94 もう魔法はなくなってしまった
帰ると、いつもの部屋なのに妙にがらんとして寒々しく思えた。
もう誰も来ないんだろうか。魔神のおっさんもジャッバールもヒクマトも。
ふう、と息をついて椅子に座ると、机の端に魔神のランプが置きっぱなしになっているのが目に入った。
こうして見るとずいぶん古ぼけたランプだったんだな。手に取ってみると、ずしり、と重みはあるが、銀色の金属はあちこち錆びてくすんでいる。
蓋を開けてみても、もちろんそこに魔神の家はない。そういえば、あの時、家の窓から外を見たけど、当然のことながらランプに小さい窓なんかついてない。どうやって窓だと思っていたんだろうな。
念のためにその辺にあった布でこすってみたけど、何も起こらない。やっぱり消えてしまったんだ。
仕方ない。俺が自分で選んだことなんだ。魔法なんて幻覚にすぎない、魔神なんて本当はいないんだって。
それで日向の目が覚めることになったし、俺も瀕死の状態から助かったんだ。魔神のおっさんが消えることになるのも、あの時からわかっていたことだ。いや、消える、というか、本当はいなかった。それを認めただけだ。みんな揃って同じ夢を見ていたんだ。
ふと思いついて台所からサラダ油とタコ糸を持ってきてランプに油を入れて、注ぎ口のところからおっさんがやっていたようにタコ糸を出して火をつけてみた。もちろん魔法ではなくマッチで。
力なく注ぎ口から垂れた糸に火はついたが、魔法の青白い火ではなく、当然、指を近づけると熱そうだったから自分から火傷しにいくような真似はやめておいた。
何も起こらない。
もう俺の世界に魔法はなくなってしまったんだ。
最初からいなかった奴だ。最初からなかったことだ。悲しくなるなんて馬鹿げてる。そう思ったから泣きもしなかった。
風呂に一人で入っても、ふと、おっさんが、悟ー、いいお湯ネと変な日本語で入ってきやしないかと思ってしまって、馬鹿なこと考えてるな、と情けなくなる。
もういい加減に諦めて忘れよう。
実在しなかった存在をどうやって取り戻したらいいっていうんだ。
12月が終わるまで、特に学校の奴らとは会わなかった。
クリスマスに小畑が水口と、何か食べに行かないかと誘ってくれたけど、
「クリスマスぐらい二人で過ごせよ、ばーか」
と、なんとなく腹が立って電話を切った。
そういえば、清谷さんともあれから会ってない。せめて清谷さんのことぐらい、お願いきいてもらえばよかったかな。おっさんの奥さん、清谷さんのとこにいた指輪の精はいったいどうなっちゃったんだろう。
ずっとこうして一人であれこれ考えていると、もしかして全部俺一人の幻覚だったらどうしようと心配になってきた。もし、魔神だの魔法だのと夢見ていたのがおれ一人で、みんなは違うものを見ていたのだとしたら?
年末の、もうあと数分で今年も終わる頃、また小畑から電話があった。
「明日、初詣行こうぜ」
元気そうな声が誘った。
「水口と行けばいいじゃんか」
むくれて言うと、
「水口も行くけど、清谷さんとか川原も来るんだ。男子俺一人って状況、弱いしなー。おまえも来いよ」
「そういうことなら行く」
ふと、日向は来ないのか、と考えたが、多分、川原あたりは誘ってるんだろう。それでも来ないなら俺が誘う義理もない。
元旦はよく晴れて穏やかな日だった。
久しぶりに清谷さんに会うんだ、と思うと、珍しくちゃんと鏡を見て髪を直したりした。別に変わり映えする顔じゃないけど。
電車で少し離れた大きな神社に集合し、人混みの列に一緒に並んだ。
「あけましておめでとう」
「今年もよろしく」
と結構真面目な挨拶で再会する。
これが、あの魔法バトルの後の再会だと思うとなんだか、こそばゆい。
どこから切りだそう、と考える間もなく水口がしゃべり出した。
「優美ちゃんとこの指輪の精、いなくなっちゃったんだって。在田君とこの魔神はどう?」
よかった。
やっぱり嘘じゃなかったんだ。少なくとも、俺一人の妄想じゃなかった。
「うん。うちのおっさんも、もう現れないよ。ランプだけは残ってるけど」
「そう、うちも指輪だけは残ってるの。あのね、魔女さんが最後にさよならって挨拶に来たの。おかげで家族がまた一緒になれたから、在田君にもありがとうって伝えといて、だって。在田君の方は何か言ってきてない?」
「いや、うちはなんにも。あの日を最後に魔神のおっさんも息子たちも影も形もないけど」
冷たいな。清谷さんのとこにはちゃんと挨拶に来たっていうのに。俺がむくれているように見えたのか、清谷さんは気を使うように言葉を重ねた。
「そうなの。でも、もしかしたら、それって本当はさようならじゃないってことない? また来るつもりなんてことないかな」
どきり、とした。
本当は、そうだったらどんなに嬉しいだろう。でも無理だ。
「いや、ないだろ。だって、魔法なんて本当は存在しないんだって言ったのは俺だから。その時点で魔神とか魔法とか完全に否定してるんだから、その俺のところに現れたら変なんじゃないかな」
「そうか……」
清谷さんは少し黙った。
「なんか寂しいね」
清谷さんはいいな。自分の気持ちを素直に言葉にできて。寂しいなんて言葉にすると本当に泣きたい気持ちになりそうで、俺は黙っていた。
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