62 湖の怪物
湖はどこまで行っても黒く、水の中は見通せなかった。墨でも流してるみたいに。
しばらくは静かだった湖面が、中程までくると急に激しく波立った。急にびゅうびゅう嵐が吹き荒れ始めて、俺の身長より高い波が次から次へと押し寄せてくる。小さな船は巨大な波にもまれるサーフィンのように波の上を滑り、ほとんどひっくり返りそうになりながらかろうじて浮かんでいる。水しぶきが幾度もザバーンと頭から降りかかる。
もちろん怖い。でも、怖がったら多分おしまいだ。
大丈夫だ、これは空飛ぶ絨毯と同じなんだ、絶対俺をこの黒い水に落っことしたりしない。
なんでオールがないのか今になってわかる気がする。これは俺の手で漕いでいるわけじゃないんだ。俺の意志のままに動いている。ということは、俺が落ちないと思えば落ちない。多分。
大きく波打つ湖面がそのうち巨大な渦を巻いて中心に向かって水を巻き込み始めた。まずい、真ん中に巻き込まれたら湖の中に飲み込まれる。
なんとかこの渦を脱出したい、と思って頑張っていたら、突然、その渦の中心が盛り上がってきた。
渦の中心から出てきたのは、今まで見た幻獣の中で最大級の大きさの巨大な蛇のような龍のような怪物だった。頭がたくさんある。七つか、九つか。
こいつ、どっかで見た。水口と一緒に調べていた幻獣図鑑の、確かレヴィアタン。旧約聖書に出てくる怪物だ。
渦から首を伸ばした怪物はすぐに俺を見つけてその巨大な口をかっと開けて俺に向かって火を吹いた。
やられる!
とっさに手で顔を防いで船をかわして逃げた。すぐ次には別の頭が口を開けて俺を狙っている。
来た、二回目の炎攻撃。
今度はとっさに思いついて湖の水を俺の前に吹き上げて盾にした。じゅっと水が激しく蒸発し炎を打ち消した。
続く攻撃も幾度か水の盾でなんとかした。でも、俺が攻撃しても攻撃してもかわすので敵も頭に来たんだろう。ついに水から体のほとんどの部分を現して追いかけてきた。
だめだ、防ぐだけじゃ埒があかない。レヴィアタン、どうやって倒すんだったか。
「倒し方はないの。最強すぎて人間には無理。神様じゃないと」
ふと水口の声がくっきりと頭に浮かんだ。役に立たないじゃないか。どうすればいいんだ、神に祈れっていうのか。祈ったことなんて初詣ぐらいしかないけど、いいのか、日本の八百万の神々で。
ゴオオッと今度は複数の頭が一斉に火を吹く。いくつの頭かなんてとても数えていられない。
「ぐええ。助けて下さい、八百万の神様!」
まったく困ったときの神頼みだ。普段信仰のかけらもない俺の望みでも聞いて下さいますように。
すると空がどろどろと暗くなり雷が鳴り出した。
おいおい、この嵐に雷か。どうなっちゃうんだ、俺。
ぴかっと稲光が閃き、すぐ続いて雷鳴が轟いた。まずい、近い近い、雷。もうじきこの近くに落ちる。
ピカッゴロゴロドガーン!
やばい、落ちた。しかも、水の上ってなんか雷に弱かったような気がするけど、俺、大丈夫なのか。
ピカッと雷に照らされてレヴィアタンが暗闇に浮かび上がる。
もしかして、この雷は俺の味方なんだろうか。雷に打たれてレヴィアタン死亡、なんて都合のいいことにはならない、よな。
レヴィアタンは雷なんてものともせず、相変わらず大口を開けて襲いかかってくる。えいっ、と、こないだおっさんに教わったとおり半月刀を飛ばしてみたが、カキンと怪物の皮膚であっという間に刀ははじかれた。
「体中の鱗ですべての武器をはねかえしちゃうの。だから、どんな攻撃も無効」
いつかの文芸部で幻獣を調べていたときの水口の楽しそうな声が頭の中に鳴り響く。あーあ、こんな予備知識さえなければもしかして勝てたのか。それとも、予備知識があるからかろうじてやられっぱなしにならないでいられるのか。
怪物は何度も何度も火を吹いてくるが、その度に水を吹き上げてなんとか大火傷はまぬかれているが、だんだんと湖の岸辺に追いやられている。せっかく半ばまで来たのに。
岸辺近くではまた、バシャバシャとさっきの噛みつき魚が飛び上がっている。ああ、うっとうしい。
八百万の神様、せっかく雷神様、呼んでくれたんだから助けて下さい。って、八百万、多すぎだろ。
ということは。
戦いながらふと、冷静な頭が戻ってきた。
使い方次第なのかもしれない。俺は何がしたいんだ。こいつを倒したいのか。
「世界の終末にはベヒモスという怪物とともに選ばれた人々の食べ物として供されることになっている」という、この怪物をやっつけることが俺の最後の目的なのか? そんなこと言ったら世界の終わりまで戦い続けないといけないじゃないか。俺の方がやられて終わり、は嫌だし。
俺の目的は、あくまで悪魔の城と化した学校に侵入することだ。今、こいつと戦い続けることじゃない。
「神様、頼みます! こいつの動きを封じて下さい! 俺が城にたどり着く間だけでもいいですから」
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