28 空間の歪み
どうしよう、このケーキ。
近づいて見てみても、やっぱり本物のケーキだ。ウエディングケーキなんて見るのは小さい頃、従兄弟の結婚式に出て以来初めてだ。あの時は、あんなに大きなケーキを食べられるんだ、とよだれを垂らしていたけど、今、目の前のケーキを見ると、本物は一番下の段だけで、上の方はハリボテで作られてることがわかった。なんだ、偽物だったのか。
いや、そんなこと考えてる場合じゃないだろ!
なんで俺の部屋にウエディングケーキがあるんだ。俺の相変わらず散らかった机の上に。
よく見てみると、ケーキの置いてあった場所に、もとあった教科書がなくなっている気がする。散らかってるけど、一応、物の場所は把握している。だから散らかってても大丈夫。
いや、そういう話でもない。
どうする。魔神はどっか行ってるし。かといって俺が何かできるわけもない。ましてや母さんがこんなことに関わっているとも思えない。
やっぱりここは魔神の領域だよな。
でも、いないし、どうやって。
ため息をついて椅子に座ると、ふとランプのことを思い出した。
そうか、もしかして、これで呼び出せるんじゃないだろうか。最初の日、どうやってあいつ、出てきたんだっけ。よく覚えてないけど、アラジンはランプをこすっていた気がするな。
何かないか部屋を探し、洗濯したてのシャツがあったので、それでランプをこすってみた。
どろん。
よかった。やっぱり来た、ランプの魔神。
いつもみたいに、呼んだー? とお気楽に声をかけもせず、目を丸くしてケーキを見つめた魔神は開口一番に尋ねた。
「何これ?」
「こっちが聞きたいよ。なんだ、これ」
魔神はケーキに近づいてまじまじと見つめ、それからふっと息を吹きかけた。ゆらゆらとケーキから煙のようなものが立ち上がり、それが結婚式のシーンのように見えてきた。
「誰かの結婚式の会場から飛んで来ちゃったみたいだね。悟、知り合いに結婚式してる人いる?」
「全然知らねえ」
もう親戚で結婚しそうな人いないし、友達はみんな高校生だし。
うーん、と魔神は考えて、次にこう尋ねた。
「じゃあ、ここに悟のもの、何かあった?」
「ああ、多分教科書だ。えっと、なんだったかな、昨日宿題でやってたやつだと思うから、数学かな・・・? それとノート」
「それの絵、ここに描ける?」
魔神はくるりと空中に指を回すと画用紙ぐらいのサイズの煙の壁を出した。
「いや、絵心は全くないし」
「思い描くだけでもいいネ」
思い描く、か。どんな風だっけ、数学の教科書。えっと、確か、数学Ⅱって書いてあって表紙に緑の丸と黄色い三角の図がついてて、端っこの方に一回コーヒーこぼした染みがついてるんだよな・・・。
煙の壁がだんだん教科書の姿に近づいてきた。
ぱちん、と魔神が指を鳴らした。
次の瞬間、どろん、とウエディングケーキが消え、代わりに俺の教科書とノートが机に乗っていた。
「ああ、びっくりした。いったい何が起こってたんだ?」
「ケーキの場所と悟の教科書の場所が入れ替わってたみたい。よかったネ、脱いだパンツとかじゃなくて」
「・・・っ! さすがに脱いだ物は洗濯、出してるよ!」
確かに、俺の方は驚いただけだけど、向こうはせっかくの晴れの結婚式にケーキがいきなり消えたんだから大騒ぎだったことだろう。教科書ならまだしも、男子高校生のパンツだったら死ぬほど可哀想だ。
「でも、なんでこんなことが」
魔神は笑いもせず静かに答えた。
「空間の歪みが出てきてるネ。さっきのハンモックも変だった。なんか起きてる」
「空間の歪み?」
わけがわからない。えーとネ、と魔神はしばらく考えた。
「たとえば紙とかぎゅっとねじって元に戻すとくしゃくしゃになるデショ。あんな感じで世界がねじれてる。ここにあるはずの物が別の場所にあるように見えたり、ちゃんとした形の物が変な形になったり。そゆこと」
「わからん」
「うまく言えないネ」
魔神は眉根にしわを寄せてターバンの頭を両手で抱え込んだ。
「とにかく、変なことが起こりかけてる。悟、あれ、やっとこっか。消える練習」
「えっ?」
そういえばしばらく忘れてた。
「練習なんてできるのか」
「ダイジョブ。手伝ってあげるヨ」
消えることができるようになるのは嬉しいけど、どうして今その話なんだ?
「俺が消えられるとなんかいいことあるわけ?」
魔神は微妙な顔をした。まるで、騙そうとした相手に嘘を見破られたみたいな。ふう、と小さなため息をついて魔神は答えた。
「・・・実はちょっと心配してる。もっと悪いことが起こらないかどうか。いろいろできるようになっといた方がいいネ。悟は消えられるから、もしかしたら役に立つかもしれないし。あと、念のためだけど、剣術とか興味ない?」
「ええっ! 剣術? あの、チャキーンチャキーンって、斬り合うやつ?」
「他に何?」
何言ってんの、というように冷たく聞かれた。
「いや、俺、だめだ、そういう系」
断ってんのに魔神はいつのまにかアラビア風の長い半月刀を手に持っていた。きらりと光る刀を持ってゆっくりと風をなぎ払う。
かっこいいじゃないか、おっさん。
思わず見とれてると魔神はちらりとこっちを見た。
「持ってみる?」
「え? いや、本物? これ、斬れる?」
「当たり前ネ」
「やだなあ」
魔神が渡してくるので、恐る恐る手を伸ばした。
また幻影で空気のように軽いのかと思ったら、意外とずしりときた。
「・・・無理」
「すぐ諦めるの、悟の悪い癖ネ」
「いや、俺、戦いなんて望んでないし」
「まあ、そうならないに越したことはないけど。でも、なっちゃったら? その時、ワタシがいなかったら? もし、だけど、メガネちゃんとか護らなきゃいけない立場だったら?」
清谷さんか。確かに、彼女だったら俺も頑張っちゃうかも。ただ、ほんとに護る立場になれるのか。
「護られちゃったりして。彼女、俺より怪力だし」
冗談のつもりで言うと、やっと魔神は楽しそうに笑った。
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