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「それで――」


 常日頃からはしたない行為や魔法の乱用には口酸っぱくしているヴラミルが、エスラゴが先ほど行った炎剣一斉掃射を見逃すはずは当然無く、


「何か、言い訳はございますか?」

「えっ! あっ、えっと、これはね、その、…………………………ごめんなさい」


 蛇に睨まれた蛙のように身を竦ませたエスラゴは、ヴラミルへ素直に頭を下げた。

 呆れたように天を仰ぎ、溜息を漏らして見せるヴラミル。けれどその素気無い挙動に紛れさせられた照れ隠しを、キーラは目敏く見付けだす。

 あるいはこんないつも通りのやり取りこそ、この二人がよりを戻すには相応しいのかもしれませんねと、舞台を演出したであろう己が恋人へ目を遣るキーラ。けれどツォッポは彼女の視線に僅かに顔を曇らて、それを目にしたエスラゴが話題を逸らさんと指摘する。


「ありゃ、どうしたのツォッポ? 何かキーラさんに、後ろめたいことでもあるとか、」

「エスラゴ、お前、分かってて――あ、いや、何でもない!」


 ヴラミルの説教から逃れんとするエスラゴの指摘に、ツォッポは慌てて首を振った。

 別にツォッポの顰め面程度で、いまさらキーラは動揺しない。恋人同士の間にだって秘密くらいは有り得るし、女性関係において彼が持つ後ろ暗い所など元より承知の上なのだから。けれど気になるのは今の、ツォッポとエスラゴさんの会話。ともすればキーラでも見落としかねないツォッポの変化に、何故エスラゴが気付けたのか。そしてツォッポは彼女に対し、何を言い繕ったのか。


 ――いったい二人だけでいる間に、何を話していたんでしょう?


 鎌首を擡げ掛けた疑念を、首を振るって打ち払うキーラ。ツォッポのことだと思い詰めがちになる悪癖は自覚しているし、この疑似空間で前にやらかした大失敗の反省も深く胸に刻んでいる。

 それにだいたい冷静に聞けば、ツォッポに向けるキーラの声に恋の熱っぽさはない。二人だけでお喋りして、ついでに何故か魔法戦もこなして、それでも近くなった距離はあくまで「トモダチ」としてのもの。色恋に進展する兆候なんて何処にもないし、そもそもエスラゴさんにはヴラミルさんがいる。

 だから何も問題は無いのだと、自分を納得させるキーラ。ヴラミルさんがいるんだから何の問題も無いはずで……けれど何か忘れている気がするのは何故だろう? 浮かんだ疑問に答えようと思考を反芻させたキーラは、ハタと思い当り顔を上げ――真っ直ぐエスラゴに向けられている、酷く冷たい視線に気が付いた。


「えっと、あのー、ヴラミルさん?」

「はい、何か」


 思わず腰を退かせたキーラに、淡々と答えるヴラミル。


「もしかしなくても恐らく絶対、誤解しているようなので言いますけど。エスラゴさんとツォッポの関係は、ヴラミルさんが想像しているようなものじゃないですよ」

「? 私は何も誤解しておりませんし、お二人の関係についても想像などしておりません」


 いったい何のことでしょうか、と小首を傾げるヴラミル。彼女が浮かべた無表情はとっても表情豊かなもので、魔法プログラム的な面影などもはや微塵も見出せない。


「い、いえ、だから――お願いですから、落ち着いてくださいよ!」

「落ち着いております。ええ、はい、とっても」

「じゃあなんで、両刃鋸なんて空間から取り出そうとしてるんですか⁉」

「落ち着いて、冷静に考えた結果です――それとキーラさんのアドバイスも参考にして、私も少し素直になってみようかな、と思いまして」


 ――そんな素直、必要ない!


 いや確かに、「もっと素直になってしまえば」と彼女に言ったのはキーラだが、何もここまで極端に走らなくてもいいではないか?


「ふーん」


 頭を抱えたキーラの呻吟を、更に遮る別の声。

 少し鼻に引っ掻けたようなわざとらしい明るさで、隠しているようで隠す気のない毒と棘を覆い隠して。先ほどからのヴラミルの音吐と同種の響きを持つそれは、


「二人ともいつの間にか、ずいぶんと仲良くなったみたいじゃない?」


 まるで楔か何かのように、ヴラミルとキーラの間に差し込まれる。


 ――というか、ええ、はい、そうですか。

   エスラゴさん、あなたもなんですか……


 もはや現実逃避気味に遠い目となったキーラに構わず、ヒートアップする二人。


「驚いたわ。あんな風に弾んで楽しそうなヴラミルの声、聞いたの初めてだったもの」

「楽しそう、でしたでしょうか。先ほどのお二人ほどではなかったと思いますが」

「? なにを言っているの」

「ツォッポさんとお話して、何かいいことがあったのでは?」

「――それは、」

「長らくお仕えしていましたが、あのように浮ついたお顔を拝見したのは初めてです」

「そんなの、ヴラミルだって同じじゃない! あんなにはしゃいだ顔も出来るなんて、私はちっとも知らなかった」


 同じように勘違いして同じように羨み妬み、同じように不貞腐れる。外見は全然違うのに、こうしてみると二人はまるで姉妹のようにそっくりで。だから互いを想いあう気持ちは平行線のまま交わらず、間に挟み込まれたキーラをただオロオロとさせるのみ。

 それでも今この騒乱は、自分の無責任な助言にも原因の一端があるのだからと。深刻に思い詰めたキーラは二人に割り込もうとして、


「止めとけよ」


 けれど自身の恋人によって止められる。


「どうして、ですか?」

「そりゃぁ――犬も喰わないような喧嘩に、口出ししたって面白くねぇだろ」


 当たり前のように言うツォッポ。キーラの問いへの回答を装った彼の言葉は、実質睨みあっている二人へと向けられていた。


「犬も喰わない、ですって⁉」


 言葉をそのまま受け取って、侮辱されたと憤るエスラゴ。


「それはつまり、フウフゲ――……ケホン!」


 言葉の裏を読み取って、慌てて咳き込み誤魔化すヴラミル。

 同じように顔を赤くした二人だが、その意味するところは異なって――


「うん、ヴラミルさん? 『フウフゲン……』なんだって?」


 悪戯を成功させた子供のような無邪気さで、ツォッポは意地悪く問いかけた。

 前に散々からかわれたことへの仕返しなのだろう。キッとツォッポを睨むヴラミルも言い返せずに沈黙する。そんな彼女に満足げな笑みを浮かべたツォッポに、キーラは胸に湧き上がるざわめきを再度自覚した。

 全く、これだから。人を想う気持ちというのは本当にどうしようもない。ツォッポのことは信じているし、懸念は杞憂だと理解もしていて。それでも彼が他者に掛ける声、向ける微笑の一つ一つに彼女の心は儚く揺れる。でもきっとそんな情動も、ヒトを好きになるということの一部なのだと、思惟を燻らせるキーラの眼差しはエスラゴとヴラミルに向けられる。

 ヴラミルを睨むエスラゴは、小さく膨らませた頬を薄紅に染めてお冠。その表情に合わせるように、肩口にまで伸ばされた金髪がほんの僅かに広がり揺れて。隠そうともしない不機嫌さに、隠しようのない華を与える。

 そんな我儘な主にずっと仕えてきた魔法プログラムは、ツォッポのからかいによる動揺もいつの間にやら克服済み。白エプロンに包んだ真っ直ぐな姿勢、白カチューシャで束ねた真っ直ぐな赤褐色の髪で、いつも通りの実直で冷静な態度を型造って。けれど一度束ねられた後で腰まで垂らされた長髪は、エスラゴの声に反応するごとく不規則小刻みに振れる。

 口を開いたエスラゴの言葉に、ヴラミルが首を振って否定、されたエスラゴが毅然と抗議し、ヴラミルもたじろぐが譲らない。あくまでも正論の積み重ねで畳み掛けようとするヴラミルに、エスラゴも躍起になって反論、論理の思わぬ穴を突かれたヴラミルが狼狽えて、更にエスラゴが深く踏み込む。調子に乗ったエスラゴの、余計な一言にヴラミルも感情的に言い返し、今度はエスラゴがたじろぐも、我に返ったヴラミルのほうも動揺を隠せず、互いで互いを見つめ合い、沈黙したまま黙り込み、同時に声を掛け合って、何処か照れ臭そうに顔を逸らす。

 エスラゴが喋り、ヴラミルが頷き、エスラゴが首を振り、ヴラミルが叱責し、エスラゴが声を荒げ、ヴラミルが怒鳴り返し、エスラゴが俯いて、ヴラミルが慰める。

 些細なことで擦れ違い、くだらないことにも顔を真っ赤にして、本気で自分をぶつけ合い、けれど相手を気遣い思いやる。

 ああなるほど、これは下らぬ痴話喧嘩に過ぎないのだと、下手に口出ししようものなら馬に蹴られるだけなのだと、二人の舌戦を眺めたキーラはツォッポに全面同意する。不器用で、それでも確かに想い合う二人に自然と笑顔を絆されて、そして不意に、考える。


 ――私もツォッポと、彼女たちのように真っ直ぐ向き合えたのだろうか? そしてツォッポは私のことを、彼女たちのような実直さで想ってくれているのだろうか?


 時々湧き上がる、いつもの不安。それはツォッポの、周囲の思慕を無意識に集めてしまう体質ゆえ? それとも彼を想う女性たちを、抜け駆けたことへの罪悪から? いやきっと理由など何もなく、単に不安なだけだろう。だからキーラはいつもの通り、ほんの一時のさざめきを心に封じようとして――己が犯した失敗に気付く。


 繕ったはずの動揺は、何故かエスラゴとヴラミルに感知され。言い争っていたはずの二人は、見事にシンクロさせた動作でツォッポに視線を向けていた。


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