22 清谷さんの秘密
そうこうしているうちに夏休みも終わりに近づいてきた。
文芸部の原稿もぼちぼち集まってきて校正が終わり、担当を決めて各自印刷を、という段階になった。
一人数ページずつ学校の印刷機を借りて印刷する。用紙とインクは文芸部が持っているので、今、印刷機に入っている学校用の用紙やインクと入れ替えて印刷することになっている。面倒なので俺は小畑と一緒に職員室倉庫の印刷機に行き、用紙もまとめて二人分入れて、じゃんじゃん印刷した。
そして、別の日にできあがった原稿を持ち寄って製本作業をする。予算がないので、全部手作業だ、肉体労働だ。文系の部活だから体は使わなくていいかと思っていたのだが誤算だった。
机をくっつけて、その上に原稿をページ順に並べて一枚ずつ取っていきながら机の周りをぐるぐる回って全ページを集める。
「そういえば知ってる? 日向君、病気なんだって」
机を回りながら女子の誰かが言い出す。
「へーえ? あのタフネス君がね」
「クールー病かなー」
水口が聞いたことのない病名を口にする。一瞬、悪い予感が脳裏をよぎったが脊髄反射で、つい聞いてしまった。
「なんじゃそりゃ」
水口は、よくぞ聞いてくれたと、にやーっと笑いを浮かべた。
「パプアニューギニアの先住民達の儀式でね、死者を弔うために死んだ人の体を食べるってのがあるの。死んだ人がクールー病を持ってると、食べた人が感染するんだって」
「怖すぎっ!」
「ぐえええ」
やっぱり聞くんじゃなかった。水口がよくわからない言葉を口にしたときは、もっと用心するべきだった。
「ここは、現代日本だろ! 日向が人肉食べたとかありえん。そもそも、なんでそんな病気、知ってるんだ」
「いやー、だって。ほら、世界はグローバル化してるし」
とりあえず、知的な言い訳をすれば許されると思っているな。
「あー、水口としゃべるんじゃなかった。悪夢見そうだ」
俺が頭を抱えていると、小畑がへらへら笑いながら話を逸らした。
「知恵熱じゃね? 勉強しすぎで」
「知ってる? 小畑君。知恵熱って、赤ちゃんが出す熱だよ。知恵がつく頃初めて出す熱だから知恵熱っていうんだって」
女子が呆れ顔で教えてくれる。ホラーネタを披露できてすっきりした水口が楽しそうに話を受けた。
「日向君って、純粋培養っぽいからそうだったりして」
「純粋培養か」
うまいこと言うな。
「だって、そうだよね。いまどき、あんな正義の味方みたいなこと、真顔で言えるって、どんな育ち方してるんだろって思わない?」
悪口ではない。でも、一応女子である水口がそう言ってくれて、ちょっとすっきりした。日向のこと、そんな風に感じてたのは俺だけじゃなかったのか。
「あれっ? ここ違ってる」
集め終わった原稿を束ねて、ページをぱらぱらとめくっていた女子の一人が突然声を上げた。
「どこ?」
「ほら、11ページの次が13ページになってる。それで、次が、12、14ぺーじになってる」
しまった。
「やっべえ。俺んとこだ。間違えたか」
小畑と二人でやってるから、大丈夫、と気を抜いてしまったのか、印刷の順番を間違えてしまったようだ。
あーあ、と水口がため息をついた。
「刷り直しだね。在田君、今からやって来れる?」
「そうだなあ」
確かに、せっかく部員が集まってる今日、作業をやってしまった方が楽だ。
「わかった。やってくるよ。・・・ところで、あのう、部長。ミスしたコピー用紙代は、もしかして自己負担?」
おそるおそる俺が聞くと、水口はうーん、と考え込んで、きっぱりと言った。
「いいよ。誰がやったって間違いはある。部費でよろしい!」
「助かった! いよっ! 部長、太っ腹!」
「うるさいっ!」
水口がお腹を押さえて怒り出した。コンプレックスを刺激してしまったか。でも、笑わしてくれるとこが、あいつのいいところかもしれないな。
インクと用紙を持って印刷機の置いてある職員室倉庫のドアを開けて俺はどきりとして固まってしまった。
清谷さん。
しかし、俺がここまでびっくりしたのは清谷さんがいたからではない。
清谷さんが、印刷機を持ち上げていた。床から数センチも。
小型の機械ではない。高さ一メートルちょっと、幅一メートル、奥行きも数十センチある大型の機械だ。重さも恐らく数十キロ、下手すると百キロ以上あるかもしれない。
「あ・・・」
女の子の一番恥ずかしいところを見られてしまったような真っ赤な顔をして清谷さんの方も固まった。
清谷さんは、そうっと音がしないように印刷機を床に下ろした。
「あの・・・、見た?」
清谷さんがちらりと俺の方を見ながら小さな声で尋ねた。
「あ、ああー、うん、まあ」
嘘をついてもしょうがない。なんと言ったらいいか迷いながら答えた。
「あの・・・」
「あっ、いや。もし、内緒にしててほしいなら言わないから、誰にも」
「ありがとう」
ようやく彼女はほっとした表情を見せた。
「ごめん、ノックもなく入ってきちゃって」
「ううん。それはいいんだけど。変でしょ、あたし。こんな・・・」
「いや・・・」
言葉にしていいものか迷って、俺は印刷機の方をばれないようにちらりと見た。清谷さんは、ドアの方に目をやって誰もいないことを確かめた後、静かに言った。
「怪力なの。みんなには内緒にしてたけど」
「ああ、うん」
なんて言ったらいいんだ。認めちゃっていいものだろうか、でも否定するのも変だし。
「印刷機の裏にボールペン落としちゃったから拾おうと思って・・・」
「そうなんだ。俺、手伝おうか。一人じゃ大変だろ」
「ありがとう」
やった! 清谷さんの花のような笑みを、俺一人で見られるなんて。
それで、清谷さんが印刷機を持ち上げている間に俺が床との隙間に腕を伸ばしてボールペンを拾った。もし万が一彼女の力が急に抜けたり落っことしたりしたら片腕なくなるな、と覚悟しながら。
「取れたよ」
「ありがとう! もういい? 下ろしても。気をつけてね」
「うん、大丈夫だ、ほら」
清谷さんは俺がもう印刷機の下にいないことを確かめて、ゆっくりと印刷機を下ろした。
重い物をゆっくり下ろすのは、どさりと下ろすより強い力がいる。音も立てずにこんな物下ろせるって、どれだけ怪力なんだろう。
――――――――――――――
読んでくださってありがとうございます。