03
「待って」
そのままシャリシャリと紅い実を削っていたヴラミルを、遥か遠方の物音に気付いたエスラゴが制する。
「何か来るわ」
「勇者様、でしょうか」
「分からない……」
ヴラミルに応じて初めて、震えている自分の声に気付く。ヴラミル以外では初めて、相対することになる他者。全く未知の存在が、エスラゴの心を不安で満たす。
ずっと待っていたはずの勇者が現れたかもしれないのに、浮き立つものは何もない。代わりに湧き上がるのは、押し潰されてしまいそうなほどの恐怖。その原因と、自身の役目――二つの間で揺らいだ瞳は縋るようにヴラミルを求め、
「というかそれ、どうにかしたら?」
彼女の右手が所在無さ気に摘まんでいる、残り四半分ほどになった果実を見て呟いた。
「は、はい」
と、上ずった声で頷くヴラミル。申し訳なさそうに顔を伏せ、シャリ、ジャリ、ゴクリと慌てた様子でそれを処理。手に付いた汁を舐め取る彼女の舌使いは妙に艶めかしく、何とはなしに向いていたエスラゴの視線を釘付けにする。
「あの……姫、様?」
珍しく戸惑いの響きを帯びたヴラミルの声で、我を取り戻したエスラゴはコホンと一つ咳払い。それで全てを無かったことにして、物音へ意識を向け直す。
「来るわよ」
「はい」
エスラゴに応えたヴラミルが視線を戻すとほぼ同時に、二人の眼前を震源とする轟音が立ち上った。
衝撃で生じた砂煙から、跳び退るエスラゴ。彼女に従ったヴラミルが、前を護る位置に立つ。巻き散らされた土によって覆われた視界が晴れ、現われたのは黒髪の青年。
「勇者様で、いらっしゃいますか?」
「違うわ、ヴラミル」
男に掛けたヴラミルの声を、エスラゴは警戒姿勢を崩さぬままで否定する。無意識に宿しそうになった安堵の感を押し隠しつつ、鋭い視線を男に向ける。
「うん、まあ今は違うなぁ」
対する男は妙に惚けた声色で、飄々とエスラゴに頷く。彼の色深い双眸に内心を見透かされた気がして、エスラゴは眉を顰めた。
「今は、違う?」
「うん、そう。もう勇者は廃業したし――ってあれ、もしかして俺のこと知らない? オオ、じゃあマジでここ別の世界なんだ」
「いえ、ここはまだ世界そのものではなく、複数の世界を結びつけるために構築された疑似空間です」
男の言葉を、補足するヴラミル。その抑揚の少ない口調は、何時もエスラゴに向けているものと全く変わらない。何故か男への警戒を解いたヴラミルの平素と全く変わらぬ様子に、エスラゴは眉の傾斜をますます急にする。
「ヴラミル、こいつが何だかわかるの?」
「はい、時空漂流者です」
「クラゲじゃあるまいし、漂い流れるってのは酷いなぁ。せめて時空の旅人くらい言ってくれよ」
「ならば、超時空迷子とでもお呼びいたしましょう」
おどけた調子で挙げた抗議を淡々と返されて、言葉を詰まらせた男の顔に渋いものが混じる。その反応に、まるで自分の役割を獲られたような焦りを覚え、慌てて二人に割り込むエスラゴ。
「つまりこの人って、道に迷ってるのね」
「別に迷っているわけじゃないぜ。ただ行こうとしている世界がどっちにあるか、ちょっと分からなくなっただけで……」
「へえ、そんなことがあるんだ」
――だが普通、それを『迷った』というのではないだろうか?
「次元跳躍者にはよくある話です――というか、姫様はご存じなかったのですか?
時空漂流者については勇者召喚魔法の取扱説明書にも記述されているはずですが……」
「え――だって取説って、分からないところが出てきたときに読むものでしょ?」
「姫様……」
当たり前のことを述べたつもりのエスラゴに、ヴラミルは何故かガックリと項垂れる。
「姫さんたちって勇者を喚び出そうとしてるんだ」
二人の会話を、あるいはその関係を、不思議そうに眺めていた男が興味深げに口を挟んだ。
「ええ、そうよ」
ヴラミルとの話を遮られたことにやや不満を感じつつ、それでも男に応じるエスラゴ。
「あと『姫さん』はやめて、エスラゴでいいわ。こっちはヴラミル」
「ああ、俺はツォッポだ」
「あまり驚かないのね、勇者召喚のこと」
「そりゃまあ、俺も元は喚び出された勇者だったから」
「あなたが? 嘘ばっかり」
胡散臭げな眼差しでツォッポを一瞥したエスラゴは、生じた呆れを隠そうともせず首を大きく横に振る。
対魔法防御が施された外套、右の袖から覗き出る紋章の刻まれた籠手、左の腰に下げている魔力が付与された大刀……確かに彼が纏っている装備は、右肩にかけたナップザック以外はどれも謂れがありそうな逸品で、持ち主が伝説の存在でもおかしくないと思わせる。けれどそれらを身に着けている肝心要の彼自身は、髪も瞳も黒色だ。
「なんだよそりゃ、俺が勇者じゃなんか可笑しいか?」
「そういう馬鹿な冗談は、せめて髪だけでも銀色に染めてから言いなさいよ」
「は?」
「まさか、名前を騙っておいてそんなことも知らないの?
勇者っていうのはね、髪が銀色で左右の瞳の色が違うものなのよ」
「いや、銀髪にオッドアイって……」
彼が勇者でない証拠をはっきり示したエスラゴだが、ツォッポが彼女に向けた眼差しは何故か可哀そうな人を見るものだった。
とはいえツォッポも十分に、【ハーレム系チート勇者】ではあったんですが。