08
ヴラミルを、包み込むように、なら……と何やら呟いて、
「前言撤回、やっぱり思考の柔軟さって大切よね」
僅かに顔を赤く染めつつ堂々宣言したエスラゴに、ツォッポは先ほどとは意味合いの異なる溜息を付く。
「で、少しは参考になったか?」
「なにが」
「異世界に馴染んでしまった元勇者の、元の世界との向き合い方」
溜息のついでに漏らしたような、いい加減な言葉。だがその意味を認識したエスラゴは、まさに魔王でも見るような視線をツォッポへと向ける。
「おいおい、そんな目で睨むなよ。怖いなあ」
「茶化さないで。気付いていたの?」
「ああ、途中でな。要は此処が、お前にとっての『馴染んじまった異世界』ってことだろ……悪かったな」
僅かに浮かべた苦笑に、極まり悪げな後悔を含ませるツォッポ。だが彼の謝罪に、エスラゴは全身を硬直させて警戒を顕す。
だって、こんな反応はあり得ない。このままずっと、此処でヴラミルと一緒にいたい――自分が何よりも強く望み、だからツォッポに気付かれた思い。それは勇者召喚という役目から己を逸脱させるものだ。もちろんそのことを恥じてなんていないけど、でも傍から見れば糾弾されるべきものであることくらい理解している。しかもツォッポは、実際に世界を救ったのだという元勇者。ならばこんなにも矮小な私欲に走った自分のことを、非難して、軽蔑して、当たり前のはずなのに……
「なんで、謝るのよ」
「そりゃあ、見当違いの要らぬ御節介で混乱させちまったみたいだから」
「私が、此の疑似空間に馴染んでしまったことは責めないの?」
「うーん、別に。他の世界についてどうこう言うほど野暮じゃないつもりだしな」
「勇者なのに――」
「俺が元勇者で、もう世界を救う義務を課せられているわけじゃないって思い出させたのはお前だろ。それにゴーレムに殴られて重傷を負った経験があったとしても、馬に蹴られて死ぬ覚悟はまだできてない」
無駄に不敵に、相も変わらず飄々と、エスラゴの問いに答えるツォッポ。はぐらかし混じりのその言葉が、示すのは彼女の在り方に対する不干渉。もちろん認められたわけでも、褒められたわけでもない。けれど立ち入る必要性についてもあっさり首を横に振る彼は、道理を強いるべき下位ではなく同等の存在と自分を見ていて――たったそれだけのことが、自身への卑下で凝り固まっていたエスラゴの心根を解きほぐす。
不覚にも頬を赤く染めたエスラゴは慌てて顔を背けつつ、それでもチラリとツォッポのほうを覗き込み、
「元勇者、ですか……果たして勇者とは、なんなのでしょうね」
そんなエスラゴに気付くことなく――あるいは気付かぬふりをして、ヴラミルがツォッポに問いかけた。
「? 勇者は勇者だろ」
「ですがそれに対応しているのは『戦士』『格闘家』『僧侶』『魔法使い』などです」
「あーそれ、私も気になってたんだ。戦場で戦う兵士だから『戦士』、魔法を使うから『魔法使い』。『格闘家』とか『僧侶』っていうのは純粋な職業名でしょ」
ヴラミルが逸らした話題に、これ幸いと乗じるエスラゴ。あからさまに明るい彼女の声音にツォッポは無論気付くことなく、同様に彼女も密かに向けられているヴラミルの視線には気付かない。
「勇気のある者で『勇者』、じゃあ駄目なのか?」
「なら『戦士』や『魔法使い』が世界を救う勇者になれないのは、要は勇気がないんでしょ、とでも言うつもり?」
「いや、そういうわけじゃ」
ないのだろう、当然。
「そういえば確かに、俺も召喚された時から既に勇者扱いだったなあ」
「召喚されたばっかりの、何の功績もなかった時から既に勇者扱いだった……とすると、勇者=尊称っていうわけでもないのよね」
「やはり以前から考えていた通り、『勇者』は『勇者』という役割であるとするべきでしょう」
「というか、なんでそんなこと考えてたんだ」
何かを納得したように頷きあうエスラゴとヴラミルに、慌てた口調でツォッポが問う。二人の話す内容は、伝承に対する懐疑・検証――それは伝承を守護する教会に仇なす行為とみなされても決しておかしくなく、場合によっては異端の烙印を押される可能性すらある。
「だって、暇なんだもん」
「と、いうわけです」
実に簡潔なエスラゴの答えに、ヴラミルも同意。彼女の視線にうながされたツォッポは、一本の木しかない疑似空間を見廻す。殺風景ですらないその光景は、『暇』という御無体な理由に有無を云わさぬ説得力を与えていた。
思わずなるほどと頷きつつ、彼女たちと自分の違いを知る。文字通り、世界が異なるのだ。エスラゴとツォッポの価値観は学習した知識に基づきつつも、あくまでもこの何もない疑似空間で形成されたもの。それに対する自分は、と考え、自身の思考が勇者だった世界の常識に属していることを改めて実感する。
「でもそうなると問題になるのは、『勇者』の役割とは何か、よね」
無意識に苦笑を漏らした彼に、構わず論を進めるエスラゴ。
「普通に考えれば魔王をやっつけるってことなんだろうけど、それじゃあ単純すぎる気がするわ」
「伝承でも『勇者の光』が『闇』を切り裂くとはありますが、勇者自身が魔王を倒すと明記はされておりません」
「叙事詩だと、やたら壮大な戦闘シーンが謳われているけど――」
「あれは基本的に、吟遊詩人たちによる娯楽作品ですから」
「そうだツォッポ、あなたが勇者として召喚された世界にも魔王っていたのよね」
「ああ、俺が――いや、俺たちが倒した」
「どんな奴だったの?」
「そうだなあ」
話の矛先を向けられたツォッポは、仲間たちとともに打倒した魔王のことを思い出す。想像を絶する強大な魔力。岩をも砕き、弩さえも弾き返す鋼の躰。雲霞の如き魔物たちの、頂点に君臨する存在。だが、その本質は……
「どういう、奴だったんだろうな」
確かに在ったはずの明確な魔王の像は、思い描こうとした途端に霧散する。
「あなた、それでも本当に勇者?」
「い、いや。知っているはずなんだよ、魔王のことは。だけどそれを説明しようとすると、なんか、どうにも、うまく……」
エスラゴにジト目で睨まれ、慌てて弁明するツォッポだが声は徐々に萎んでいく。
「もしかしてツォッポさんは、魔王個人と魔王軍……いえ、軍だか国だかは分かりませんが、魔王の陣営とを混同していませんか?」
「それだ!」
進退窮まった所で掛けられたヴラミルの提言に、ツォッポはポン! と手を打った。