05
「言いたいことがあるんなら、はっきり言ったら? そういう風に勿体ぶられるほうが、ずっと不愉快だわ」
「え、あ、ごめんなさい! それでは、えぇっと、
――エスラゴさんは、もっと素直になったほうがいいと思います!」
凄んでみせたエスラゴに恐縮したキーラは、申し訳なさそうに――けれどエスラゴの気持ちには微塵も配慮することなく、自身の思っていたことを堂々と述べる。
「ぇ、…………――――」
頭を真白に塗り染められて、数拍ほども硬直するエスラゴ。更に数拍を費やすことで言われた意味を理解して――
「――すっ、ススす、スナオってどういうことよ!」
それからようやく赤面して吃りつつ叫んだ彼女は、当然背後で息を呑んでいるヴラミルには気付けない。
「つーか顔を赤くしたり舌を縺れさせている時点で、『どういうこと』なのかは自分でも理解できているんじゃ――って、うぉぃ!」
動転しきりのエスラゴが放った収束炎弾を、他者に向けられた好意には気付けるらしい元勇者が右手で打ち払う。
「あぶねぇな、しかも……アチッ! こないだより威力が上がってるし!」
炎弾を掻き消した右手の平を、上下に振りつつ言うツォッポ。僅かに焼け焦げたその掌から煙が上がっていることに、気付いたキーラが息を呑む。
「エスラゴさん、今のは……詠唱短縮させた呪言を、更に共鳴させたんですね! 凄いです、たった三ヶ月の間に!」
恋人に対して行使された攻撃魔法の高威力を、我が事のように喜ぶキーラ。戒めを含まぬ純粋な賞賛に慣れていないエスラゴは、
「そ、そうかしら? でもツォッポにはあんまり効果なかったみたいだし」
と、炎弾を撃った原因すら一時脇に置いての戸惑いを示した。
「たしかに効果の小ささを考えれば、そこまでの賛辞には当たらないのでは?」
エスラゴの教育係であるヴラミルがキーラの言葉に疑問を示し、
「ありゃ十分に惨事を招ける威力だぜ……ところで被害者である俺についてはスルーですか?」
撃たれた側であるツォッポが抗議の声を上げ、
「もともとズルみたいな存在ですから、この扱いで適当なのです」
けれど自身の恋人によってバッサリ切り捨てられる。
「んな、ぞんざいな!」
「だって、ツォッポさんは健在なのですから」
子供っぽく言い募るツォッポと、余裕を持ってあしらうキーラ。昨日別々に会った時とは明らかに雰囲気が異なる二人を、エスラゴは羨ましげに覗き見る。
「とはいえ感情に駆られての魔法行使は――」
「わ、悪かったわよ!」
生真面目に咎め立てするヴラミルと、気兼ねするように従うエスラゴ。三ヶ月前から関係の進展が全く見られない二人に、キーラは小さく溜息を付く。
不貞腐れた素振りで渋々ながら、それでもエスラゴはツォッポに謝罪。態度はともかく謝意は確かに込められたそれに、ツォッポがわざとらしい鷹揚さで頷いて――
「ところで、姫様」
とりあえず落着、となったその場を確認したヴラミルは、
「そもそも何故、ツォッポさんに炎弾を撃ったりしたのですか?」
と、改めてエスラゴに問うた。
エスラゴの教育係、というヴラミルの立場からすれば、抱いて当然の疑問。けれど問われたエスラゴは、ヴラミルにだけは答えられない。
だって、言えるはずがない。『もっと素直になったほうが』というキーラの言葉に揺さぶられ、その意味を『理解できている』というツォッポの指摘に動転したなんて。ヴラミルと一緒にいられれば勇者様なんてどうでもいい、その想いを自覚しあまつさえヴラミルに告げたいと考えたなんて。こんな自分の在り様を、知ればヴラミルは失望する。救うべき民より、王族としての義務より、自身の身勝手な欲望を優先させた愚かな女。その存在はヴラミルに心の底から呆れられ――そしてきっと、見捨てられる。
――嫌だ、イヤだ、いやだ。それだけは、絶対に。
足元が、グラリガラリと、崩れる音を聞くような恐怖。疑似空間の黒空など比較にならぬほど深い闇が、自身の僅か半歩先に口を開けている気がして。硬く身を竦めたエスラゴは、だから毅然と傲慢に言い放つ。
「別に――理由なんてないわ」
「では、何故ツォッポさんに攻撃呪文を?」
「なんか気に障ったのよ」
「それだけですか」
「ええ」
当然のように頷いて、同時にそんな些細なことなどどうでもいいかのように振舞う。けれど、
「……本当に?」
そう聞き返したヴラミルは、視線をエスラゴに据え付けた。
顔を向け、眼差しを合わせ、瞳の中を覗き込む。固く閉ざした感情の奥底にまでヴラミルは踏み入って、凍らせなければならないと決めたはずのエスラゴの心を揺り動かす。それが怖くて、
「何よ、」
揺らぐ自分が浅ましくて、
「――何なのよ」
見詰めるヴラミルに申し訳なくて、
「何か、文句でもあるっていうの!」
だからエスラゴは言葉を荒げ、ほとんど叫ぶように言う。
「いいえ、何もございません」
エスラゴがどんなに言葉を荒げても、こんなに理不尽に振舞ってなお、ヴラミルの冷静さは失われない。
「何も問題はありません――姫様が、本当にそう思っていらっしゃるならば」
そう言って浮かべる彼女の微笑はいつもと全く変わらなくて、けれど逆にその事実はエスラゴをより追いつめる。
『姫様が、本当にそう思っていらっしゃるならば』
――なら、本当はそう思っていなかったら? それを、彼女に知られたら?
その時のヴラミルの反応が、恐くて、怖くて、コワくて。彼女と共に居られなくなるのが、嫌で、厭で、イヤで。だから絶対に間違いなく、本当に自分は『そう』なのだと、エスラゴは自身を縫い留める。ヴラミルのことなんて微塵も何とも思っていないと決め付ける。
けれどそんな頑な態度こそが、ヴラミルへの想いを認めている証なのだということは、エスラゴ自身が本当は一番よく分かっていた。
「ですから、これは単なる確認です。何も問題は、ないのですね」
平素通りの乏しげな表情にほんの僅かな微笑みを添えて、念押しするように言うヴラミル。
そうだ――と、応じなければと考えて。違う――と、言いたいと思って。だからどちらも選べずに、相反する思考に押し潰されて、よってヴラミルが向ける視線にもエスラゴは耐えられない。
「……らない」
「姫、様?」
「しらない、シらない、知らない、知らない! しらない! シラナイ!!」
同じ言葉を繰り返し、語彙の貧弱さを曝け出す。何を拒みたいのかも分からぬまま、ひたすら首を横に振る。失うことがとにかく怖くて、けれどどうすればいいのか分からなくて、
「シラナイ! シラナイ! シラナイ! ワタシハ、ナンニモ、シラナイ!」
何もかもを見失った彼女は、だから全てを放置したまま逃げ出した。




