09
「好きな人を欺いて、己自身も偽って。それで傷付けて傷付いて、泣かせて泣いて、相手も自分も悲嘆させて! エスラゴさんが勇者を待つことに、そこまでしなきゃいけないような意義なんて何処にも無いはずです!」
「あなたに……あなたなんかに、何が分かるんですか!」
荒げられたキーラの声はヴラミルの肩を震わせて、竦ませたその身に抱え込んでいた彼女の想いを激発させる。
「意味は消えて、価値も朽ちて、理由なんてそもそも無くて。それでも姫様は、ずっと勇者を待っていたんです!」
「だから、報われるべきだと? 勇者様の召喚を成し遂げた英雄として、元の世界に迎えられねばならないと? そんなの、あなたのエゴでしかない」
「それがエゴだと言うなら、エゴで構いません。あなたがどう思おうと、姫様にだってどう思われても、私はあの方を幸せにしたい。その為なら、姫様自身の御気持を踏み躙ることだって躊躇しません!」
震えを抑え、躊躇いを殺し、真っ直ぐに声を張り上げる。露骨に傲慢で、自分勝手な物言い。けれど行動の原理を義務ではなく自身の意志に求める言葉を、むしろキーラは好感する。
でもだからこそキーラには、ヴラミルの意図が分からない。相手が自分を慕っていて、自分も相手を好いていて、ならばどうしてその想いから目を背けねばならぬのか。
「エスラゴさんが一番に望んでいるのは、あなたと想いを通わせることなんですよ」
「知っています、それくらい」
「だったらどうして、」
「それでは、姫様は幸せになれませんから」
耐えるように、ではなく。顔すら、少しも顰めずに。只、事実を口にするヴラミル。
「プログラムされたものではない私自身の想いを知って、秘め隠そうとした感情が双方向に通っていると理解して。そうしたらきっと姫様は、もう勇者を待つことが出来なくなる」
「いいじゃないですか、それで」
「待つのを止めた姫様が、その後どうなるか考えたことがありますか?」
「え?」
「私は、ずっと考えてきました。いいえ、考えるまでもなく、初めからずっと知っていました」
だって姫様は、とっても優しいお方ですから。そう言ったヴラミルの微笑みには、喜悦と悲嘆が同居していて。彼女の言葉の意味を理解し、キーラの喉が息を呑み込む。
「勇者の召喚を諦めたら、姫様は自分を許せなくなります。召喚された勇者に救われるはずだった民を想い、国を嘆き。それ等を見捨てた自身に慄いて、きっと自責で押し潰される」
魔法で自我を与えられた時から――あるいはそれよりもっと前から――ずっと一緒だったのだ。エスラゴのことならヴラミルは、本人以上によく知っている。剛毅に見えても繊細で、華奢なくせにとっても強情。だから押し付けられた重荷も自分のものとして背負い込み、迂闊に打棄てようものならば罪責で自身を壊してしまう。
「そんなこと、絶対にさせない。たとえ姫様が望まなくても、勇者を待たせ続けてみせる」
毅然と口にされた、決意。けれどそれが『今』を縛り付けるものでしかないことを、解したキーラは顔を歪める。
「待つのを止めたという後悔から、逃れさせるために待たせ続ける?」
そこには待ち始めた当初の目的など既になく、
「そんなの変わることが怖いから、好きな人を巻き込んで引き籠ってるだけじゃないですか!」
枷となったヴラミルも、それに繋がれたエスラゴも、前にも後ろにも動けない。
「それの、どこが悪いんですか! 姫様が悲しむくらいなら、ずっとこのままのほうがいい!」
「そんなの、結局目を背けているだけ! いくら見ないふりをしてみても、時間が経てば想いは溜まる。溢れたそれを抑えきれずに隠した真実が露呈すれば、あなたに偽られたエスラゴさんはもっともっと疵付いて――」
「それなら、それで構いません!」
激した表情、荒んだ口調。キーラの非難に混ぜ込められた感情を真っ直ぐ受け止めて、そのままヴラミルは言い返し、
「知識としてしか、知らない王国。一人も顔を、見たことの無い国民。そんなモノの為の後悔で、忘れられてしまうくらいなら! いっそ私を消えない傷として姫様の胸に残したほうが――……え!?」
勢い込んで口にした己の言葉に、愕然として目を見開いた。
「あれ? ううん――今のは、ちがっ」
姫様の為に、在る自分。絶対と信じたその価値観は、けれど霞のように溶け消えて。立つべき寄る辺を見失い、ヴラミルは声を上ずらせる。掴むべき藁を探し求めて、丸くした瞳を彷徨わせる。
彼女の言葉に驚いたのは、キーラも同じ。戸惑うように目を瞬いて――自身が声に宿らせていた霊素に気付き、息を呑む。
「ご、ごめんなさい!」
無意識に発動させていた、心理魔法。エスラゴから教授されたものにアレンジを加えたその効果は、心中の吐露。決して強力なものでないが、それでも勢い込んでいたヴラミルの口を滑らせるには十分すぎた。
「え……でも、今のは、そうじゃなくて――ううん」
キーラの謝罪の意味を理解し、なおもヴラミルは狼狽える。
掛けられた魔法の効果はあくまでも胸の奥の思いを露わにすることで、どこにも存在していない虚言を呈させるわけではない。だから思ってもみなかったはずの言葉は、けれど彼女が思っていたこと。
「違わな、くて、でも――ああ、そっか」
認めたくなくて、認められなくて、でもそう考えている時点で既に彼女は認めている。だから内に起こった混乱はほんの数呼吸で収斂し、事実を受け止めたヴラミルは自身を恥じるように顔を伏せる。
「あ、あの! 本当にごめんなさい!」
「いえ、いいのです」
謝るキーラをむしろ気遣う風に、首を横に振るヴラミル。
「本当の気持ちを、口にした。只、それだけなんですから」
そう言って彼女が浮かべた微笑は、極めて魔法プログラムらしい表情の希薄なものだった。
「お笑い種、ですよね。姫様の為、姫様の為ってあんなに繰り返しておきながら、結局私は自分のことしか考えていなかった」
「そんな、こと――」
口篭もり言い淀むキーラに構わず、ヴラミルは淡々と言を紡ぐ。
「しかも、そのためには姫様を疵付けることだって厭おうとしていなかったなんて。本当に、情けないです」
「それは……それは、違います!」
表情すらも薄く透けさせようとするヴラミルを、キーラは叫び引き留める。申し訳なさと恥ずかしさで真っ赤にした顔を、興奮で更に紅く染め、それでも声を張り上げる。
「自分のことを考えて、そのために行動する
――そんなの、誰だってやっている当たり前のことです!」
「ですが私は、そのために姫様を、」
「まだ、実際に疵付けたわけじゃありません!」
「でも、考えてはいたのです。自分の目的の為ならば、どんなに毀損しても構わないと。そんなの、姫様を勇者召喚に奉じた王国と全く変わらない……」
「それが、どうしたっていうんですか⁉」
どこまでも内罰的に閉じ塞がろうとするヴラミルに、いきり立ったキーラは強引に声をねじ込んだ。
「そんなことを理由にして、ヴラミルさんはエスラゴさんのことを諦めるつもりなんですか⁉」
「だって、私には、姫様の傍に居る資格など――」
「資格なんていりません! 傍に居たいって思うんなら、そうすればいいじゃないですか」
「そんなこと、できません!」
「どうして!」
「私が――魔法プログラムだからです」
踏み入るキーラに揺らいだ心で、まるで寄る辺を求めるように己が淵源をヴラミルは告げる。
「魔法に付属したサブ機能として勇者召喚の為に作られて、姫様をお支えする為に自我と感情を与えられた」
なのにどちらの目的も果たせず、ただ我欲だけ膨らませて。その在り方は、身勝手で、醜悪で、何の価値も無く、
「何かの為に、なんて。そういう言い方、嫌いです」
酷く腹立したキーラの声が、ヴラミルの自虐を遮った。
「自分の存在理由は、自分自身で決めるものです。発生時にどんな事情があっても、それはあくまで原因で目的になんてなりません」
「そんな高説、解ったって納得はできません!」
強い語調で言うキーラを、ヴラミルもまた感情を露わにしつつ否定する。
「私が有する意志や想いは、須く姫様から戴いたもの。なのにそれに報いもせず、どころか抱いた欲望の為に姫様を弄ぼうとしていたなんて! そんな自分が情けなくて、自分自身で許せなくて、だから、」
「だから、見捨てるんですか?」
――ツォッポが、自分たちのことをそうしたように。
ヴラミルの顔を正面から見据え、奇妙に冷たい声で言う。抑揚を欠いたその声は、悲鳴のように澄んで響いた。




