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04

  ヴラミルと、共に在ること。この荒れ果てることすら出来ない貧相な疑似空間で、エスラゴはただそれだけをずっと思い続けてきた。元は単純なプログラムでしかなかった存在に、いつからそんな感情を向けるようになったのかはエスラゴ自身も覚えていない。けれど多分、自分の気持ちを明確に自覚できたのは、それが持つ罪深さを理解できるようになったよりも後だったと思う。

 第二王女としての出自、伝説の勇者様をお迎えするという役目。それがどんな意味を持つのか、どんなに大切なことなのかを、教えてくれたのは他ならぬヴラミルだ。だからエスラゴは知っている――自身がどうあるべきなのか、どうあらねばならないのか。


 王女として民の幸せを願い、彼らが暮らす国の行く末を憂え、その障害となる魔王を憎み、魔王を倒してくださるだろう勇者様がいらっしゃることを強く願う。


 それが自分の在るべき姿、あらねばならない王族の形。そこに個人的な欲望が介在できる余地は無く、ましてや同性を模ったプログラム人格に恋情を抱くなんて論外で――けれどどんなに理屈を付けて、筋道立てて考えても、想うことだけは止められなかった。

 だから初めは否定しようとして、それが出来ないと理解した後はひたすら隠そうとした。だけど昨日、ヴラミル以外で初めて知ることとなった『他者』たちは、エスラゴの気持ちをあっさりと看破した。そして自分などよりよほど魔法の扱いに熟練しているあの少女は、悪戯っぽく笑って言った。


 ヴラミルもまた、エスラゴのことを想ってくれている、と。


 だから、勘違いして図に乗った。調子に乗って舞い上がった。自分がヴラミルのことを想っているように、ヴラミルもまた自分のことを見てくれているに違いないと信じ込んでしまった。けれど、


「違ったわ、キーラ」


 ヴラミルが望んだことに、『エスラゴと共に在ること』は含まれてなんかいなかった。冷静に考えれば当たり前なその事実を、もう此処にいない――けれど実は背後に佇む――少女に向けて呟いて、そうしてエスラゴは思う。


 これは調子に乗って舞い上がった、自分に課せられた罰なのだろうか? いや、きっと違うのだろう。罰だとしても、それは勘違いしたことに対するものではない。罰せられねばならない罪は、きっと自分の想いそのもの。王女としての在り方に背いてヴラミルに恋慕した、その事実こそが自分の罪悪なのだ。


「では、どうするのですか」

「待つのよ、勇者様を」

「ヴラミルさんが、そう望むから?」

「ええ」

「それはいつまで?」

「勇者様がいらっしゃるまで」

「けれど、もしも来なかったら――」

「その時はずっと!」


 不躾な問い掛けに乱れてなお、エスラゴの声に迷いはない。ただ勇者様を待つことだけが、自分にできる唯一の贖罪だと理解しているからだ。彼女が抱いてしまった想いは冒涜以外の何物でもなく、どう考えても最悪で、決して許されようはない。でもたとえほんの僅かでも償いようがあるとすれば、それは此処で――


「此の二人だけの疑似空間で、愛する人が望んでいることを永遠に叶え続けるわけですね」


 固めたはずの悲壮な覚悟、けれどその内に秘められていた欲望を躊躇なく言い当てたその声は、


「少し似ているのかなと思ってはいましたが、ちょっと被虐趣味があるところまで同じだとは思いませんでした」


 と、呆れたように溜息を付いた。


「被虐趣味⁉ というか……キーラ⁉」

「お久しぶりです、エスラゴさん」

「って、いつから居たのよ!」

「ええと、上の方にある『ヴラミルと、共に在ること。』あたりからです」

「それって地の文の心理描写じゃ……」

「はい、心理魔法で少し覗かせてもらいました」


 悪怯れる様子は微塵も無く、人の心を覗いたことを白状するキーラ。その微笑みはあくまでも気品を保った上品なもので、思わず彼女から視線を逸らしたエスラゴは、後ろで額に手を当てている元勇者に気付いた。


「よぅ、久しぶり」


 決まり悪げに、片手を上げて応じるツォッポ。なぜキーラではなく彼が申し訳なさそうなのか怪訝に思うエスラゴだが、その疑問の表明はヴラミルによって遮られる。


「また、迷い込んだのですか?」

「違ぇよ!」

「ではどうして此処へ」

「そりゃあ……言っただろう、『またな』って。だから挨拶っーか、なんつーか」

「それと報告と御礼です」


 言葉を濁すツォッポの、後を引き継ぎキーラが言う。


「報告と、御礼?」

「はい」


 訊き返したエスラゴに迷いなく頷いたキーラは、トテトテトテと小走りでツォッポの左隣に並ぶ。大刀の鞘に当てられているツォッポの左手にギュムッと抱きつき腕を絡め、


「おかげさまで、私たちお付き合いすることになりました」


 花が咲いたような微笑みを浮かべるキーラとは対照的に、照れ臭げに顰められた顔をツォッポは俯かせた。


「お付き合い、って」

「この場合は物理的な意味ではなく、不純異性交際のことだと……」

「分かってるわよ、それくらい!」


 生じた動揺を指摘するようなヴラミルの言葉に、エスラゴは思わず声を荒げる。


「はい、申し訳ありません」


 感情に拠ったエスラゴの叱責に、しかしヴラミルは優雅さを保ったままの所作で低頭。彼女に非が無いことは元より承知しているエスラゴは、羞恥と感謝で赤く染めた頬を僅かに俯かせた。

 そう、エスラゴは分かっていた。言葉の意味を勘違いしたかと疑われても当然なほど、自分が動揺していたことくらい。だからヴラミルによる助言はタイミング的には絶妙で、それに罵声で応じたのはエスラゴの単なる八つ当たり。けれどそんな理不尽すら、ヴラミルは何も言わず受け入れて、エスラゴのことを立ててくれていて――でもそれは結局は、エスラゴが『姫様』だからでしかなく……


 ――それに比べてキーラは、今はもうツォッポと相愛なのだ。


 目の前に突き付けられている事実にエスラゴの胸がギリィと軋み、自身に宿った感情を自覚してエスラゴはもう一度愕然とした。

 なんでキーラばっかり、と、どうしようもなくそう思う。自分よりも魔法が使えて、自分よりもお淑やかで、自分なんかとは違ってツォッポへの想いを素直に表明することが出来て。自分が持たない色々なものを沢山持っているのに、それだけでは全然飽きたらず、とうとう想い人の心まで……


 ずるい、と思う。

 どうして、と感じる。

 なんで彼女ばっかりが、と考えてしまう。


 そんな資格、自分には無いのに。そんな気持ちを抱くことこそが罪悪であり裏切りで、だから想いなんて捨て去って、そして――


『此の二人だけの疑似空間で、愛する人が望んでいることを永遠に叶え続けるわけですね』


 廻り続けるエスラゴの思考に、先ほどのキーラの言葉が糸のように絡まり付いた。

 キーラの指摘は、エスラゴ自身も気付いていなかった正鵠を射抜くもの。どんなに悔いたふりをして、どんな決意を固めてみても、エスラゴの行為の根底には必ずヴラミルへの想いがある。


 その想いはきっと罪――では、何についての罪なのか? 自らが服するべき『王族の義務』を、エスラゴは真には分かっていない。


 そう考えることは恐らく裏切り――けれど誰に対する裏切りか? 本来背負うべき『民』の重さを、エスラゴはヴラミルから聞いた話によってしか知らない。


 だからエスラゴは、ヴラミルへの想いを介すことでしか何かを成すことが出来ない。悔いるのも、責めるのも、ヴラミルが悲しむことに対してでしかない。そんな変えようのない自らの在り方を理解したエスラゴは、同時に気付く――この己の在り様こそが、ヴラミルを悲しませていることに。

『王族』を理解できず、『民』のことが分からず、そんな自分が何よりもヴラミルに恥ずかしくて申し訳なくて、だから悔い罵って、けれどそれゆえにエスラゴは変われない。変わるとはつまり、他の何かをヴラミルよりも優先するということで。そんなことが出来るならば、そもそも変りたいなんて――ヴラミルの想いに応えたいなんて――考えない。

 変わることを求めている限り、エスラゴは変れたことにはならない。どうしようもない袋小路、あるいは出口の存在しない迷宮。故にエスラゴは、そこに嵌った自分ごと問題を凍らせると決める。

 自らの意思を捨て去って、考えることも放棄して、ただ『民』に尽くす様を装う。湧き上がる想いを封じ込め、葛藤も迷いも捨て去って、ただ『王女』として在るべき姿を演じる。そうやってヴラミルの期待に応えれば、きっと彼女はまた笑ってくれる。あまり豊かではない表情をそれでもしっかり覗かせて、呆れや諌めを混じらせつつも微笑んでくれるはずだから。

 自身の成すべきことを見極めた、あるいは問題の全てに背を向けたエスラゴを――見詰めていたキーラがツォッポと顔を見合わせて、呆れたような溜息を漏らした。


「……なによ」


 キーラに向けたエスラゴの声は、凍らせたと偽る心と同じくらいに硬い。けれどその振る舞いはキーラにとって馴染みのもので、故にキーラは


「さあ、なんでしょうか?」


 と、わざとらしく小首を傾げて見せた。


 エスラゴが取ろうと努める態度は、嘗てキーラが取っていた態度。勇者であるツォッポに恋い焦がれている自分を認めることが出来ず、ために晒していた醜態。だからエスラゴの何気ない挙動やほんの僅かな声の抑揚、果ては視線の動きまでが、以前の自分を見ているようでキーラには痛痒擽ったい。紅潮した頬に気付かれぬよう巧妙にエスラゴから顔を逸らし、キーラはついでに向けた視線でツォッポを思いきり睨み付けた。

 キーラの最愛の恋人は、けれど向けた視線には気付くことなく思案顔。どうしたものかという表情から、彼もエスラゴの態度の意味には至っていることが分かる。さすがは元勇者、幾重もの死闘で鍛え上げられた観察眼は伊達ではないということだろう。けれど……


 ――どうして自分のことになると、ああも鈍感になるのでしょう?


 異世界まで追い駆けていかなくては伝えられなかった自らの気持ち、そしてまだ伝えられていない王女様・女格闘家・踊り子・女戦士・殺し屋・村娘・宿屋の女将・居酒屋の看板娘・騎士団の男の娘・遊び人・僧侶見習い・占い師・吟遊詩人・湖の主・森の聖霊、その他etc. etc.の気持ちに思いを馳せたキーラは、元の世界で待っている修羅場の数々々々々々々々を想像し……大きく一つ黒空を仰いで、目の前にあるエスラゴとヴラミルの関係に現実逃避した。


 もちろんツォッポの女関係など知らないエスラゴは、それにヤキモキしての八つ当たりというキーラの行動理由も分からない。いや、普段の彼女なら推測程度は出来たのかもしれないが、ヴラミルへの想いに翻弄されている今はそれも叶わない。よって顔を背けつつ思わせぶりに溜息を付く、というキーラの行為を嘲弄と解し、


「言いたいことがあるんなら、はっきり言ったら? そういう風に勿体ぶられるほうが、ずっと不愉快だわ」

「え、あ、ごめんなさい! それでは、えぇっと、

 ――エスラゴさんは、もっと素直になったほうがいいと思います!」


 凄んでみせたエスラゴに恐縮したキーラは、申し訳なさそうに――けれどエスラゴの気持ちには微塵も配慮することなく、自身の思っていたことを堂々と述べた。


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