大丈夫ですよ。馬呉さんが、ほら――」
僕が掲げた手に、アリーナ上の馬呉さんが手を振り返した。
「へっ、それなら安心だ。お前の試合の、露払いくらいはしてやるよ」
――カァン――
「があっ」
「!」
先に仕掛けたのは深南だ。
「ふあっ! ふんっ! があっ!」ボン、ブンボン
だけど、石神さんは柔軟な上半身と鉄壁のブロックを使い、それをことごとく外していく。
「があっ!」ゴンッ
「くっ!」
右のフックが、相手の上腕部に命中する。
ポイントにはならないだろうけど――
「ありゃあ痛いな」
「ええ」
それこそ石のように固くて痛い石神さんの拳は、まさしく凶器だ。
深南の猛烈なラッシュを、石神さんは息の止まるようなディフェンス能力でそれを防ぎ切り、そして上半身を揺すりながらの喰いつくようなしつこいラッシュを仕掛けていく。
手数もクオリティーブローの数も、何よりパンチの強さも、全てにおいて――
「中間距離での攻防、あれにつきあってまともに立ってられたやつを俺は知らない」
「これは……石神さん、楽勝みたいですね」
「……どうかな……」
「え……でもこれ、どう見たって……」
「かはっ! はっはっはっ……」
ロープに追い詰められた深南はたまらずクリンチし、体を入れ替える。
「どうしたよ? 俺ぁ男に抱きつかれて喜ぶような――がっ!」
?
石神さんの様子がおかしい!
「ブレイク!」
レフェリーによって引きはがされた石神さんの鼻から――
「出血してる……どうして?」
「バッティングだ。それも故意の、な」
なるほど、こういうボクサーなのか。
「石神さん、大丈夫でしょうか……」
ドクターによる止血が行われた後、注意が与えられ試合が再開される。
「あいつ自身が言ったろ。あいつのことなんか心配する必要はない。お前はお前の試合のことだけ考えていればいいってな」
再びリング中央、激しい打ち合い。
二人のハードパンチャーが拳を古い、その拳は互いの体、顔面を捉え、一進一退の攻防が展開される。
二人は額をつけて接近戦を――
「押し負け始めた?」
相手のショートがボディーに決まった瞬間、石神さんの動きが目に見えて鈍くなっていく。
そして、何度もショートのボディーフックがボディーに打ち込まれ続ける。
――カァン――
「どうした拳次郎、切れがなくなってきたぜ。第一ラウンド、取られたぞ」
「はあっ、はっ、はあっ、ぷへっ……どうもこうもねえよ。KOすりゃいいだけの話だろうが」
マウスピースとうがいの水を吐き出した石神さんは、グローブに包まれた手で自身の体を指し示す。
「これは……どうやったらこんな跡ができるんですか?」
そこには、パンチの跡とはまた違う傷跡が見えた。
「ああ? ヒジだよヒジ。あいつ上手いこと角度計算しながら、誰にも見えねえ死角で俺の体に何度もヒジを入れてきやがった」
ヒジ?
そんなの体に入れられたら、下手したらあっという間にあばら骨が折れちゃうよ!?
「す、すぐにレフェリーにアピールして――」
「――無粋な真似すんじゃねえよ」
え?
「で、でもこのままじゃ――」
「仕掛けていたのはあいつだ。それにこんなもんで、この“エスティマーゴ・デ・ピエドラ”のタフネスを崩すことなんかできねえよ」
ニイ、拳聖さんも微笑んだ。
「ま、それもボクシングだ。お前はお前のやりたい様にやればそれでいい」
「お? 珍しいな。へっ、あんたのお墨付きなら、何の遠慮もいらねえな」
拳聖さんは再びマウスピースをかんだ。
「セコンドアウト!」
――カァン――
「ボックス!」
深南は、先ほど存分にヒジを叩き込んだ部分に拳の照準を合わせ、何度も何度もボディーブローを叩き込む。
そして、再びクリンチの体勢に持ち込み、ヒジを――
「反則がワンパターンだな」
え?
「その程度の反則で、拳次郎には勝てないぜ」
石神さんは無理矢理深南の体を引き剥がす。
そして――「うらっ!」ボンッ
「あがっ!」
深南の体が浮き上がらんばかりのアッパーを、ガードの上から叩き込む。
あの威力、ガードした腕だってきっとただじゃすまないだろう。
その予想通り、深南はガードをあげるのすらきつそうだ。
「すごい……たった一発で状況をひっくり返しちゃった……」
後によろけた深南は、コーナーに追い込まれる。
そして石神さんは、息もつかせぬボディーブローを、お返しとばかりに叩きこ――
……?
「あ、あれ、かなりパンチ低くないですか?」
苦笑しながら拳聖さんは言う。
「ま、褒められたことじゃないけどな。拳次郎自身はわりとクリーンなボクシングをするんだが、下手な真似すると、ああいうお返しが待ってるんだよ」
……。
…………。
………………ヒュン、ってなった。
「ちょ、ちょ、ローブロ――がっ!」
深南は必死で反則を主張しようとするが――
「うらうらうらうらうらあっ!」――ボンボンボンボンボンボンボンボン
しつこいボディー……三発に一発は○○狙いです、はい……を叩き込み続ける。
「がはっ、はっ、はっ、ちょちょっと待て! あ、あいつ明らかにローブロ――」
しかし時はすでに遅し。
耐え切れずにダウンを選ぼうとしたその瞬間――
「うらあああああっ!」――ガンゴンガンッ
左右のフックに、ダメ押しの右アッパーを叩き込んだ。
「ストーップ!」
二人の間にレフェリーが入り込んだ。
「“ガーノッ!”」
レフェリーはその意識を確認すると、大きく手を振り試合を止めた。
「どうよ。やってやったぜ、俺は」
ニイ、と笑い、リングを降りて右手を掲げる石神さん。
「久しぶりに、お前らしいお前を見れたって感じかな」
拳聖さんは苦笑しながらその手に左手を合わせた。
「アニキイイイイイイッ!」
「だあっ! 気持ちわりいんだよ!」
兄貴分の爽快なナックアウト勝利に、弟分は涙を流さんばかりの祝福を与えた。
「んなことよりも、きちんと俺の情熱あふれるファイトシーンは記録できたか?」
「はいっ! スマホの電源が切れて、一切録画は――」ボコッ、ガキッ、ゴツッ
「これより、四十五分間の休憩に入ります」
「よし、こんなもんか」
馬呉さんの指示に従い、石神さんはミットをおろした。
「はあっ、はっ、はっ……ああっ! はっ、はっ、はっ」
三十分の休憩中、僕は三ラウンドのシャドウとミットで、限界まで呼吸を上げきった。
「準備はいいかキャプテン」
「はっ、はっ、はっ、け、拳聖さん……はい。やるべきことはしっかりやりました」
「そうか。ま、気負いすぎずに、今はしっかり呼吸整えておくんだな」
「はいっ!」




