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「それでは、失礼いたします」

「え、ええぇぇ!?」


 エスラゴの悲鳴にも似た声が響き渡ったその時には、既にキーラの姿は疑似空間から消えていて。よって後に残ったのは、キーラが明かした事実のせいでヴラミルをまともに見れないエスラゴと、『キーラに耳元で囁かれたせいで顔を赤らめているエスラゴ』の様子に首を傾げるヴラミル、そして相も変わらずに立っている一本の『林檎』の木だけ。


「先ほどのキーラさんは何を――姫様?」


 エスラゴの様子を訝しがりつつも普段通りを装うヴラミルは、だが掛けた声への反応で改めてエスラゴの異常に気付いた。

 低く唸るように呟いて、目を合わせることを頑なに避けるエスラゴ――その原因が、もう此処を去っていったキーラにあることは明らかだ。元の世界では最高位の魔法使いだったであろうキーラ、彼女の有する知識と経験は自分など足元にも及ばぬもので、彼女との会話に興じるエスラゴも満更でもない様子だった。その時のことを思い出し、そして頬を赤らめている現在のエスラゴを改めて眺め、ヴラミルは感情回路の小刻みな震えを自覚する。人間でいうならば嫉妬や焦燥に当たるそれは、適切な行動選択を阻害するものだ。ゆえに自身の挙動を慎重に律しようとしたヴラミルは――


「姫様、いかがなされましたか?」


 既に感情が命じるまま、エスラゴを問い詰めている自身に気付いた。


「なんでもないわ」

「ですが――」

「なんでもないって言ってるの!」


 珍しく食下がろうとするヴラミルを、エスラゴは無下に振り払う。彼女は彼女で只今絶賛混乱中、自分自身に翻弄されて、常ならぬ反応を示しているヴラミルにさえ気付けない。


 ――だって、だってだってヴラミルが、私のことを『想って』くれている? もちろん『想う』にも色々あるけど、でもあの文脈から普通に考えればキーラが意図する意味は明らかで、しかもその前にも彼女はヴラミルの態度を『惚れ薬によって操作された結果』だって勘違いしていたわけで……ということは、それってつまりそういうことだと理解してもいいのだろうか? 期待してしまっても、構わないのだろうか? でも私に、期待する資格なんてあるのだろうか?


 歓喜と羞恥と懸念と怯懦と、その他さまざまな感情が複雑怪奇に混ざり合い、結果エスラゴの状態は混乱というよりもむしろ錯乱。どうしたらいいのか分からなくて、何をやっても間違いな気がして、それが怖くて仕方なくて、己を囲む全てを振り払うように激しく首を振る。


「――姫様」

「ああ、うん、分かってるわよ。だから……ええと、何だっけ?」


 水浴びした後の仔犬を連想させるエスラゴの奇行に再度呼び掛けるヴラミルだが、上の空なエスラゴからの返答は全く意味不明。


「いえ、ただ頬が赤いようなので、いかがされたのかと思いまして」


 思わず余計な情報を加えてしまったヴラミルの言葉に、


「え? 頬が、赤……」


 その余計な部分だけを復唱したエスラゴは、顔から湯気を立ち上らせつつフリーズする、というある意味では非常に分かりやすい(そして今のヴラミルには、非常に誤解を与えやすい)反応を示した。


「べ、別に赤くなんてないわよ! それにもしも仮に万が一、赤くなっていたとしても、それはヴラミルとは何の関係もないんだからね!」

「それでは姫様は、やはり先ほどのキーラさんのことを……」

「? なんでそこでキーラが出てくるのよ! もう――ヴラミルったら訳分かんない!」

「それは――私では姫様をお支えするのに力不足ということでしょうか」

「だから! なんでそうなっちゃうわけ⁉」

「私のような『訳の分からない』ものよりも、あのキーラさんのような正当な魔法の使い手のほうが姫様には相応しいのかと」

「そんなこと、一言も言ってないでしょうが!」


 ヴラミルの固くした声に、エスラゴは態度を一転させて激怒の情を見せる。コロコロと移り変わる態度と、真っ直ぐに表わされる感情。それらはヴラミルにとって、慣れ親しんだ好ましいもので。だから失う可能性――あるいはもともと自身のものでもなんでもないという当たり前の事実――に怯みつつ、その思いを完全に排除した普段通りの声で問う。


「では姫様は、私のことをどのようにお考えなのでしょうか」

「ヴラミルのことを、どんなふうに、って……」


 思い掛けない直球の問いに、言葉を詰まらせるエスラゴ。答えが見付からない時の癖で視線がヴラミルを求めるが、縋ろうとしたエスラゴの瞳を逆にヴラミルは見つめ返す。その眼差しに込められた悲しそうな色に、胸をきつく締め付けられたエスラゴは完全に狼狽して――


「あの、えーと、だから、その……うん、ちょっと頭を冷やしてくるわね!」


 形振り構わず、この場からの逃亡を図った。


「は? ……って、なりません」

「なんでよ!」

「それは――そう、勇者様を待たなくては……」

「いいじゃない、ちょっとくらい。どうせもう今日は来ないわよ」

「ですが、今日来ないことを知らせてくれる少年もまだ来ておりません」

「そんな都合のいい存在なんて、お芝居の中にしか登場しないわ」


 ヴラミルの制止を振り切って、エスラゴは唱えた魔法で飛翔。動揺を露わにする彼女を、見上げたヴラミルは反対に自身の平静を取り戻した。

 よくよく落ち着いて見るならば、エスラゴが示している動揺は此処にいるヴラミルに向いている。それをキーラへのものだと誤認した原因は、キーラが去り際に見せた行動とそれに続いたエスラゴの態度。だがツォッポに思いを寄せているキーラがエスラゴに言い寄るはずもなく、よって恋に当てられたようなエスラゴの行動の原因は――


「分かりました。ですが代わりに一つ、お教え戴けないでしょうか」

「なによ?」

「キーラさんは去り際に、何を姫様に言われたのでしょう?」

「ひゃぃっ! な、なにをって……」


 何気なくを装った質問に、慌てふためくエスラゴ。その所作の端々には、間違いなくヴラミルへの期待と戸惑いが存在する――自身が抱く感情は、姫様にだけは悟られぬよう巧妙に隠していたはずなのに。予期せぬ事態に眉を顰め、これからのことを考えたヴラミルは小さく溜息を付く。けれどその息には、エスラゴがキーラに特別な感情を抱いてはいないということについての安堵も確かに混じっていた。


「し、知らない、覚えてないわよ、キーラが言ったことなんて!」


 ヴラミルの安堵にもちろん気付く訳もなく、捨て台詞めいた言い訳を残したエスラゴはそのまま逃亡。魔法で空を駆ける彼女の背中からは、困惑と羞恥の情動が見て取れる。それはたとえ抱いていたとしても決して表わされはしなかったもので、先ほどまでヴラミルが示していた焦燥もエスラゴにとっては同様だろう。つまりそれは、キーラが仕掛けた悪戯が完全に成功したということで、だからきっと、これまで通りの日常を維持することはもう叶わない。

 傍迷惑な姫様の友人が最後に見せた笑顔を思い出し、ヴラミルが恨めし気に見上げた空は相も変わらず暗黒色。


「出来るだけお早く、お戻りください――姫様」


 その黒空に紛れたエスラゴの影を見遣りつつ、ヴラミルはそっと呟いた。



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