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大気を穿って風を断ち切り、黒空を馳せ行くツォッポ。
「えーと、こっちかな?」
漂う霊素の流れを辿り、急旋回で進路を変える。
方向転換の影響により、頬の脇を流れる大気の流れが若干変化して、そして――それだけ。駆ける空はどこまでも黒く、眼下の大地には相も変わらず物陰一つ見当たらない。相対物が無いために、自身の進む方向・速度もおおよそでしか分からずに。融通の効かぬ疑似空間に顔を顰めたツォッポは、
「あっ、ヤベッ! 行き過ぎた!」
視界の端に豆粒にも満たぬ小さな影を確認し、慌てて急停止した。
停止後、即座に急発進。影はみるみる拡大し、人の姿を形作る。この疑似空間で勇者を待っているというエスラゴ――先ほど泣きながら逃げ出して、ツォッポが追い駆けているお転婆娘である。
「さて、どうすっかなぁ」
彼女の精神状態は未だ完調ではないようで、不安定な飛翔魔法で時折体躯を揺らせている。あまり驚かせないためにはどう接触すべきなのか、しばし考えたツォッポは、
「おーい! エ! ス! ラ! ゴー!」
「はきゃっ!」
途中で面倒くさくなって、最も簡単な方法――背後から、大声で呼びかける――を選択した。
声に反応したエスラゴは空中でビクッと跳ね上がり……崩したバランスに耐え切れず、失速・錐揉み降下する。
「……へ⁉」
考え無しな行動の結果に目を丸くしたツォッポは、慌てて急加速。エスラゴの落下軌道に沿って、背中に回り込み抱き上げる。
「んん……って、何するのよ!」
「いや、落ち着けって!」
意識を取り戻したエスラゴが放つ攻撃魔法を自動展開障壁で防ぎ止め、地表擦れ擦れで急上昇。そのまま一つ蜻蛉を切って、速度を殺し着地する。
「悪ぃ、驚かせたか?」
「あ、当たり前でしょ! ………………でも、助けてくれたのはアリガト」
抗議で声を荒げたエスラゴは赤くした顔をそっぽに向けて、小声でボソリと付け加えた。
「で、何しに来たのよ?」
口に出した礼を恥じるように、直ぐに強気を繕うエスラゴ。
「いや、様子がおかしい感じだったから……」
「だったから?」
「とりあえず追いかけてみたものの、その後どうするかは考えてなかった」
「……あんたねぇ。もう少し、考えてから行動しなさいよ!」
「いや、少なくともお前には言われたくねえよ」
「わ、私はいいのよ!」
「なんで?」
「ヴラミルがいるもの! そういうことは彼女に任せることにしているから、」
「でも、今はいねえじゃねーか」
「う、ヴゥー……」
言い返しの言葉が見つけられず、エスラゴは唸り声を漏らす。ヴラミルと一緒でない彼女は少し子供っぽくなるようで。ツォッポの腕に納まったまま、きょときょと辺りを見回す様子は小栗鼠をツォッポに連想させた。
「……そういえば、ヴラミルは一緒じゃないの?」
「ああ、あいつなら木のところに残ったぞ」
「え⁉」
ツォッポの言葉に、身を竦ませるエスラゴ。そのまま不安気に縮こまり、
「やっぱり……嫌われちゃったの、かな?」
心細げに、縋るように呟いて、
「いや、そりゃ無いだろ」
上目遣いに涙ぐむエスラゴに、ツォッポは思わず突っ込んだ。
「どういう意味よ、それ!」
「それって?」
「だから、どうしてそんなふうに無責任なことばっかり言えるのよ!」
いじらしさを直ぐに掻き消して、突っかかるように言うエスラゴ。
「ヴラミルがお前を嫌うわけないくらい、ちょっと見てれば気付くだろう?」
と当たり前のように応じたツォッポはエスラゴの睥睨に晒されて、彼女が本気で不安がっていることをようやく理解する。
「ふざけないで!
あなたたちがいい加減なことを言うから、そのせいで私はヴラミルに――」
「ヴラミルに?」
調子に乗ってうっかり告白しかけた、なんてことは当然言えずに、顔を赤くするエスラゴ。何でもないわ、と強引に誤魔化して、
「とにかく、そういった痴れ言は大っ嫌いなの!」
「なるほど、真面目なんだ」
勝手に納得・首肯したツォッポに、謹厳を繕おうとしていたエスラゴは顔を引き攣らせた。
「からかっているの⁉」
「いいや。小馬鹿にしている」
飄々とした、ツォッポの答え。怒気を放ったはずのエスラゴが、呆気にとられて硬直する。
「だってお前、本気でヴラミルに嫌われたのかもしれないって思っているんだろ?」
「……思っているんじゃ、ないわ。きっと、本当に嫌われて、」
「だから馬鹿なんだよ、お前は」
『馬鹿っていう方が馬鹿だ』とかいう面倒くさいやり取りは無しな、と、冗談めかして付け加え、エスラゴが気を取り直すための時間稼ぎを封じるツォッポ。
「だいたい。その嫌われてるっつー妄想の根拠は一体何処にあんだよ?」
「そんなの! ヴラミルのことを見ていれば、自然に!」
「いや、俺はずっと見てたわけじゃねえし。もっと具体的に言ってくれねぇと」
抱えられたという態勢のままで、会話のイニシアチブも握られて。混乱のままにエスラゴは、ツォッポによる要求をそっくりそのまま受け入れる。
「だって――ヴラミルは言ったんだもん。私に、勇者を待たなくっちゃ駄目だって」
自らの言葉で傷付き凹み、抉られた痛みで顔を歪め、けれどそれらの辛苦にむしろ追いやられるようにエスラゴは言を吐く。
「私は国王の娘だから、国民のことを守らなきゃいけないって。その為には絶対に、勇者様が必要だからって。何度も何度もヴラミルに言われて、だから私もそうなんだって思って、ううん、思い込もうとして――でも、駄目だった」
「駄目?」
「分からなかった、のよ。『父』って人が治めてるっていう王国も、そこに暮らしてるっていう国民も。大切なものだと教えられて、そのために尽くさなきゃいけないって頭では理解して、でも、納得はできなかった。見たことも無いそんなモノより目の前にいるヴラミルのほうが、ずっと大切だって思っちゃった」
それがヴラミルへの裏切りだなんてこと、誰よりもよく知っていて。分かっていながらエスラゴは、想いを切り捨てられなかった。
「だから、打ち明けた。王国も国民も知らないって、もう背負いたくないって言って――でもそれは、ヴラミルに否定されちゃった」
初めて本気でした懇願。返された答えは、シンプルで簡潔。
『イヤです』
そう言ったヴラミルがどんな顔をしていたのか、恐くてエスラゴは見れなかった。
瞳に滲んだ涙に構わず、途絶え途絶えにたどたどしく、それでも最後まで述べ切るエスラゴ。最後は力なく項垂れた彼女へ、けれどツォッポは更に問う。
「なんで、わざわざ打ち明けたんだ?」
黙っていれば、きっと分からなかった。内心を隠し通す術など、いくらでもあった。ただ一緒にいるだけならば――否、想いを通じ合わせるにしろ、勇者を待つ振りを続けるくらい何の支障にもならなかった筈なのに。
「だってヴラミルは、プログラム人格なんだもん」
「はぁ?」
返された予想外の回答に、思わず声を漏らすツォッポ。拍子に若干下げられた彼の腕で揺すられて、けれどエスラゴは気にする風もなく俯いたまま言葉を続ける。
「魔法で作られるプログラム人格には、最初に目的が設定されるのよ。だからきっとヴラミルは、今もその目的の為だけに自分が在るって思ってる」
エスラゴの物言いに、ヴラミルが感じた違和。けれどそれは、続けられた言葉によって掻き消される。
「世界を救うっていう勇者様を召喚するためだけにしか、在っちゃいけないって考えてる。その目的のためだけに、疑似空間に私といる」
『世界を救うっていう勇者様』
それは他でもないツォッポ自身に、ずっと課せられていた言葉――生れた世界まで追い駆けてきたキーラに吹っ切れさせられるまで、捕らわれ続けていたフレーズだった。




