96 おまけ
清谷さんの方は落ち着いたもので、のんびりと言葉を続けた。
「いつからかなあ。あの、コピー機持ち上げた頃からかも」
そうだった。あの時から清谷さんと話せるようになったんだったな。ジュースおごってもらったりして。思い出したら、ようやくまた、だんだんと周りの景色が見えてきた。
「そういえば、清谷さんの怪力ってどうなったの?
「ええと、ティラノ持ち上げた日以来、使ってみてない。消えたような気もするの」
そういえば、俺の透明化のことも忘れてた。使ってみようと思ったこともない。試しに消えろ消えろ、と念じてみたけどやっぱりできなかった。
「俺も、もう透明になれないみたい。清谷さんの怪力も消えたかもね」
「うん。……よかった。これでみんなみたいに普通なれて」
「そうかなあ。象使いの夢、やめるの?」
俺が言うと清谷さんはちょっと考えた。
「うーん、象も好きなんだけど、タイで暮らす自信がないかも。日本でなんか生き物扱う仕事できたらいいんだけど」
そうだな。俺も清谷さんがタイで暮らすんだったら、タイに行かなくちゃいけない。とは、言わなかったけど。その前に、まず受験とかあるし。
「清谷さんも勉強会、来るの?」
「うん。いいかな、あたしなんかが参加しちゃって」
「もちろん! ぜひぜひ参加して。川原と睨みあってばっかりだったら、なんだか戦いが始まりそうだ」
清谷さんは楽しそうに笑った。
この笑顔を、今までよりももっとたくさん見られるようになるのかな。
人生、捨てたもんじゃない。
頑張ってよかった。
「よかったネ、悟」
また、おっさんの声が聞こえたけど、もう見回さなかった。
なんだか、どういうことだかわかってきたように思う。
その夜の初夢にはアラブ人がうじゃうじゃ出てきた。
おっさんと七人の息子さんと奥さんと五人の娘さんまで。
「アッサラーム・アライクム!(こんにちは)」
いつか遊びに行った魔神のおっさんの、広間に敷いた絨毯に座る息子さんたちが次々に俺の肩を叩いて挨拶をしてくれる。相変わらず逞しいジャッバール、賢そうなヒクマト、人なつっこいアナス。
よかった。
消えてなかったんだ、おっさんも、息子さんたちも。
「煙の出ない火に戻るって言ってたから、また会えるなんて思わなかった」
大喜びするのもなんだか照れくさくて、そんなことを言ったが、おっさんは大はしゃぎで、俺の両肩をバンバン叩いた。
「もうランプに閉じこめられてない。誰にも命令されなくてすむようになったヨ。悟のおかげネ」
もうランプにはいないのか。
だから、あのランプはもぬけの殻なんだな。ずきり、と心が痛んだ。やっぱり寂しい。でも、おっさんはランプに縛られてるのが嫌いだったんだな。こんなに喜んでくれてるんなら、いいことしたのかも。
「あいつは? あの悪魔」
「ああ、ムミード。『死を与えるもの』ネ。ここにあるんだけど」
アシュファクは部屋の隅から、細長くて下の方が膨らんだ金属の壷を取ってきた。手のひらに乗るほどの大きさで、上に小さい蓋が閉まっている。
「えっ? こん中?」
ちっちゃい。あんなに悪魔、大きかったのに。
「そう。できるだけコンパクトにしてみた。日本人、細かいこと得意だから真似してみた」
いつもの冗談なのかアシュファクは壷を軽く降って見せながら笑みを浮かべる。
「あっぶないな。また蓋が開いて出てきたらどうすんだ。いっそ消し去っちゃえばいいのに。できないの?」
「悪は封印することはできるけど、なくすることはできないネ。だから、この世に神と悪魔がいるんだヨ」
そうなのか。
俺、神様にも宗教にも全然詳しくないけど。
でも、悪は完全になくすことはできないというのはなんとなくわかる。
「これ、どこに保管するか考えてるんだよネー。下手なところに置くとまた犠牲者が出ちゃうし。かといってワタシのおうちに置いとくのも嫌だし」
「ちなみに俺んちも嫌だ」
「あ、やっぱり
ふう、と魔神はため息をついて、やっぱりあそこかなー、と言う。聞いてみるとイスラムの聖地メッカの神殿の地下深く、だそうだ。
「いんじゃない? いかにも、そこにありそうだ」
「そうだネ。じゃあ、明日にでも行ってこよう」
メッカまで、魔神だったら一瞬で行けるのか。
「もうランプのとこにいなくてもいいから、どこにでも行けるネ」
まただ。俺が口を聞いていないのにおっさんは答える。自由な存在ってそういうことなのか。
よかったな。
悪魔のことが落ち着いたところで、もうひとつ聞きたいことがあった。
「あのさ、今日、神社で起こったことって魔法なの? それとも神様が叶えてくれたってこと? 俺が思いきって告白したのは、おっさんが、ささやいてくれたからってのもあるけど、清谷さんの答えまでは俺の力じゃないだろ」
アシュファクは楽しそうに声を立てて笑った。
「魔法って言う人もいるし、神頼みって呼ぶ人もいるし、自分が頑張ったからだって思ってる人もいる。同じことだけどネ」
「同じこと」
俺はゆっくりと繰り返した。
だんだん、わかってきた。
魔法なんて現実じゃない。
でも、俺はもう魔法を経験してしまった。つまり、魔法のことを知っている。最初、おっさんが学校について来たとき、知っている人には見えるし、知らない人は気づかない、と言っていた。俺が魔神の存在や、魔法の力に気づくのは、俺が知っているからだ。
ほっといて何もしなくても願いが叶うわけじゃない。でも、願いは自分一人の力だけで叶えられるわけでもないんだ。本当に叶えたくて一生懸命努力して、そのご褒美として神様だか魔法だかの力が最後の一押しをしてくれるものなのかもしれない。だって清谷さんの気持ちまでは俺がなんとかできることじゃなかった筈だ。
「そゆこと。悟、鋭いネー」
「うん。でも、全部おっさんが教えてくれたことだと思う。あの時、言ったことも、今、わかった。本当の友達は会えなくてもずっと友達だって。おっさんとは現実の世界ではもう会えないけど、俺が忘れない限り、いつだって会えるんだ、こうやって」
おっさんは顔がまん丸になるほど、にっこり笑って俺の肩をバシバシ叩いた。
「やっぱり悟、大好きネ」
それからは宴会で大騒ぎだった。また焼き魚かと思ったら、今度は本格的なアラブ料理だった。
知らないメニューばかり。でも、全部美味しかった。食べても食べてもお腹がいっぱいでもう食べられないということがない。そうだな。幻影なんだから。だからいつまでも美味しい。
幻影だってわかってるから。
奥さんと娘さんたちは奥に引っ込んでしまったけど、家族みんなで楽しく過ごしてる、と、息子さんたちが言っていた。
よかったな。奥さんとヨリを戻せて。
ひとしきり騒いだり歌ったりして、おっさんが上機嫌で近づいてきた。
「悟ー、いいこと教えてあげるネ。悟は魔法の三つの性質をマスターしたけど、実はもうひとつある」
「えっ、三つって言ったじゃないか。まだあるんだ」
「うん。おまけね。おまけあるとうれしいでしょ。アイスの当たりくじみたいで」
「いや、そんなに軽くていいのか。当たりくじって」
「いいの、いいの。本当に大切なことは結構、軽ーくやってくるもんだヨ。それはネ、信じている人のところには魔法はやってくるってこと。お願いは叶うと信じる。信じるってことは、もうすでに叶っているとわかることなんだヨ」
「もうすでに叶っているとわかること?」
「そう。だから疑う余地がないネ。ダイジョブ。悟」
おっさんは最後にそう言うと、とびきりイケメンな顔で微笑んだ。
「アッラー・イェセルメク(神のご加護を)」
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