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「ヴラミルがそのプログラム根性に浸かってるとは、あんまり思えねぇけどな」
「それ、どういうことよ?」
呟きを耳聡く聞き付けて、エスラゴがツォッポを睨み付ける。
「少なくとも俺には、あいつが『勇者様』のことだけを考えてるようには見えなかったぜ」
「嘘よ! だってヴラミルは私に――」
「言ったこと全てが、本当だとは限らないだろ」
ツォッポの素っ気ない口振りに、まるで脅えた仔猫のようにエスラゴは身を固くした。
もしかしたら、もしかしたらと、何度も何度も縋ろうとして。そのたびに怖くて躊躇って、それでも頼って裏切られた。そんな希望をもう一度目の前へと差し出されて、それに飛びつけるほどエスラゴは愚かでないし強くもない。だから投げられたツォッポの言葉に、彼女が感じたのはむしろ恐怖。この希望は掴もうとすれば、淡く儚く搔き消える。その後に残される失望は、在ると分かり切っている現実よりも恐ろしい。ならば、いっそ、このままで……『もしかしたら』という可能性は可能性のまま放置して、掴むことなくただ愛でているだけのほうが楽ではないか?
「――在り得ない、わよ」
甘美な誘惑のままに、紡がれるエスラゴの言葉。
「そんなの、有り得るわけがないじゃない」
「怖いのか?」
「違うわよ! だいたいヴラミルが言ったのが本当じゃないなら、どうして私に嘘付いたのよ!」
「そりゃ……」
図星を指されて上擦らせた声に、ツォッポは大きく顔を顰める。
「それは、まあ。多分、色々とあるんだろ」
「色々って?」
「だから色々と……」
「私は! 具体的に訊いてるの!」
「あぁーもう、だから! お前にゃ分からね―かもしれねえけどよ……相手の好意を認めたうえでそれに答えるっていうのは、結構勇気がいることなんじゃねーの?」
不貞腐れたように口篭もり、開き直って虚勢を張る。豹変した彼の物言いは、見苦しく情けないもので。けれどそれでも考え悩み、懸命に言を選ぼうとする様は、違えられない誠実さを示しているとも思われた。
「どういうこと?」
「言葉通りだよ」
なおも言い逃れようとするツォッポを、エスラゴはきつく睨み付け。
「……ああ、そうだよ。俺が、怖くて日和ってたんだよ」
エスラゴの一瞥に促されて、渋々ツォッポは口を開く。
「相手のことを好きになるっていう行為は、多分本能だろ? 状況に合わせて御したり無かったことに出来るもんじゃねえ。だから俺は、それにどう応えるかの決定は理性に依るべきだと思っている」
気恥ずかしさで顔を顰め、それでも真面目そのものに。ツォッポが述べる事柄は彼が抱いている恋愛観。
「相手の気持ちに応えて、両思いになって、更にその関係を継続させる――そいつはつまり、互いの人生を共有するってことだ。だったらそこには、当然責任も伴ってくるはずで。けど『好き』に呑まれてる相手側には、そんな判断は期待できねぇ」
予想と異なる内容に虚を突かれたエスラゴだが、直ぐに気を取り直し。ツォッポの言葉を咀嚼しつつ、自身が『好き』を寄せた相手の顔を自然と思い浮かべる。
「自分と相手との関係が、どうなるのか、どうするのか。それによって互いの人生がどういうふうに変わるのか。その判断も決定も、実質一人ですることになる。決めたことに対する責任も、自分だけが背負っているような気分がする。だから必死に考えて、正しい答えを追い求めて、でも自分の回答が正しいかどうかなんて、本当は誰にも分からねえから――」「だから、恐い?」
「ああ。答えなんて出さないで、ずーっとこのままでいるのもいいかなって考えちまう程度には」
曝け出されたツォッポの胸中。キーラにすらも隠し通してきたのだろうその卑屈さは、エスラゴの内に陰を形取った。
正直な所エスラゴは、ツォッポの独白それ自体に共感できたとは言い難い。彼女はあくまで恋をする人、相手に想いを寄せる側。想われて、その受容か拒否かの選択に迷えるツォッポのことなど羨ましいとしか思えずに――けれどその『思えない』という事実こそが、エスラゴを恐れ悩ませる。
ツォッポを解せぬ己の想いは、それを寄せられたヴラミルを苛ませていたのだろうか、と。
ヴラミルのことが、好き。
彼女のことを、幸せにしたい。
抱き続けた二つの想い。それはエスラゴの中では当たり前のように『=』で結び付けられていて、だから区別する必要なんてどこにもないはずだった。
好きだから、幸せにしたくて――だから勇者様を待つことしか考えない、彼女を許容できなかった。
幸せにしたいとは、すなわち好きだということで――なのに彼女の望む『姫様』で、在れない自分に思い悩んだ。
――でも私がヴラミルに寄せているこの好意そのものが、
ヴラミルを悩ませているとしたら?
見落としていた可能性に、エスラゴの躰は小さく竦む。
物心が付いた頃から、ずっとずっと好きだった。どうすればヴラミルの為に成るのかを、考え、努力し、行動してきた。結果失敗に終わったこと、空回りしたこともたくさんあるけど、それでも彼女を喜ばせることが出来たこともあるって思っていた。
自分なりに研究した心理魔法で、彼女の為の術式を林檎の実に組み込もうとしていた頃。彼女の喜ぶ顔が見たくて、苦手な歴史学の勉強に頭を悩ませていた間。ひどく遠回りにではあるが、好きだという自分の気持ちを伝えようと試みたあの時。あるいは昂じた想いを抑えきれず、声を荒げてしまった先ほど。
素知らぬ顔で振舞ったり、はっきりと顔を綻ばせたり、バッサリ毒舌で切って捨てたり、呆れ顔を露わにしたり――プログラム人格特有の無表情を、乏しいながらも確かに変化させたヴラミル。その面持やちょっとした素振りから、エスラゴは彼女の気持ちを読み取ったつもりになっていて。一緒の時間を思い出として、共有したつもりになっていた。
だからもしもその間、自分の向けていた感情がずっと彼女の重荷になっていたとすれば――それは、少し辛い。
そしてそれでも、ヴラミルへの想いを捨てるという選択肢だけは抱けない。
それが最も優れた方法だということは明白で、彼女の為だということも頭では理解しているのに。なのに選べぬエスラゴは、故にようやく理解する。
いくら辛くても、相手を苦しめるに違いないと分かっていても、想いを変えることなんてできない。だってそれは、私自身の気持ちなんだから。
――ヴラミルのことが、好き。
抱いた想いは結局エゴで、相手の幸せを願うだけの綺麗なモノじゃ全然ない。でも同時に、糾弾されなきゃならないような罪悪であるわけでもない。
想いは、あくまでも想い。各人の内に、ただ在る感情。たとえそれが相手を害するものであろうとも、抱いてしまっているものを無かったことに出来はしない。
「なーんだ、簡単なことじゃない」
覆い漂っていた靄が風で吹き飛ばされたように、鮮明となった思考で莞爾と笑みを浮かべるエスラゴ。
「分かった、のか?」
「え――あ、ううん」
怪訝気に訊ねたツォッポに、彼女はあっさり首を振った。
「答えを出すことを怖がるっていうあなたの在り方は、やっぱり分からないわ。だからもしヴラミルがあなたと同じことを考えているなら、きっとそれも理解できない。でもそんなこと、別にもうどうでもいいかなって。だってもっと大切で当たり前のことを、今更だけど思い出せたから」
「大切で、当たり前のこと?」
「ええ」
ツォッポの問いに頷いて、そしてエスラゴは己の想いを初めて口に出して言う。
「私がヴラミルを、愛しているってことよ」
彼女の答えはツォッポの虚を突き、彼の瞳を瞬かせた。
「愛があれば、全ては許容させるんだとでも言うつもりか?」
「逆よ。愛しているからこそ、相手の全てを受け止めたいの」
戸惑い口調のツォッポの問いを、バッサリ切り捨てエスラゴは言う。
「私は、ヴラミルが好き。彼女のことが愛おしくって、彼女の全部を手に入れたい――彼女が抱いている迷いや悩み、苦しみも含めたそのまま全部を」
「お前の想いが抱かせた苦悩も、その例外ではありえないと?」
「ええ」
「その悩みや苦しみが、彼女を不幸にするとは思わないわけか」
「たとえ不幸にしかできないとしても、それでも私はヴラミルが欲しいんだもの――もちろん彼女を幸せにする努力を怠るつもりはないし、その勝算だってあるけどね」
「勝算?」
エスラゴの言葉を疑うように、ツォッポの眉がピクリと動く。
「だって私が向けている想いに気付いて悩んでくれているなら、つまりそれって脈があるってことじゃない」
ツォッポの反応をむしろ楽しむようにして、エスラゴは己の打算を述べた。
そう、ヴラミルがエスラゴを何とも思っていないなら、彼女が悩む理由など何処にも存在しないのだ。ただエスラゴを拒絶するか、あるいは終始一貫して無視を決め込めばいい話。だからもしもそれが出来ずに、ツォッポの言う通り彼女が迷い苦しんでいるのだとすれば、
「それってつまり私の気持ちを受け入れることも考えて。でも実際に行動を起こすのは、怖くて迷っているんでしょう?」
あなたがそうだったみたいにね、とからかうように付け加えるエスラゴは、礼儀も怖いものも知らぬよう。
「既に選択肢が存在して、後はそれを選ばせるだけだっていうならもう勝ったも同然じゃない」
「……恋愛は、勝ち負けじゃねーぞ」
勝ち誇って見上げるエスラゴに、辛うじて反撃を試みるツォッポ。
「でもあなたは、ぼろ負けしている最中でしょ?」
けれど即座に真顔で返され、おまけに真っ直ぐ視線まで向けられて――彼女の言葉で疚しいところを大いに貫かれたツォッポは、ヘタレ顔で溜息を付いた。
「ったく。結構無茶苦茶だぜ、お前」
「あら、駄目かしら?」
「いや、まあ……むしろそれぐらいのほうがいいのかもしれねぇが」
――特に、俺やヴラミルみたいな煮え切らない奴が相手の場合には。
歯切れ悪い、肯定。腕に抱えたこの少女を素直に認めるのはどことなく悔しくて、だからツォッポは胸に浮かんだ思いを口にせずにしまい込む。
そう、初めは握っていた会話のペースもエスラゴに取り戻されていて、今から彼女を言い負かすのはきっともう不可能だ。でもこのままやられっぱなしというのはやはり納得できず、せめて一泡吹かせられないかとスラゴを見下ろしたツォッポは――今更ながら、自分たちの態勢について思い出した。
「ああ、まあそれはそれして、だ」
「何よ?」
突然話題を変えようとするツォッポに、訝しがりつつ応じるエスラゴ。予想通りのその態度に口端を小さく吊り上げて、ツォッポは真面目腐った口調で言う。
「それだけ堂々と主張できるんなら――そろそろ自分の足で立ってほしいんだが」
「――へ?」
ツォッポの言葉に、間の抜けた声で応じるエスラゴ。窮屈そうに首を回し、会話に夢中で忘れていた己が態勢を確認する。
そう、今のエスラゴの状態は、空中からの落下途中をツォッポに拾い上げられた時のまま。彼の両腕で背中と膝裏を支えられているという、俗にいうお姫様抱っこ状態である。
「ま、別にここが気に入ったっていうんなら、このままでいるのも吝かじゃないぜ」
ホレホレと、これ見よがしに、ツォッポが揺す振る二本の腕。それを支点に持ち上げられているエスラゴは振動に翻弄され、赤くした顔で悲鳴を上げる。
「っ、! いい加減に、しなさい!」
羞恥と怒気が半々に混ざり合った顔で叫びつつ、もどかしい呪言詠唱を強引に破棄してエスラゴは術式を構築。結果、最短記録を大幅に更新した共鳴式収束火炎呪文が、エスラゴ自身も破壊半径に含めた大爆発を引き起こした。




