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08

「何故エスラゴさんに、秘密にする必要があるのですか?」


 まるで弾劾するかのように、硬い声でキーラは言う。


「秘密にする必要なんてない、むしろ話さなくちゃいけないことだと思います――だって『元の世界』に戻るのは、ヴラミルさんとエスラゴさんのお二人なんですから」

「ですが、」

「それとも『勇者様』がいらっしゃれば、自分は戻れなくなっても構わない、とでも考えているのですか?」


 ヴラミルが口に仕掛けた反論を、己が感情のまま重ねた声によって黙らせる。


「それなら確かに、エスラゴさんには知らせない方がいいのかもしれませんね。そうすれば彼女は何も知らぬまま、ずっと待ち続けるでしょうから。待って、待って、待ち続けて、そしていずれやって来た勇者様とこの疑似空間から去っていき――あなたにとってはそれでおしまい、完全無欠のハッピーエンド。たとえエスラゴさんが戻った『世界』が既に魔王に滅ぼされていても、それを知った彼女の絶望をあなたが目にすることはない」


 抑揚の無い、冷え切った声。浮かべる微笑だけはいつも通りに、けれど詠い上げるのは嘲笑。悪意を込めて、勝ち誇って――そして一転、激昂する。


「どうして、何も言わないんです! まさか本当に心底から、そう思っているんですか。ならば一体あなたにとって、エスラゴさんとはなんなのです? 彼女を欺き、自らの感情も偽り、未来からさえも目を背けて……ただ今、ほんの一時だけ、このままの関係を彼女と保てれば、それであなたは満足なんですか!」

「――違います!」


 キーラの弾劾に急かされるように、強く首を振るヴラミル。視線が大きく横に外れ、それを戻した彼女の顔は、涙で醜く濡れている。


「でも……だったら、どうすればいいんですか」


 声を詰まらせ、身を震わせ、それでも声を絞り出す。


「どう言えば、いいんですか。教えてください。もうとっくの昔に守るべき王国は滅びているかもしれなくて、だからあなたのしていることは全くの無駄かもしれないけど、それでもここで勇者様を頑張って待ち続けましょうなんて……そんなふうに、正直に言えばそれでいいんですか?」

「なんで、そうやって初めから答えを決めているんです?」


 教えてくださいよ、と、体裁さえも投げ捨てて縋るヴラミルに、叱責の口調でキーラは問う。


「『此の疑似空間』と『元の世界』で、時間の流れが違うかもしれない――それはあなたとエスラゴさん、お二人の問題のはずです」

「そんなこと、分かっています」

「いいえ、分かっていません。分かっているなら、『勇者を待つ』という結論を一人で出すはずがありません」

「それは――」

「ここで勇者を待っていたのは、あなたとエスラゴさんなのでしょう? だったらどうするかを決めるのも、お二人でじゃなきゃいけないはずです。たとえあなたが召喚を補佐する魔法プログラムだとしても、これからも勇者を待ち続けると一人で決める権利はない」


 何故ならヴラミルはもう既に、自分の意思を持っているから。思いに拠って考えを巡らせ、判断を下し、他者を愛する。たとえ生まれ方が異なっても、その在り方はエスラゴと微塵も違うところは無い。だから――


「分かったことを全部エスラゴさんに話して、それから二人で相談して、一緒に決めればいいんです。いいえ、一緒に決めなくてはいけない筈なんです」

「けれど――もしそれでエスラゴ様が、もう勇者を待たないとおっしゃられたら……」

「その時は、待つのを止めればいいじゃないですか」


 嘲るように、言うキーラ。提示されたその答えは、ヴラミルの顔を歪ませた。


「そんな、こと……」


 首を振る彼女の頑なさを、キーラは更に糾弾する。


「そんなこと、出来ませんか?」

「それは、」

「どうして、できないんですか? どうしてそんなに、エスラゴさんに勇者を待たせたいんですか?」


 荒げた声は怒号に近く、杖を硬く握った右手が痛い。両頬も、赤くなっていると思う。ツォッポさんが見たなら、子供っぽいと笑うだろう姿。感情に流され昂ぶった己の思考を自覚して、それでもキーラは恥じ入らない。

 自身が抱くこの憤りが、決して譲れぬ正当なものだということを彼女は知っていた。




 キーラが想いを寄せる相手は、異世界から呼ばれた元勇者。変えようのないその事実は、キーラ自身にとって何の意味も持ち得ない。だってツォッポは元勇者であるよりも前にツォッポであり、キーラは魔法使いである以前に彼を愛する一人の女。当たり前と思っていたその認識は、けれどツォッポと共有されていなかった。

 彼は、自分の果たした勇者という役割に拘った。その意味について思い悩み、その価値を追い求めた。周りにいるキーラたちの姿を見失ってなお、勇者でなくなった今の自分をおざなりにしてさえ、勇者として行ったことについての思惟に没頭し続けた。答えを求めて足掻いて藻掻き、解法を模索し苦悩して、そして遂には元の世界に戻ろうとした――キーラたちを、置き去りにして。

 幸い彼の行動は、ツォッポを慕う女たちの共謀と三ヶ月にわたるキーラの奮闘で有耶無耶にすることができた。それでも、彼が一度そう決めたという事実が覆るわけではない。一緒に過ごした時間も、通わせたはずの想いも、全部無かったことにして。一言の相談さえ無いままに、二度と会えなくなるのを承知の上で。助けられなかった者たちに対する贖罪の代償として、救ったものたちと築いたはずの関係を彼は切り捨てようとした。

 なんで、だろう。一体、何がいけなかったんだろう。こんなに大好きなのに、とっても愛しているのに、ずっと近くにいたのに、あの時は守ってくれたのに。

 一緒に戦って、一緒に笑って、一緒に苦しんで、一緒に頑張って。

 魔王軍を撃退した喜びも、困難な試練を乗り越えるための苦しみも、仲間を失った悲しみさえ、全部全部分け合って、共に過ごしてきたはずなのに――どうして?

 それは、きっと彼が勇者だったから。勇者としての定めに義務に、馬鹿正直な生真面目さで向き合おうとしてしまったから。だから世界全てを救うっていう役割に拘泥されて、救えなかった者たちに対する責任を一人で負おうとした。

 もちろんそんな在り方は、キーラには絶対承服できない。失われた数多の命の責は共に背負っていかなきゃいけないものだし、何よりキーラ自身がツォッポと共に背負いたい。その意志に、ツォッポが勇者だったという事実は微塵も介在しはしない――ツォッポがツォッポだったからこそ、キーラはそう思うのだ。

『勇者』自体の権威や意味を絶対に肯定したくないキーラは、だからヴラミルたちが待つ勇者にも何の価値も見出さない。エスラゴを想うヴラミルの瞳から零れた水滴一粒のほうが、彼女にはよほど重要で。それを無視して勇者を待つことに拘ろうとするヴラミルへ、強い苛立ちをそのままぶつける。


「好きな人を欺いて、己自身も偽って。それで傷付けて傷付いて、泣かせて泣いて、相手も自分も悲嘆させて! エスラゴさんが勇者を待つことに、そこまでしなきゃいけないような意義なんて何処にも無いはずです!」

「あなたに……あなたなんかに、何が分かるんですか!」


 荒げられたキーラの声はヴラミルの肩を震わせて、竦ませたその身に抱え込んでいた彼女の想いを激発させた。



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