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07

「ヴラミルさん。

 さきほどのエスラゴさんへの態度は少しあからさま過ぎたのでは?」


 僅かに唇を尖らせて、八つ当たり混じりで発した言葉に――ヴラミルは、まるで初心な小娘のように顔を蒼褪めさせる。


「それは……」


 口篭もり、狼狽えて、歪みかけた顔を強張らせる。


「――では、私はどうすればよかったのでしょう?」


 彼女の瞳は黒空の先、エスラゴとツォッポが消えた方向を縋るように見遣っていて。発せられた声音は、群れからはぐれた迷鳥の囀りのよう。ただ触れただけで粉々に砕けそうな心根を、それでも懸命に偽って――罅割れたグラスに似たその様相に、キーラに否応なく理解する。

 感情が乏しげにも見えるこの魔法プログラムこそが、歪なまでの一途さでエスラゴに依り切っているのだと。


「ヴラミルさんは、エスラゴさんの御気持も把握しているのですね」


 彼女の在り方を認識し、故にキーラは咎めるように言う。


「しかも、彼女を疎ましく思っているわけでもない」

「っ――」


 キーラの言葉に、沈黙するヴラミル。応えようとはしているのに、逡巡で答えが見付からない。

 頷くことは矜持が許さず、けれど首も振ることも怯懦ゆえ叶えられなくて。前にも進めず後ろにも戻れず、立ち竦んだまま動けない――そんなヴラミルにキーラが感じたのは、在りし日のキーラに周りの皆が抱いたのと同じもどかしさだった。

 どうでもいいことに拘って、分かり切っていることに躊躇して、周りが見えず、前を見失い、なのに後ろばかり気にして。自己嫌悪に浸りたくなるほど詳細に当時の自身を思い出し、だからキーラはヴラミルの怯えを理解して葛藤を推測する。

 きっと、すごく怖いんだろう。相手が身近であればあるほど、想う気持ちを認めることで生じる変化は大きいから。だから不安に苛まれ、踏み出す一歩を躊躇って、今ある関係や自身の役目といったものに(しがら)まれる。立場や責任、義務や使命、そういうもので己を絡め、現状という心地良い牢獄の中に収容する。選択を避けて逃げ出すそれは、それでやっぱり一つの選択――しかも極めてリスクが低く、故にとっても魅力的な。

 でもやっぱり、もったいないから。互いに向けた二人の想いがこのまま交わらないなんて、つまらないと思うから。


「先ほどエスラゴさんにも、同じことを言いましたが――」


 かつての自分への意趣返しと、先達としての御節介。そして何より想いを通わせた二人を見たいという己自身の欲望から、キーラはヴラミルの背中を押す。


「もっと素直になってしまえばいいのでは?」

「無理、ですよ」


 然り気ない風を装ったキーラによる提言に、ヴラミルはゆっくり首を振った。

 誤解の施しようがない、明確な否定。けれどそれを発した声は吹けば消えそうなほどにか細くて、本当は素直になりたいのだと請い願っているようにも聞こえる。


「どうして無理なのか、きいてもいいですか」


 怪訝に映るヴラミルの言動。だから理由を知りたいと思って表明した意思に、しかしヴラミルは顔を伏せる。


「あなたたちとは、違うんです」


 声を籠らせ、俯いて、合わそうとした視軸すら逸らす。拒絶としか映らぬその態度にもやっぱりキーラは覚えがあって、だから微苦笑を浮かべた彼女はなおもヴラミルから目を離さない。


「違うんです

 ……たった一日だけで分かり合えてしまう、あなたとツォッポなんかとは」


 滴るようにゆっくりと、ヴラミルの口から零れる言葉。まるで悲鳴のような呟きは鋭さも脆さも薄刃に似て。その悲壮さ具合すら正確に把握しようとしたキーラは――一瞬遅れて、彼女の言葉が持つ違和に気付いた。


「一日?」

「?」


 キーラの上げた怪訝な声に、ヴラミルが浮かべた戸惑いの色――

「私が前に此処へ来たのは、三ヶ月ほど前のはずですが」

 それがキーラの一言で、驚愕、次いで慄きに変わる。


「三ヶ月、というと……つまり七十五日?」

「いえ。ツォッポさんが生まれたという世界の単位なので日の上り下りが九十回分です。ですが……ここでは、まだ一日しかたっていないのですね」


 ヴラミルの頭が、縦に動く。その愕然とした表情からは、先ほどまで秘めていたはずの請願すらも消え果てて。代わりに顕れた焦燥が、彼女が思い詰めている理由をキーラに推測させる。


「多元世界間における時の経過は、必ずしも一致しているわけではありません。だから私の世界がツォッポさんを召喚した時も時間軸調整には腐心したと聞きますし、今も私は術式による時間同期を行っています」


 それは、キーラの世界における常識。魔法に携わったものなら、誰でも知っている当たり前のこと。けれど『常識』や『当たり前』なんてものは、ちょっと世界を異とするだけで全く変わってしまうものなのだと、ツォッポの生まれた世界三か月分の体験でキーラは知っていた。


「この疑似空間は、元の世界と時間同期されていないのですか?」

「……はい」


 躰を小さく震わせて、それでもヴラミルは耐えるように言う。


「この疑似空間の構成魔法は完全に独立起動。召喚した勇者様と元の世界に戻る瞬間を除き、こちらから他の世界への接続はおこなっておりません」

「つまりここで経過した時間が、元の世界でどれくらいに相当しているのかは戻ってみないと分からない」


 疑似空間での一年は、元の世界の一日にすら満たないかもしれない。けれど逆に、ヴラミルやエスラゴがまばたきするだけで十年・二十年が経過している可能性もあり――そしてツォッポが生れた世界との時間のズレを考えれば、後者寄りである公算の方が圧倒的に大きい。

 キーラが突き付けたその事実は、幾重にも纏ったヴラミルの平静さを今度こそ完全に引き裂いた。

 耐えようとして耐え切れず、身を竦ませて座り込む。縋るべきものが見つけられず、ただ己が腕を強く掴む。大きく呑み込んだ息を、吐き出す方法が分からなくて、恐怖に染まった瞳はけれど、何を求めてか上を向く。


「――お願い、します。どうかこのことは」


 ヴラミルを占めている感情が、絶望であるのは間違いない。けれど彼女は俯かず、俯けずキーラに懇願する。


「どうか、姫様にだけは、内密に!」


 端正な顔を真白に染め、均整の取れた体躯を慄かせ、舌を拙く縺れさせ。そのまま砕けてしまったほうが絶対楽なはずなのに、それでも諦めることが出来ない。

 希薄な感情を偽って、精巧に造り被った仮面。かなぐり捨てたその内側は、脆く儚く拉がれていて。魔法プログラムという起源など微塵も見られぬその醜態に、キーラは知らずと息を呑む。


 よくぞここまで、と思う。

 よくぞここまで育ったものだ、よくぞここまで育んだものだ。


 それはヴラミルへの、そして彼女を造り出した――否、生み育て上げたエスラゴへの賞賛。何故なら今のヴラミルは、まさに人間そのものだから。あるいは寧ろ人間より、人間らしいといえるから。

 魔法で構築された、召喚補佐用のサポート人格。与えられた目的に、沿って機能するだけの存在。にもかかわらず彼女は今、苦悩し懇願し煩悶する。愚かな自分を悔い悔やみ、それでも己のエゴの為に醜さを晒し続ける。

 これほどの情動を築くのに、費やした歳月はどれだけだろう。彼女に向けたエスラゴの、想いはどんなだっただろう。

 分からない。把握できない。想像すらも、難しい。

 けれど思いを巡らすことすら叶わぬほど、大きく強いとは理解できる。

 そしてだからこそ、気に入らない。せっかく手にした感情を殺して勇者を待ち続けようとする、ヴラミルのことが許せない。


「何故エスラゴさんに、秘密にする必要があるのですか?」


 まるで弾劾するかのように、硬い声でキーラは言った。


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