1 魔人、現る
目の前に、すごく欲しかったもの、大好きなものが現れたら、ぱっと手を出せるだろうか。
どうでもいい希望はすぐ叶うけど、本当に欲しいものはなかなか手に入らない。魔法でも使えたらいいのに。
ーーーと考えていたかどうだか覚えていない。
どろん。
効果音で言うとそんな音になるだろう。暖かい夏の夜いきなり俺の部屋に現れたのは、アラビアンナイトみたいな服装をしたデブな外人のおっさん。
「・・・誰? あんた」
「ん? そっちが呼んだんデショ? なんか用?」
「いや、呼んでない。それよか、名乗ってください」
おっさんは信じられないという感じで目を丸くした。
「魔神のこと、知らないで呼んだの? あり得ないデショ」
いや、信じられないのはこっちデショ。
「どっから来た?」
「・・・だって、ランプこすったヨ? 普通、それ、召還デショ?」
普通じゃないし。
俺は手に持った古びたアラビア風のランプをあらためて、まじまじと見つめた。
だいたい、これ、百円じゃなかったら買わなかった。
近所の桜ヶ丘商店街の夏祭りで、みたらし屋の隣で、おばさんというにはちょっと年取った女の人が、『○○シップ薬』と広告の入ったレジャーシートの上に、がらくたばかりを並べて売っていた。
『トムとジェリー』に出てきそうなバネ式のネズミ取り、酒の壷を持って小首を傾げる狸の焼き物、手垢でベタベタに輝いている魚をくわえた木彫りの熊、骨董品の模造のような皿・・・。そんなものに混じって、薄汚れたこのランプは置いてあった。
どうして買う気になったのかよくわからない。
もう、お祭りも終わる時間になっていた。
みたらしも残りだから、おまけで一本三十円でいいよ、と言われて買ったあと、財布の中に百円ちょうど余ったから、かもしれない。
おばさんの、今日も全然売れなかったねえ、という感じのうらぶれた表情が可哀想だったのかもしれない。
俺が、これ買う、と値札の百円を渡すとおばさんの顔がぱっと明るくなった。
「まいどあり。あんた、いいことあるよ」
なんでこんなもの買っていいことあるんだろな、と思ったけど、おばさんが喜んでくれたのは嬉しかった。
帰るまで買ったことすら忘れていた。持ち帰った袋に入ったゴミを捨てるついでにランプが出てきた、というところだ。
俺は、あらためて目の前のおっさんを、見つめた。
失礼だが、全く、魔神の風格じゃない。
魔神なんて、子供の頃読んだアラビアンナイトに出てくる奴しか知らないが、もうちょっと威厳があるだろ。ちょっと太めだったとしても、せめて筋肉モリモリとかさ。腕組みしたりして、近寄りがたい風情のかけらぐらいあってもいいんじゃないのか。
おっさん、どう贔屓目に見ても、商店街の片隅でプレハブ店舗でトルコ風アイスとかケバブとか売ってる人みたいだ。
もし、海外まで行くなら、ピラミッドとかの近くでいつの間にかすり寄ってきて、
「ニホンジン、オミヤゲ、ヤスイヨ」
と、ニホンゴと彼らの呼ぶ言語で話しかけてくる類だ。
「なんか用って、もしかして、お願い聞いてくれたりすんの?」
一応、魔神を名乗っているので、念のためお約束を尋ねてみた。
「んー、まあ、内容によっては聞かなくもないヨ」
一瞬、
「帰ってください。あ、ランプ代百円、置いてってね」
と、口にしそうになった。あぶない、あぶない。もし、万が一、ほんとだったら、三つのお願いをそんなことで棒に振ってしまう。でも、このおっさんじゃ、その程度が関の山かな、という気もする。
「じゃあさ、世界征服とか、俺専用のハーレム欲しいとか、そんなんでもいいわけ?」
おっさんは、情けないタレ目で、こっちを見つめてふうーとため息をついた。
「そりゃ、できなくもないけど、よく考えなさいネ。あんた、本気で世界を支配しようって思ってんの? 支配するってことは、全部、あんたが面倒見ないといけないってことだからネ。
ハーレムだって、あんたの好み、わかんないネ。この世界には老若男女いっぱいいるヨ? どうすんの? みんな適当にやって来てもいいの?
だいたい願い事の初心者はねえ、何が自分を幸せにするかよくわかんないまま、おっきなこと願っちゃって大変な目に会うヨ」
うーん、老若男女全部のハーレムって・・・。例えて言えば保育園と小学校と中学校と高校と大学と会社と老人ホーム合わせたみたいなやつか? どっちかっていうと、福祉施設だよな、それ。
「じゃあ、ちょっと保留。ゆっくり考えさせて」
「その、考えさせてってのも、お願いって思っていいわけ?」
「いや、違う。考えは考えだ」
頼みごと形式でものを言ってはいけないのか。じゃあ、なるべく黙ってるのがいいのかな。こっちがお願いを口にしなければ、一般的なランプの魔神だったら、律儀にお願い聞くまで待っててくれるはずだ。
「ふあーあ。お腹空いた。なんかないの?」
おっさん、欠伸しながらそんなことをのたまう。いきなり押しかけといて、食べ物を要求するなんて、ぬらりひょんみたいな奴だ。
「自分の魔力でなんか出せば? 魔神なんだろ?」
「んー、そうネ。できなくはないけど、実のある食べ物出そうとしたら、どっかに、その元になる食べ物がないといけないの。つまり、ぶっちゃけ言うと、この部屋になんかお菓子とかない?」
「ないよ!」
やっぱりぬらりひょん系だ、こいつ。
「ええー、お腹すいちゃうなあ。結局のところ、魔法で出した食べ物なんて幻影にすぎないから、お腹膨れたような気がするだけなんだよネ」
「情けないなー、魔神のくせに。仙人みたいに霞食べても生きられるぐらい修行積めよ」
「めんどくさいデショ、それは」
このおっさん、太ってるわけわかってきた。食いしん坊、図々しい、言い訳ばっかで働かない怠け者。そりゃ太るわ、魔神でなくても。
「じゃあ、とりあえずおやすみ」
魔神はさっさと俺のベッドに寝ようとする。
「これ、俺のベッドだから。ランプに戻れよ」
えーっ、と魔神はあからさまに嫌な顔をした。
「こんな遅い時間に、今から魔法使うの、めんどくさいネ。ベッドぐらい提供してよ。雇い主デショ?」
「いや、雇ってないし。だいたい、まだお願い聞いてくれてないだろうが」
「ああ、明日ね、明日」
なんて怠け者なんだろうか。
「せめて、ランプに戻れってば。出てきたんだから、戻るぐらいできるだろ」
魔神はまだもじもじしている。
「うーん、あのー。つまり、戻るにはまたちっちゃくならないといけないわけで」
「もしかして・・・」
ちっちゃくということは。
「簡単に言うと、太りすぎて小さくなれないから、ランプに戻るのが難しい?」
「ピンポーン! 冴えてるネ」
聞くんじゃなかった。
「冴えてなくていいから、ダイエットしろ!」
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