03
「私からすれば、姫様のほうがよほどすごいと思われます————姫様は私などにも意志を与えてくださいましたし、それに何より王族としてのお役目を立派に果たしておいでですから」
エスラゴを諌めるふりをして絞り出した自身の声が、ヴラミルには酷く冷たく聞こえた。
王族――ルランド王国の第二王女。エスラゴが持つ、義務と切り離すことのできない肩書。それに触れることでヴラミルは、エスラゴが自身に抱いている想いを遠回しに拒絶する。ヴラミルの意図を理解してか、或いは分からずとも感じてか、エスラゴが言を詰まらせ俯く。その様子は、まるで叱られた子供のようで……
いや実際にエスラゴは、まだ子供と呼ぶべき年齢なのだ。ならば自分の役回りは、『王族の義務』という名のエゴを押し付ける身勝手な大人、という所だろうか。
自身の汚さを自覚して――あるいは何一つ自覚せず――エスラゴをじっと見詰めるヴラミル。その視線に促されるようにほんの僅かに上げた頭を、けれどエスラゴは横に振る。
「……そんなこと、ないわ」
「いいえ、ございます」
「無いのよ!」
ヴラミルの否定に、意地になって言い返すエスラゴ。駄々にも聞こえるその声には、偽り固めたヴラミルの心理回路すら溶かしかねない熱がある。
「だって私のしていることなんて、この疑似空間にずっとへばり付いているだけよ。時間ばっかり無為にして、何かを成すわけでもなく、黴が生えたみたく古臭い伝承に拠って唯々待っているだけ。そんな『お役目』に、価値も意味もあるなんて私には思えない」
「価値はございます。勇者様のもたらす奇蹟によって、魔王に侵されている王国を救い得るならば――」
「ならその肝心の勇者様は、一体何処で何をしてるの? いつまで待っても、影も形も見当たらない。もしもこのまま、ずっとやって来なかったなら!」
千々にも乱れた感情のまま、エスラゴの声は嵐のように荒れ狂う。
「それでも、意味はございます」
対照的なヴラミルの口調は生じた動揺に砥がれるように、ますます冷たく澄み渡る。
「勇者様がやって来なければ、ルランド王国は魔王によって滅ぼされます。その過程では、恐らく多くの民の命が失われることになるでしょう」
分かり切っている、けれど口にするには残酷すぎる事実。それを滔々と述べたヴラミルに、声を僅かに震わせながらも張り合うようにエスラゴは頷く。
「ええ、死ぬわね。たくさん、無駄に」
「けれど姫様が勇者様を待ち続ければ、彼らの死は無駄ではなくなります――勇者様を召喚するための時間を稼いだ、という意味を与えることが出来ます」
エスラゴの声に敢えて重ねた、致命的ともいえる言葉。込めるのではなく露わにした意図に、エスラゴが気付かなければいいなんて、思ったりするはずがないとヴラミルは己を規定して――
真っ直ぐエスラゴを見詰めたまま微塵も揺るがぬ彼女の瞳に、エスラゴは既に蒼みがかっていた顔を完全に蒼白にした。
「なに、よ。それ」
唇から、掠れるような音が漏れる。視界が揺れ、ヴラミルの顔を見返すことが叶わない。常は頼もしいと思っていた、彼女の冷静さが恐ろしい。
「魔王に殺される人々の死を、『必要な犠牲』だと肯定する――そんなことのためだけに、私はここにいるっていうの?」
――そんなことをさせるためだけに、ヴラミルは私と一緒にいるの?
震える声で口にした問い、そして口にはできなかった疑問。後者には気付く素振りすら見せず、ただ前者に対してのみヴラミルは首を横に振る。
「いいえ。もちろん一番の目的は、姫様が勇者様と共に王国へお戻りになることです」
お二人が世界をお救いになれば、死ななければならない人々の数も減らすことが出来ますから。そう言ったヴラミルの微笑みがあまりにもいつも通りで、故に彼女の言葉の意味にエスラゴは顔を歪ませた。
そう、ヴラミルが望むのは、召喚されるはずの勇者様とエスラゴによる世界の救済。それは誰もが祝福するめでたしめでたしの物語で――けれどそのフィナーレの場面に、きっとヴラミルは必要ない。
「ャ……」
顔が俯き、肩が震え、嗚咽とも慟哭とも聞こえる声がエスラゴの唇からこぼれ落ちる。
「イヤよ、そんなの」
「――姫様!」
エスラゴを咎めるように、鋭い声をエスラゴが上げる。彼女の酷く驚いた顔を見て初めて、ヴラミルの願いを拒絶している自分自身にエスラゴは気付く。
「無理よ。出来ないわよ、そんなこと」
気付いて、分かって、理解して、それでもエスラゴは止まらない。
むしろ決壊したダムのように、内に抱え込んでいた想いを口から溢れさせる。
「私には、世界なんて救えない。救いたいとも、思えない」
「ですが姫様がお諦めになれば、ルランド王国とそこに暮らす人々は、」
なおも続けようとするエスラゴを、遮ったのはヴラミルの言葉。今までになく強い口調のそれは、実質的には脅迫だ。
エスラゴが勇者様を召喚できなければ、ルランド王国はきっと滅びる。その国民の多くは死に、残りも困窮に苛まされ――しかも彼らの苦しみは、何の意味も無いものとなる。
ヴラミルの言うことは、いつも正しい。そこに疑問を挟む余地は、微塵も存在しはしない。けれど――
「知らないわよ、そんなコト」
彼女の正しさを肯定したうえで、それでもエスラゴは首を振る。
「国も、民も、私には全然分からないもの。ましてや世界なんてもの、本当はこれっぽちも理解なんて出来ていないもの」
それは、絶対に言うつもりなんて無かったこと。
けれど心の奥底では、ずっと考えていたこと。
「だから、もう! 国民だとか国家とか世界だとか、そんなモノを私に背負わせないで!」
「イヤです」
恥も外聞も全て打ち捨て、曝け出した胸の内――エスラゴによる悲鳴にも似た懇願を、ヴラミルは躊躇なく拒否した。
そう、ヴラミルがしたのは否定ではなく拒否。事実に基づく訂正ではなく、彼女自身の意思の表明。それは本来、人格プログラムとして設定されている役割とも、あるいは扮しているメイドとしての役目とも、相容れることのない行為である。
けれどそれが意味することに、気付く余裕がエスラゴには無い。拒まれたというそのことに胸を深く貫かれた彼女には、それ以外のあらゆる事象は何の意味も持ち得なかった。




