02
「本当に凄いわね、ヴラミルって」
身繕いを終えたヴラミルへ、漏れだしたエスラゴの呟き。純粋な賞賛のみが込められたその声に、袖口の折り返しを整えていたヴラミルは首を傾げた。
「? 何がでしょう」
「そりゃ、容貌もスタイルも髪質も」
ヴラミルの戸惑いを逆に叱責するように、若干厳しくした視線でエスラゴがヴラミルを睨む。
「あと、胸とか胸とか胸とか」
――いえ、別に大事なことであっても三度も言う必要はないのでは?
自然と浮かんだ感想を、しかしヴラミルは感情回路の内に仕舞い込む。何故か姫様は胸部のトップ‐アンダーの差に奇妙なこだわりを持っていて、それを迂闊に指摘すれば容赦なく炎弾を放たれることをヴラミルは経験で知っていた。
「いくらプログラムだからって、不公平じゃないかしら。そうだ、魔法を使えば私だってヴラミルみたいに――」
「そのような魔法の無駄な行使は感心致しません」
「無駄なんかじゃないわよ。ヴラミルだって、こんな貧相なモノを見てても面白くないでしょう?」
恨めし気な上目づかいでヴラミルを睨んだエスラゴが、両手を自身の胸に当てる。慎ましやかな二つの膨らみはあっさり掌に収納され、収まってしまったという事実がエスラゴの頬を膨らませる。
「私だってどうせ見せるんなら、メリハリが効いた身体の方がいいもの」
「メリハリ、ですか?」
不貞腐れて見せるエスラゴに、懐疑を呈するヴラミル。
「なによ」
「いえ。ただ全体バランスを崩してまで体躯の一部を増強する必要性はあるのでしょうか」
「そーいうのを、持てる者の傲慢っていうのよ! 何もしなくてもスタイルを維持できるヴラミルには分かんないかもしれないけどさ」
ヴラミルの胸を睨み付けたエスラゴの八つ当たり。それをヴラミルは慣れた様子で、申し訳なさそうにやんわりと躱す。
「私の体型は自律型プログラムの制御下にありますので――ですが姫様も、体型のバランスという点では決して劣っていないと思われますが?」
「そ、そうかしら?」
「はい。身長や体重、骨格構造から逆算した理想体型との誤差は、現状で2%程度に抑えられています。ゆえにあえてそれを崩すことは、望ましい選択とは思えません」
思わぬ返しに声を裏返すエスラゴへ、ヴラミルはあくまで穏やかに、それでいて畳み掛けるように言を紡ぐ。
「加えるならば私の個人的な見解としても、姫様は今のままで十二分に素敵だと思いますし――」
「ホント⁉」
「はい。それに何より勇者様は、そのような些細なことを気になさるようなお方ではないはずです」
上気した頬と弾んだ声が示唆していたはずのエスラゴの機嫌が、ヴラミルの言葉で急転直下、最底辺にまで転げ落ちた。
「……なんでそこで、勇者様が出てくるのよ」
呑み込んだ息に続いて漏らされた呟きは、魔力を凝縮して造られる雹剣よりも硬質で。言葉に攻撃魔法が続かないことが、彼女が真に怒っているという事実をヴラミルに悟らせる。けれど毅然とヴラミルを睨み付けているエスラゴの眼差しは、一言謝ってさえくれればそれでいいとも告げていた。
「なんで、と言われましても。勇者様を待つことが私たちの目的では?」
エスラゴの望んでいることを完全に承知したうえで、ヴラミルは何も理解していないという様態を装う。
「私はあくまで儀式補佐用のプログラム人格でしかありませんから、いらっしゃった勇者様をお迎えするのは姫様の御役目です」
「それは、そうだけど……でも、」
ヴラミルが口にした事実にエスラゴは血色ばみ、けれど言おうとした何かを少し迷って結局呑みこむ。
「でもいくら待ったって、勇者様は全然来ないじゃない」
代わりに吐き出すいつもの不満は、もう数百数千、数万回と繰り返してきた台詞。けれどいくら不貞腐れたふりを取り繕っても混じる不自然さは捨てきれず、それをヴラミルが見逃さないだろうこともエスラゴは知っていた。
「もう諦めて、どっか行っちゃわない?」
「だめです」
「どうして」
「勇者様を待たなくては」
「……ちぇっ!」
いつも通りのやり取りを交わし――けれどその後の沈黙は、いつもと違ってどこかちぐはぐだ。言葉も何もないはずなのに空気が何故か張っていて、迂闊に触れれば切れてしまうような冷たさを感じさせる。
「やっぱりすごいわね、ヴラミルは」
静寂の心地悪さに、先に耐え切れなくなったのはエスラゴ。責めるように、拗ねるように、或いは媚びるように言う。
「そうでしょうか?」
先ほどのやり取りを思い出し、自身の胸を見下ろすヴラミル。
「確かに姫様と比べれば、若干大きいとは思いますが」
「ち、違うわよ! 今のはスタイルのことじゃなくって――」
目を丸くしたエスラゴが、首を勢い良く横に振る。その慌てた様子が可愛らしくて、ヴラミルはエスラゴの否定に気付かぬふりをする。
「ですが形という観点から見るならば、姫様のモノのほうがよほど整っていると思います」
「――って、ヴラミル!」
わざとやっていることに気付かれたのだろう、強くした声でエスラゴが睨む。どうかされましたか、という表情で首を傾げたヴラミルに、ほんの一瞬戸惑って、けれどすぐにからかわれていることを理解して頬を膨らませる。今度は本当に不貞腐れたエスラゴに、ヴラミルは気付かれぬようほっと小さく息を溢した。
「それで、何がでしょうか」
「え?」
「スタイルのことでないならば、すごいというのは……」
「ぁっ、ああ、それね」
いつもの空気を取り戻したことを確認するように、慌てつつも頷くエスラゴ。それに微笑みで応えつつ、僅かに漂うぎこちなさの残滓にヴラミルは素知らぬふりをする。
「改めて考えてみて、ちょっと感心しちゃったのよ」
「?」
「だってヴラミルっていっつも冷静で、さっきみたいに我儘言ってもうまく諭してくれるじゃない。それに比べたら私って、ヴラミルに頼ってばっかりだなーって」
「そんなことは――」
「あるのよ」
ありません、というヴラミルの言葉を、強引に遮りエスラゴが言う。
「もしもあなたがいなかったら、きっと私は何にもできないもの」
強い自嘲とヴラミルへの信頼が混じり合ったその声は、何かを乞うているようにも聞こえて。流すように向けられた双眸の熱が、諫言を発しかけていたヴラミルの口を閉じさせた。
いつの間にか、姫様はこんな表情をするようになったのだろうかと、分かり切った問いを抱く。そう、ヴラミルは知っていた――決して正面からではないが、エスラゴが自分に熱い視線をずっと向けていたことを。その意味も理由も完全に理解しておきながら、ヴラミルは知らぬ存ぜぬを貫き通し続けてきた――微かにくすぐったい彼女の視線が、たまらなく心地良かったから。
――けれどなぜ今日の姫様は、こんなにも積極的なのでしょう。
気付かぬふりをしている私を、まるで糾弾するかのように。
それが事の本質でないことを知りながら、ヴラミルは逃げるように考える。常にエスラゴを見てきた彼女は、その疑問への回答も当然のように分かっていた。
――恐らくきっと絶対に、昨日のキーラさんのせいですね。
彼女が去り際に囁いた何か、あれが姫様を焚き付けたのでしょう。
ヴラミルが導いた結論は全く持って正しいが、同時に少しも重要ではない。分かり切っているその事実をけれどヴラミルは認めずに、エスラゴには決して見られぬよう唇の裏を強く噛む。
――そう、今日の姫様のコレは、ほんの一時の勘違い。
ツォッポに恋するキーラさんに当てられて生じた錯覚です。
何よりも拠っていたはずの自身の分析すら偽って、捏ね造り出した事実を元にヴラミルは判断する。何故ならエスラゴは姫様で、勇者様の傍らを共に歩くべきお方だから。そんな彼女の隣に、自分のような存在が位置し続けることは許されるはずがないから。
「私からすれば、姫様のほうがよほどすごいと思われます————私などにも意志を与えてくださいましたし、それに何より王族としてのお役目を立派に果たしておいでですから」
エスラゴを諌めるふりをして絞り出した自身の声が、ヴラミルには酷く冷たく聞こえた。




