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23 高校生活三年分の幸せ

 「あの、もしよかったらジュースとかおごらせて」

 思いがけない清谷さんからの言葉に俺は、ここは天国かと思うぐらい舞い上がった。

「いや、いいよ。たかがボールペン拾うの手伝ったぐらいで」

「あ、もちろん、嫌だったら・・・」

「ううん、嫌じゃない、嫌じゃない。ちょっと悪いなって思っただけ」

「その・・・助かったから。お気に入りのボールペンだったし」

 ふわり、と唇を上向きの三日月型にほころばせて、清谷さんはウサギのモチーフのついたボールペンを自分の前でひらひら振って見せた。


 「ああ、でも、いけねえ。文芸部の仕事に戻んなくっちゃいけないんだった」

 ちくしょう、文芸部。こんな時に。でも、みんなを待たせてるんだ。

「そうなの? ああ、それの印刷なんだ。じゃあ、あたし、手伝おうか」

「いいの? 清谷さんは急いでない?」

「うん、今日は別に。それに、在田君にも手伝ってもらっちゃったから」

 ・・・夢のようだ。夢かも。夢でもいい。清谷さんと二人きりで午後の印刷だなんて。印刷じゃなかったらもっといいけど、贅沢は言わない。


 あまりにも嬉しくてぼうっとして、もし彼女がいなかったら、再び変な印刷ミスをしてしまうところだったかもしれない。

「ありがとう。すごく助かった」

「大したことしてないけど。でも、こんなに部誌刷るんだ。人気あるんだね、文芸部」

「いや、ない。絶対ない」

 水口の無謀な挑戦についてまで詳しく話すことでもないが。清谷さんはふふっと笑いながら、印刷を終えた原稿をトントンと印刷機の上で揃えると、はい、と渡してくれた。

 

 「もう戻るんだよね、文芸部の方。じゃ、中棟の自販機のジュースでもいいかな」

「もっ、もちろん。ってか、ほんとにいいの? 俺の方こそ手伝ってもらっちゃったし」

 並んで歩く清谷さんは少し顔を赤くしてうつむいた。

「その・・・、お礼っていうか。内緒にしとくって言ってくれたこと」

 そういうことか。

「気を使わなくていいよ。そんなこと、してくれなくても、俺、人が困るようなことしないからさ」

「優しいんだね、在田君」

 誉められた! 清谷さんに誉められた!

 また俺は校舎のはるか上空まで舞い上がった気分になった。

 頭の中が薔薇色の天国の雲に埋め尽くされたようで、周りの情景が目に入ってこない。

 ぼうっとして彼女の隣を歩いていたと思う。

「どれにする?」

 との声に、はっと正気に戻った。いつのまにか自販機の前に立ち止まっていた。

「あっ、どれでもいいよ」

「そこは言ってくれないとわからないな」

 清谷さんは楽しそうな笑みを向けてくれる。

「じゃあ、これ」

 販売機の値段ボタンだけに目を走らせて俺は指を指す。

「水?」

 しまった、水だったか。馬鹿だな、俺。でも、この際、飲む物は何でもいい。清谷さんと二人でこんなことしてる、その事実だけで、もう高校生活三年分の幸せが一気にやってきたみたいだ。

「遠慮しなくていいのに。それとも、ほんとに水飲みたかった?」

「あっ、ああ、うん」

 笑顔のまま清谷さんは、ペットボトルの水のボタンを押し、出てきたボトルをはい、と渡してくれた。

「ごちそうさまっす」


 自分はオレンジジュースを買った清谷さんは、俺の目の前でプシュと蓋を開けた。

 美しい人は、飲んだり食べたりする姿も美しいって誰か言ってたけど本当だな。彼女がジュースのボトルを傾けて薄桃色の唇に当てる。オレンジ色の液体が揺れながら減っていき、微かに動く白い喉元に見とれながら、あんまりじっと見てちゃ怪しまれる、と思って俺も水のボトルをプシュっと開けた。


 「どうしてこんなことができるのか、わからないんだけど」

 清谷さんは飲む手をちょっと止めて、ボトルを持っていない方の左手を見つめながらぽつんと口にした。

「怪力なの。その気になれば象とか持ち上げられちゃうかも」

「象? へえ、そりゃすごいな」

 なるべく普通に聞こえるよう努力したけど、絶対、普通の女子高生の台詞じゃないぞ、これ。

「従兄弟のお兄ちゃんが来た時、車がうまく止められなくて斜めになっちゃったことがあって、家族に内緒でちょっと持ち上げて直したこともあるの。あ、黙っててくれる?」

 清谷さんは恥ずかしそうにちらりと俺の方を見た。なんてかわいいんだろう。

「もちろん。絶対、誰にも言わないよ」

 深くうなずいて見せると安心した表情になる。

「体力測定で握力検査の時、握力計、振り切れちゃってそのまま壊して、新しいのに変えてもらったりとか。あの時はすごい罪悪感だったなあ。このままじゃ普通に就職できないから、タイとかにいって象使いになろうかと思ったこともあって」

「それ、いいね。象使い。俺、行くよ。象に乗りに」

 ついでにタイに移住しちゃうよ、とか言いそうだったけど下心丸出しなのでやめた。

 清谷さんは春の木漏れ日のような柔らかな笑みを見せた。

「ありがと。もし、ほんとに象使いになったら、在田君に連絡するね。よかった、今まで誰にも言えなかったの、こんなこと。在田君、驚かないんだね。安心した」 

「うん、まあ。変なことには耐性あるから」

 魔神出たりとか、日向が空飛んだりとか。

「水口さんとか? 面白いよね、あの人」

 別の方に勘違いしてくれてよかった。

「うん。見た目と中身のギャップ激しいから最初びっくりしたけど、まあ面白いかな。結構いい奴だし」

「そう、いい人だよね。あたし、中学一緒だけど」


 そう言いながら清谷さんが北棟から出てくる女子の方を見た。

 うわっ! その水口!

 なんでこんなスペシャルシーンに、のこのこ現れるんだ。

 

 水口と清谷さんさんは笑顔で手を振り交わした。意外と仲いいのか。

「じゃあね」

 清谷さんは最後にまた、きらめくような笑みをプレゼントして去っていった。俺は水口と二人、自販機の前で残された。

「へーえ、在田君、やるじゃん」

 水口が好奇心満載の横目でちらっと俺を見上げた。

「いや、別に・・・。たまたま印刷機のとこで会って、ちょっと手伝ったから。それだけだよ」

「ふーん、そうかそうか」

 まだにやにやしてやがる。全く女子って奴は。完全に誤解だというのに。

「まっ、頑張りたまえ、健全なる青少年。とりあえず、文芸部戻ろうか」

 ぽん、と水口が俺の肩に手を置く。夢のような時間はあっという間に過ぎてしまった。

「・・・ういーっす」


――――――――――――――――――


読んでくださってありがとうございます。

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