6 空飛ぶ絨毯
部屋に戻ってくると魔神は窓を開けて、よく晴れた夜空を眺めていた。
「飛ぶにはいい夜ネ。今夜さっそく行こか」
「えっ? 飛ぶ? どこへ?」
ようやく魔神らしい言葉が出てきたので、思わずわくわくした。
「決まってるネ。母ちゃんとこ行くよ。絨毯がいいんじゃない?」
空飛ぶ絨毯か。さすが魔神。
どこから絨毯を出すのかと期待して待っているがちっとも動かない。
「で、絨毯は?」
「悟、持ってないの? 空飛ぶ絨毯の一つや二つ。日本人、お金持ちデショ?」
「ないよ!」
日本人が空飛ぶ絨毯を持ってないのは経済的理由じゃないと思うぞ。
「だいたい空飛ぶ絨毯って、買えるのか」
「高級な絨毯はお婆ちゃんからお母さん娘と三代ぐらい続いて織り続けるネ。アラブのお金持ちはみんなだいたい持ってるヨ」
嘘な気がする。でも、絶対嘘って言い切れない。アラブならありかもしれない。
「しょうがない。ワタシの貸してあげるヨ」
魔神は、ランプの口から、ひゅるっと巻いた臙脂色で複雑な模様の絨毯を取り出して広げた。
広げた絨毯はそのまま膝より少し高いぐらいのところにふわふわ浮いていた。
「乗っていいの?」
期待を込めて俺が聞くと、魔神は眉根にしわを寄せてもう一度丸めた。
「・・・失敗。外、出てから広げるネ」
畳二畳ほどの絨毯はどうやらここの窓から出ないようだ。
よっこいしょっ、と魔神は散らかってる俺の机によじ登り、シャーペンや教科書をまったく気にせず踏んで、窓から外に絨毯を広げた。
ふわり、と魔神は絨毯に乗って座り、
「はい、どうぞ」
と俺を招待した。
「えっ・・・」
俺も机に乗ってみたが、さすがにちょっと怖い。だって、浮いているのは布一枚。下はすぐ、狭い庭だ。それに、絨毯は意外とひらひらして安定しなさそうだし。魔神なら乗れるんだろうが、人間の俺が乗っても本当に大丈夫なんだろうか。
俺は机に乗り、窓枠にしっかりつかまりながら、そうっと片足だけ絨毯に踏み出してみた。
足で押すとぼよんぼよんする。
やっぱ怖いわ。
「いつまでも遊んでると夜が明けちゃうヨ、悟」
「遊んでんじゃねえ」
どうやって乗ればいいんだ。
「ダイジョブ。ぴょん、て乗ればいいネ。絨毯、乗る人落っことさないヨ。ワタシの絨毯、優秀ネ」
「おまえのだから怖いんだってば」
結局、魔神が手伝ってくれて、俺はおっかなびっくり窓枠から手を離してようやく絨毯に座った。座ると柔らかい布団みたいに座るところが軽くへこみ、落ちるんじゃないかとはらはらする。
「よし。じゃあ、行くよー」
楽しそうに魔神は声をかけ、絨毯は本当に空を飛び始めた。
住んでる町の空へと絨毯はみるみる昇っていった。俺の家がどんどん小さくなる。下に見えるのは、細い道に沿って街灯に照らされる隣近所の家々、幹線道路に並ぶ車と信号、店明かりを歩道に落とすコンビニ。まだ完全には眠っていない夜の町。
「すげえ」
思わず嬉しくなって声が出た。魔神は誉められて嬉しそうだ。
高いのでどのぐらいの速さで飛んでいるのかよくわからないけど、頬に当たる風の感じは自転車ぐらいの速さに思える。暑い夏の夜、地上よりも空は少し涼しい。
足下の町はまだ明るいが、部屋の窓から見るよりも星がきれいだ。少し遠くに高いビルが、明かりを点々と灯しているのが見える。
このまま清谷さんのうちまで飛んでいくのか。清谷さん、びっくりしちゃうよな。いきなり窓から声かけるのはやめておこう。そっと彼女の部屋を外から眺めるだけ。それだけでも嬉しいじゃないか。
そして、魔神の奥さんが本当にいるかもわかるんだろうし。
絨毯に乗るのもだんだん慣れてきて、怖々しがみついてるだけじゃなく、絨毯の縁から下を眺めたりできるようになってきた。点々と光る町の建物や車の灯りが綺麗だ。
そのうち、だんだん速度が落ちてきた気がする。
「着いたの?」
聞いてみたが、魔神は無言だ。
そしてだんだん高さも下がってきた。
いよいよ清谷さんの家か。どこなんだ、と思って一生懸命周りを見回す。似たような家ばかりで、どれだかわからないな。
絨毯は住宅街の一角に向けてだんだん降りてきて、家の屋根ぐらいの高さになり、二階の窓の高さより下がり、そのうち・・・地面に着地した。
「ここなのか? 清谷さんち」
予想とちょっと違った。俺の部屋を出発した時みたいに、窓に着くんだと思っていた。ここは住宅街の細い道路の上だ。
「わからないネ」
「えっ? わからない? わかってて向かってたんじゃないの?」
信じられなくて俺は聞き返した。
「悟がわかってると思ったネ」
なんだって!
「何言ってるんだ。俺、清谷さんのうち、知らないって昼間言ったじゃないか。聞いてなかったの?」
魔神が真っ赤になったのが、ほの暗い街灯の下でもはっきりわかった。
「ワタシの思いと悟の思いがあるから、たどり着けると思ったネ」
なんてことだ。俺はすっかり清谷さんの家にたどり着けるとばかり思っていた。念のため、近所の表札を読んでみたけど、小出、とか沢上、とか全然違う名前が並ぶ。二、三軒先まで見てみたけど清谷のきの字もない。
「しょうがない。帰ろうぜ」
俺は声をかけたが魔神は相変わらず真っ赤な顔をして押し黙ったまま絨毯に座り込んでいる。
どうするってんだ。住宅街の片隅で絨毯に座ったアラブ人のおっさん。
手作りアクセサリーとか並べて売ってるか、笛吹いて蛇でも踊らせてなけりゃかっこつかなくてしょうがない。
「だって、清谷さんちじゃないんだから、これ以上ここにいても意味がないだろ?」
ふうーっと魔神はため息をついて絨毯を丸めて立ち上がった。
「え? 絨毯で帰るんじゃないの?」
驚いて尋ねると魔神は難しい顔をして首を振った。
「がっかりしたネ。もう魔法使う気無くした」
「ええーっ! じゃあ、こっからどうやって帰るって言うんだよ」
魔神はぶんむくれた顔をして黙って丸めた絨毯を小脇に抱えて歩き始めた。まったく、なんて我が儘なおっさんなんだ。
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