或いは虹彩日記
小学生の頃、俺は周りのやつらから薄気味悪いと攻撃されていた。
理由は明白であって、自分にはどうすることも出来ない事象。何故自分だけが人とは違うのか、どうすれば皆と一緒になれるのか。毎日毎日親に泣きついていた記憶がある。
今思い出しても恥ずかしくなるが、そこは子供の時だからと勘弁してほしい。ともあれ、親としても子どもが苦しんでいる姿を見るのは辛かったようで、時間はかかったが俺に防具と新しい環境を提供してくれた。その際に母はごめんねと涙ぐみながら言ったのだが、その時俺は二度とこんな思いを親に味わってほしくないと感じた。
そう、俺は強くならなければならない。生まれ持ったものはしょうがないと諦め、新しい場所で新しい自分を作っていくのだ。そう決心した俺は新しい環境に身を置く。生まれ育った場所とは違う、俺のことを知っている人が誰もいない所でゼロからスタートしよう。
柳 龍。13歳。中学校入学時の決心である。
それからの三年間はそれまでの人生と比べてとても充実したものだったように感じる。俺を攻撃するものは誰もいない。友達も出来たし、笑顔を作ることも出来るようになった。普通の人と同じように、部活は3年間全力で行い、学業もそこそこに努力した。そんな俺の姿を見て、両親も安堵していたようだ。多分小学生の俺のままだったら将来ひきこもりになるんじゃないかと危惧してたんじゃないかな……。
そう、俺はこのまま生活して平穏に生活できると思っていた。高校に進学し、「あいつ」に出会うまでは。
今俺が住んでいる街には高校が二つある。一つは大学進学を前提とした進学校、もう一つは工業系の高校。漠然とした進路も思い描いていなかった俺は何となく進学校の方を選択し、受験日を迎えた。
周りの友人たちもこっちの学校を選んでいる奴が多く、たいした緊張も無いまま受験は終了した。元々の合格倍率も決して高いものではなかったため、楽観的でいたものの、流石に合格発表に日は緊張した。
自分の受験番号が合格発表のボードにあった時は、安堵の息を吐いたものだ。
「よっしゃー、合格した!」
「良かったぁ~」
周りから同じような言葉が聞こえてきて、一際喧騒が大きくなっていきそうに感じた俺は人ごみの中から退場し帰路につこうと考えた。
自転車置き場に向かい、ロックをはずした俺は校門まで自転車を引いていく。
雪が降ってきそうだな。と空を見上げていた俺は気づかなかった。校門の坂の下から勢いよく向かってくる自転車の存在に。
視線を下げ、気づいたときには眼前に自転車が迫っていた。どうやら乗っているやつは坂を登るのに必死で前を見ていなかったようだ。馬鹿野郎と脳内で毒づき、必死で避けようとした俺だったが間に合わず、自転車と自転車が勢いよく衝突する。
派手な音が校門の周囲に響き渡り、俺と登ってきたやつはその場に倒れこんだ。
「いってぇ……」
自転車にのしかかられるような状態で倒れこんだ俺は、痛む体を気にしながらゆっくりと立ち上がる。
少しずつ体を動かしながら大きな異常は無いことを確認して、一緒に倒れていた奴の姿を改めて視認する。
……なんだこいつ。
それがそいつにむけた第一印象だった。うつぶせに倒れているそいつは別段不可思議なところはないように感じる。靴は普通のローファーだし、服は恐らく通っている中学校の制服。自転車はママチャリだ。そんな奴のどこを見てさっきの感想が出てきたのかというと。
髪だ。殆どは綺麗な黒髪であるにも関わらず、毛先の一部分だけが赤く染められている。メッシュと言えるのだろうか?これは。
中学生がこんな染め方をしている時点で、俺の中では関わり合いになりたくない人間ベスト10くらいには入る。
助け起こしてさっさと帰ろう。そう考えた俺は倒れたまま未だ微動だにしないそいつの近くにしゃがみこみ、肩を揺らした。
「おーい、大丈夫か?」
その言葉に反応するようにもぞもぞと動き始めたそいつはがばっという擬音がとても似合う勢いで顔を上げた。
「痛いです。なんなんですか。なんでこんなところでぶつかるんですか。馬鹿なんですか。痛いじゃないですか」
……は?
「大体、何で下から来てるのが分かるはずなのに避けないんですか?ドンくさいんですか?いい迷惑ですよ」
頭を起こした瞬間マシンガンのように言葉を発するそいつに、近くにハリセンでもあったら思いっきり頭を引っぱたくのにと思うくらいイラついた。
なんだこいつ。何で自分のこと棚上げして責めてくるんだ?
こんなやつを助け起こそうとした自分の行動を猛省し、俺はすぐその場から立ち去ろうとした。
「そんだけ元気なら大丈夫だな。今後はお互い気をつけような」
乾いた笑顔を貼り付けながら、俺はひらひらと手を振り自転車に乗り込もうとした。
「待ってください」
……そうしようとした。が、立ち上がったそいつに荷台を捕まれたせいで前に進むことが出来ない。
「何してるんですか?離してください」
イライラしないように、敢えて丁寧語で話す俺に向かって、そいつは傲岸不遜にこう言った。
「何帰ろうとしてるんですか。女の子にぶつかっておきながら誤りもせずに帰るなんて男の風上にも置けませんよ。とりあえず謝ってください」
「……お前が謝ったら俺も謝ってやるよ」
なんだこの女はと憤慨しながらも、ここで切れては負けな気がすると前を向きながらそう返す。
「心の狭い人ですね……。分かりました、私にも多少の非があることは認めます。まあ、割合で言ったら8:2くらいですけどね。あ、もちろん8の方があなたですよ?」
「分かった……。もう何でもいいから帰らせてくれ」
既に帰りたいとしか考えることが出来なくなっていた俺は、さっさと謝って終わりにしようと振り向いてそいつの顔を見ながら謝罪の言葉を述べようとした。
なんだ、こいつ。結構可愛いのに最初の印象のせいで全く可愛げが感じられねえ。
「悪かったよ。今後は気をつける。……これでいいか?」
俺は嫌々ながらもそう伝え、そいつからの反応を待った。
しかし、そいつは俺の顔を見たまま一言も発しようとはしない。
その表情は、まるで、何かに魅入られているようで、俺は、それを、何処かで見たことがあるようで……。
はっと、それが何処だったかに気づいたのと、そいつが言葉を発したのは同時だった。
「あなた……、その瞳」
瞳という単語が出た瞬間、俺の背中には冷たい汗が伝っていた。
ばれた……。そう理解した瞬間、俺は右目を手で隠し、すぐに自転車をこぎ始めた。
「あっ……!待ってください!」
後ろから女の声が聞こえた気がしたが、今はそんなことに気を取られている暇は無かった。
ばれた。ばれた。ばれた!
小学生の時の記憶が次々と浮かんでくる。迫害された記憶。攻撃された記憶。泣いた記憶。
トラウマスイッチがオンになってしまった後、どうやって帰路に着いたのか覚えておらず、気づいたら俺は自分のベッドに横たわっていた。
高校の合格発表日。それは新たなステージが始まる記念日だったはずなのに。
俺にとっては最悪を予感させる一日となってしまったのだ。