17 消える練習
大道具係を引き受けるというのはまったく衝動的で予定外のことだった。小学校の頃から、自分から何かに立候補したり積極的に手伝ったりしたことは一度もない。友達とつるむ以外の集団行動も、正直、得意じゃない。
しかも図画工作は苦手だ、いや、図画工作も、苦手だ。得意なことは本を読むこととテレビを見ることぐらい。文芸部に入ったのだって消去法で、運動部でない、絵を描くとか特技を生かすこともない、適当に楽そうな部活ということで選んだ。
正直に言えば、その当時、顔しか知らなかった水口にも、ちょっと騙されたクチかもしれない。間もなく水口のホラー趣味について行くのは、深海6500を追いかけて素潜りするぐらい無謀なことが判明した。
大道具係りの仕事は、劇の背景になる建物や背景の絵を描いたり、必要によっては柱や、木ぐらいの物を作ったりする。背景の絵ってのは、四つ切り画用紙と違って巨大なのだ。塗る面積もハンパない。
幸いなことに、水口の友達の漫研部員がうちのクラスにいて、美術部員も動員したりしてくれていた。女子が多い。彼女たちは、紙に必要な物をリストアップしたり、背景の下絵をさっさと書き始めたりしている。すごいな、全く何もないところから絵を描くことができる才能って。
「刷毛が必要だよね。あと、絵の具どうする? ペンキでもいいぐらいだけど、後始末が大変だからやっぱり水彩にしようか」
「予算で見ようよ。絵の具の一番おっきいやつ買うのとペンキとどっちが安い?」
「うーん、そうなるとペンキの方かも。いっそのこと色画用紙使っちゃうってのは?」
「どっちみちB紙か厚紙は必要だよね。ここの柱の部分は養生紙って手もあるよ。ほら、塩ビで折り曲げられる堅いやつ」
さっぱりわからんが、専門家同士の話は早そうだ。
そのうち、買い出し係りやってーと頼まれそうな流れ、と思って俺は黙って待っていた。
暇なので、試しに消えてないか、片手をじっと見てみる。
こういう、俺っていてもいなくてもいいよね、というシチュエーションでは消えやすいんじゃないか。
ぼーっとすることに集中する。
集中するなんて、何かを一生懸命にやってるときって思ってたけど、ぼーっとに集中する、というのは、実は瞑想とかヨガとか、そういうのかもしれない。
消えてる、と魔神に言われたときの感覚を一生懸命思い出してみる。世界が膜一枚隔てた向こう側にあるような、現実が現実として手の届くところには無いような、そういう感覚を再現できれば。
「・・・在田君? 寝てた?」
美術部の園田に声をかけられて、はっと気づいた。
「いや、寝てない、と思う。ごめん、ちょっと意識が飛んでた」
園田はごしごしと両目をこすった。
「なんか、在田君、ちょっと霞んで見えたんだよね。あたしの目がおかしかったのかなあ。ドライアイかも」
「あ、うん、そうじゃね? 目薬とかしたら」
「そうだねー。そういえば眼科で目薬した方がいいって言われてた。忘れてた」
園田は自分のカバンに目薬を取りに行った。
やった!
霞んでた? これ、もしかして成功じゃないか?
消えてるときは自分ではわからない。今まではいつも魔神に教えられて初めてわかってた。ほんの少し、この感覚、自分でなんとかできるようになってきたのかな。
予想通り、俺は美術担当はできないので、ホームセンターとかに買い出しに行く仕事を任された。
帰るとき、見たくもないものを見てしまった。
日向の頭のサイズを清谷さんが計っている。
「日向君、意外と髪の毛がボリュームあるんだね」
「そう、天パーちょっと入ってるだろ。雨の日は膨らむんだよな」
「あー、わかるー。雨の日って髪、まとまんないよね」
他愛のない会話だ。別に特別な意味とか感情とかは入ってないんだ。
そう自分に言い聞かせながら教室を後にした。耳だけは後ろに残しながら。
髪を手で触るって、彼氏彼女ならありかもな。
意味があるようでないような甘い言葉をささやきながら、相手の髪の中に指を梳き入れる。頭に、首筋に、手を滑らせながら。
いかんいかん。
そういう場面を見た訳じゃないんだから、勝手に妄想する必要なんかこれっぽっちもないんだ。
自分の意志に反して妄想が走ってしまうのも俺の癖だ。しかも、自分に都合のいい妄想じゃなくて悪い妄想が断然多い。
だって、ほんとにその通りなんだからな、と、もう一人の俺がささやく。悪い妄想が当たったことなんて、何回でもあるじゃないか。
うるせえ、黙ってろ、と、俺はもう一人の俺に言う。
こういう時、魔法が使えたらどうするんだろう。
魔神のやつ、奥さんの前では超イケメンになれたんだよな。でも、それは本当は偽物で、安心して真実を見せたら嫌われた。そんなの、ほんとの愛じゃないんじゃないか。かっこ悪くても、そのまま愛してくれるのが本物の愛じゃないんだろうか。
「呼んだー?」
「うわっ!」
いきなり現れたので、すっげーびっくりした。
「なんで呼んでないのにわかるんだ」
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