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06

「なんであなたは、迷ったような顔をしているの?」

「だから俺は、道に迷ってなんて……」

「ううん、道にじゃなくって。本当に其処に戻るべきなのかを」

「――っ……」


 自然と口に出たエスラゴの疑問に、ツォッポは寝耳に豆鉄砲を食らった鳩のような顔を浮かべる。


「迷ってる?」

「ええ、迷っている」

「誰が」

「あなたが」

「何を」

「戻ることを」

「どこに」

「元の世界に」

「どうして」

「私が、それを聞いているのよ」


 ツォッポのきき返しに、応じるエスラゴ。逸れも揺れもせぬ真っ直ぐな視線で、ツォッポの瞳を覗き込む。


「そうか……迷ってたのか」


 見つめられたツォッポは一瞬呆けて黙した後、自らを嘲笑うかのように呟いた。


「もしかして、気付いてなかったの?」

「ああ、言われて初めて分かった」

「じゃあなんで、自分のことを召喚しろなんてことを言ったのよ。自分の世界に戻るつもりだったんでしょ」

「だが魔王を倒し世界を救うのは、勇者として当然の……」

「あなた、もう勇者じゃないんでしょ」

「……そういえば、そうだったな」


 言を遮られたツォッポは、そのことに今はじめて気付いたかのように笑う。

 優しげな微笑みが含んでいる悲しさに気付きつつ、しかしエスラゴはその意味を理解できない――彼女にとって『勇者』とは、単なる称号に過ぎぬから。


「ずっと勇者をやっていたから、すっかり忘れていたよ」

「飽きれたわね、これだから物忘れの激しいオジサンは」

「悔しいが、今度は否定できないな」

「いったいどれくらいの間、勇者なんてやっていたわけ?」

「さぁ」

「は?」

「忘れたよ、俺は何せ忘れっぽいオジンだからな」

「というより、むしろボケ老人ね」

「姫様、そのような物言いは――」

「いいのよ、こんなやつにはこれぐらい言ってやらないと」

「いえ、確かにこの似非勇者には相応なお言葉ですが……下賤な相手に合わせるために姫様までお言葉使いを乱す必要はないかと」


 抑揚なく放たれるヴラミルの言葉。ツォッポが小さく咳き込みつつ、何かを胸に突き立てられたように数歩よろめいた。


「ヴ……ヴラミルさんも、なかなか言いますねぇ」

 思い掛けない攻撃に、動揺を隠せぬ様子のツォッポ。だがショック療法によるものか、声の響きからは先ほどまでの陰鬱さが消えているようにも思える。


「はい、ありがとうございます」


 シレッと言い放つヴラミルの頬に僅かに赤らみが含まれている気がして、エスラゴは慌てて二人の間に割って入る。


「それで、結局どれくらい勇者だったのよ?

 まさか本当に忘れていたわけじゃないんでしょう」

「まあ召喚された先の世界でなら、約一二年ってところだな」

「一二年――その『召喚された先の世界で』っていうのはどういうこと?」

「世界ごとに、一年の長さっていうのは多分違うんだよ。俺が生まれた世界では一年は三六五日で一日は二四時間だったけど、召喚された世界の一年は三八〇~四二〇日くらいで、一日は五〇目だった」

「一年の平均を四〇〇日とすると、生れた世界換算ではだいたい十三年と五五日……ううん、それは一日の長さが同じ場合か」

「おまえ、計算早いな」

「そりゃ、ここじゃ魔法と計算の練習くらいしかやることないもの」

「いえ、歴史学や領地経営学など、やっていただきたい御勉強は他にもいろいろあるのですが」


 ヴラミルの言葉にエスラゴが閉口。小さく噴き出したツォッポは、エスラゴに向けられた鋭い視線から逃げるように口を開く。


「日が昇ってから暮れるまでの時間は元々の世界のほうが長かった気がしたから、勇者やってた期間をそっちで考えると一四、五年ってことになるかな」


 彼の言葉に何気なく頷き、次いでその意味を理解したエスラゴが大きく息を呑む。


「……ちなみに念のために聞くけど、あなたって人間よね」

「? どういう意味だ」

「実はエルフだとか古の種族だとかで、平均寿命は一二〇〇年。人間で言うなら三〇代後半の中年オヤジに見えるけど、実は既に六〇〇年近く生きてる、なんてことは」

「ないない、俺の歳は見た目通りの――って、誰が三〇代後半だ! 俺はまだ二〇代だぞ!」

「あれ、そうなんだ。まあ二〇代も三〇代もだいたい同じようなもの……」

「ぜんっぜん、違うわ!!!!」


 響き渡る、ツォッポの絶叫。その切実さに満ちた声は、迫力だけなら先ほど見せた大刀での斬撃にも匹敵する。とはいえたかが年齢に、何故こんなにも拘ろうとするのかをエスラゴは理解できない。ゆえにきっとまた何か誤魔化そうとしているのだろうと断定し、その怒声を無視して問う。


「それじゃああなたは、どうして元の世界になんて戻ろうとしているの?」

「なんでって……自分が生れた世界だぜ。其処に戻っちゃ、おかしいか?」

「ええ」


 躊躇なく頷いて、真っ直ぐにツォッポを見詰める。微笑と感情を排した彼女の真摯な眼差しは、ツォッポが瞳の奥に沈め込んだ躊躇いを見つけ出す。


「其処で生まれて、でも十歳の頃に召喚されてからは一度も関わっていない世界でしょ。そんなもののために、一五年間も過ごしていた世界をどうして無かったことにできるの?」

「無かったことに、なるわけじゃねえだろ」


 エスラゴの視線を避けたツォッポが、呟くように言った。


「それに、あの世界はもう救われた。もう、勇者がいなくたって大丈夫だ」

「ああ、そういえばあなたは元勇者で世界を救ったんだっけ」


 歯切れの悪いツォッポの言葉に首を傾げたエスラゴは、その事実がどうでもいいことであるかのように言う。

 実際『世界』なんてもの、エスラゴにはどうでもいいものに過ぎない。彼女はそれがなんなのか、理解できていないから。物心ついた時にはすでにこの疑似空間にいた彼女にとって、此処ではない外の世界とは全て知識上だけの存在だ。

 父が王位にあるという、ルランド王国。王府と議会を両輪とする安定した統治システムと、その下で暮らしている多くの民たち。あるいは同盟関係にあるラシアー大陸の国々や、潜在的対立関係にあるレン共和国。その他全ての人族にとっての脅威である、魔物・妖魔・魔界勢力――中でも最大の猛威を振るう、魔王率いる暗黒領。

 それらは全て、ヴラミルを教師とする勉強によって得た知識。本当の意味では、理解も認識もできていない。ただヴラミルが世界を救わなくてはと言うから、そうなのだろうと思うだけ。その言葉に感じる重みはないし、感慨も微塵も浮かばない。だから『世界を救った勇者』だったというツォッポにも、その事実については思うところは何も無い。でも――


「でもあなたは、勇者でしかなかったってわけじゃないんでしょう?」


 たとえ『世界』を分かっていなくても、人と人とが関係を結ぶ、ということは理解できる――それは自分とヴラミルが、この何もない疑似空間でずっとしてきたことだから。



 ――確信に満ちたエスラゴの問いを、ツォッポは否定することができなかった。


 確かに、ツォッポは勇者だった。嘘偽りない事実として、彼がいなければ召喚された世界を救うことはできなかった。だがだからといって、彼さえいれば世界が救えたというわけでは決してなかった。

 召喚直後で戸惑う彼を守るため、身一つで魔物に立ち向かった神官がいた。まだ何の功績も持たぬ彼を認め、王家に伝わる破魔の太刀を授けてくれた亡国の王女がいた。この世界での常識を手解いてくれた踊り子がいた。未熟な彼に勇者としての心構えを説いてくれた吟遊詩人、仲間を失った悲しみを慰めてくれた宿屋の娘、魔王軍主力を引き付けるための陽動を買って出てくれた諸王国連合の兵士たちがいた。

 そして何よりも、共に魔王の本営へと乗り込んだパーティーメンバー。先頭を切って道を切り開く格闘家は普段から勝気な美少女で、岩をも砕く裏拳を日常的ツッコミにも使うのが玉に瑕。その犠牲になるのは大抵ツォッポか、戦闘では彼の背後を守る女戦士。二人を治療するときの僧侶はいつも顔を真っ赤に染め、何故かアワアワと口ごもる。そしてそんな自分たちの戯れを、寛容な――けれど何処か笑っていない瞳で見詰める魔法使い……

 彼女たちは皆大切な仲間で、同時に仲間以上の絆で結びついていた。それは決して、魔王を倒したことや世界を救い終えたことで途切れるようなものではない。けれど、


「それでも、決めていたんだよ。世界を救い終わったら、元の世界に戻るって」

「馬鹿なの……いえ、不器用っていったほうがいいのかしら」


 自らの愚かさを嘲笑いつつ、それでも改めることは認めない――そんなツォッポの在り様は、エスラゴにとって奇異なもので。否定すべきか、同情すべきか、答えを見いだせぬままに己の想いをそのまま吐露する。


「同じだろ、どっちも。覚悟を決めたつもりになって、なのにやっぱり元の世界に戻るのが怖くて、別の世界に逃げ出そうとしたんだから」


 彼女の漏らした感想をそのまま受け入れたツォッポの、自虐に執着した態度。それがなぜか腹立たしく思えて、エスラゴは咄嗟に口を開く。


「ええ、情けないわ。最低ね。汚水を泳ぐボウフラだってそこまでは酷くない」


 そこから飛び出した言葉は自身のものと思えぬほど過激で、それに驚いてからようやく、ツォッポが責められたがっていたことに気付く。とはいえエスラゴの罵倒は少々苛烈過ぎたようで、苦みを含ませていた顔をツォッポは大きく引き攣らせ、


「――いや、それは……さすがに、」


 轢き潰された節足動物の幼体が如く情けない声を漏らす。

 もしかしたらこの男、自分と同じくらいにはめんどくさい奴なのかもしれない――そんな想いを抱きつつ、さすがにまずかったかしら、と視線で問うエスラゴ。彼女の眼差しを受け取ったヴラミルはその端正な指先を唇に当て、ほんの一拍だけ思案して、


「事実ですし、仕方ないと思います」


 慈しむような視線と共に、崖から這い上がりかけたツォッポを再度谷底へ蹴り落とした。


「ヴ、ヴラミルさん……俺のこと虐めて、楽しいですか?」

「はい、わりと」


 膝を地に着きかけたツォッポの問いにヴラミルは淡々と答え、ツォッポを咳き込ませてエスラゴの目を瞠らせる。


「そ、それで……ちょっときいていい?」


 コホンと小さな咳払いで動揺を誤魔化して、それでもまだぎこちなさが残る声でエスラゴがツォッポに問いかけた。


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