02
「だいたい勇者なんて、本当に来るの?」
「伝承では、来ることになっています」
どこか投げやり調子なエスラゴの問いに、いつも通り答えるヴラミル。
「魔王現れ、闇が世界を覆う時――」
「召喚に応えし勇者の光、闇を切り裂き大地を照らす?」
それは、もう数え切れぬほど繰り返し聞かされた内容。
「勇者様召喚の魔法と共に、語り継がれてきた伝説です」
「そんな御伽噺に託されるなんて、世界っていうのも随分と薄っぺらなものなのね」
「東方の賢人が云うには、人一人の命よりも軽いものらしいですから」
生命の大切さを説いた美談として語られているエピソードを、ヴラミルがサラリと口にして、
「………………ああ、あったわね。そんな話も」
この場の話の流れでは皮肉にしかならない物言いに、エスラゴは思わず苦笑。駄々を捏ね続ける気も削がれ、何かを懐かしむような柔らかいまなざしをヴラミルに向ける。
「前は定期杓子な反応しかできなかったのにね」
「なにか?」
「ううん、ヴラミルも変わったなーっておもって」
「変えたのは姫様ですよ」
「違うわ、私は変わることができるよう設定を弄っただけ。
実際に変わることを選択したのはあなた自身でしょ」
そうなのでしょうか、と呟いて、考え込むヴラミル。エスラゴは彼女を微笑ましげに、けれど確信をもって見つめる。
訪れる沈黙。言葉の無い、穏やかな時間。それは間違いなく心地良いものでありながら、何となく気恥ずかしくなったエスラゴはヴラミルから目を逸らす。
誤魔化すような、呪文詠唱。掌握した霊素から変換した炎弾を、エスラゴは自身の周りで踊り戯れさせる。それに気付いたヴラミル、口を開きかけるものの、僅かな躊躇いの後で何も言わずに小さく溜息。その息が吐き出された音を耳敏く聞きつけたエスラゴは、新たに生み出した氷弾で操っていた炎弾を相殺する。
「ねえ、」
爆音に振り向いたヴラミルが、忠言を発するのを制して問う。
「本当に、ここなのかしら?」
「何がでしょう?」
「召喚された勇者が、現われる場所」
「伝承によれば、木の前ということですので」
「木の前?」
「はい、木の前です」
ここ以外にあるのでしょうか、というヴラミルに促され、周りを見回すエスラゴ。確かに見渡す範囲にある木は、先ほど焼いたこの一本しかない……というか視線の届く範囲には、エスラゴとヴラミルとこの木以外には何もないのだが。
「時空自体を間違えている可能性は?」
「ありえません」
「どうして? 他の並行世界になら、当然木くらいあるんじゃない?」
「ですが、私を造り出したのはこの世界です」
「生み出した、でしょ」
「同じことでは?」
「違うわよ」
ヴラミルの問い掛けを、きっぱりと切り捨てる。
自身の呼称とは異なって、この点についてエスラゴは一切妥協する気はない。
「とにかくつまり、ヴラミルの身体はこの世界と同じ要素で出来ているってことね」
「はい。ゆえにこのようなことも――」
頷いたヴラミルが右手を掲げ、何事かを唱える。呪文とは全く異なるロジックで構成されている、疑似空間への干渉コード。ヴラミルの権限が、空間の存在を解きほぐして書き換える。
「――可能です」
そう言ったヴラミルの手が差し出したものに、エスラゴはあからさまに顔を顰める。
疑似空間から再構成して取り出されたその一冊の本の題名は、『ルランド王国史・序説』。ヴラミルが嫌いな歴史学の教本である。
「私の本来の――いえ、元々の役割は、勇者召喚の儀式補佐にあります」
教本を火炎魔法で灰にしつつエスラゴはヴラミルを睨み付け、その意に気付いたヴラミルが発言を僅かに訂正する。
「体の構成や保有権限設定も、異世界接続用の疑似空間に合わせて行われています。よって勇者が召喚されるのは、私と同じ要素を持つ此の世界の此の木で間違いありません」
「ふーん、この林檎の木がねぇ」
疑わしげに呟くエスラゴだが、そこに含まれていた単語にヴラミルが首を傾げた。
「リンゴ、なのですか?」
「えっ?」
「伝承には、それが何の木かまでは記してありませんが……」
「ああ、でも多分林檎でしょ、これが実るんだもの」
動揺を素早く隠したエスラゴが、ポケットから取り出したのは紅い果実。
おもむろに一齧りして、
「ヴラミルも食べる?」
咀嚼しつつ尋ねる。
「はい、ではいただきます。
ですが姫様、物を口に入れた状態でお喋りになるのはいかがなものかと」
「いいじゃない。ヴラミルしか見てないんだしさ」
辟易した口調で返しつつ、ヴラミルに気付かれぬよう息をつく。この木に、その実に、エスラゴが施している魔術――それが意図していることを、ヴラミルに知られるのは少し怖い。
自身の怯懦を内心でだけ嘲って、エスラゴは紅い果実を無造作に放る。それを見事にキャッチしたヴラミルは、エスラゴに倣い口にする。
「ッア!」
「いかがなされました、姫様?」
何ごとかに気付いたように息を呑むエスラゴに、訊ねるヴラミル。
だがエスラゴは、実と同じように赤くした顔を勢いよく横に振うだけ。
「なんでもないわ!」
「そう……ですか?」
腑に落ちぬものを感じながらも、頷いたヴラミルは紅い実を咀嚼する。
「か、カンセツ……」
エスラゴの呟きを聞き逃さず、口の動きを止めたヴラミルがほんの僅かに首を傾げる。
――関節痛、でしょうか? ちょうど育ちざかりの時期ですから、成長痛の可能性もありますが……。
彼女が漏らした懸念は完全に的外れなもので、ほっと息を付いたエスラゴは真っ赤な顔をツィと背けた。