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「あの……林檎、あるけど、食べる?」

「え? あ、はい」


 話題転換の強引さに釣られて持ち上がったキーラの顔が、エスラゴの右手に向けられる。懐から取り出されたそれが握るのは、拳大の紅い果実。エスラゴが林檎と言い張るその物体を受け取って、矯めつ透かしつするキーラ――零れ掛けた涙を光らせていたはずの彼女の瞳は、エスラゴの意図とは全く違う方向で聡明な輝きを取り戻していた。


「でもこれ、林檎じゃないですよね」

「え……っぁ!」


 先ほど披露した心霊魔法とキーラの優れた魔法技術、そしてキーラが手にした『林檎』。それらの組み合わせが意味することを遅まきながら悟ったエスラゴを、キーラの瞳が興味深げに覗く。その視線が『林檎』→ヴラミル→エスラゴ→もう一度『林檎』と移動して、


「経口摂取型にすることで持続性を高めた心霊魔法? でもこの構築式は――ああ、作用する対象を限定しているんですね。対象となっているのはヴラミ……むぐ?」


 真剣な表情で呟くキーラの口を、エスラゴの右手が素早く塞いだ。


 そのままキーラの肩をグギュムと掴んだエスラゴは、抱え込んだキーラを引きずってヴラミルから距離を取る。次いで覗き込んだキーラの瞳から、己の意志を伝達――エスラゴの無言の確認に、口を塞がれたままのキーラがコクコクコクと頷いた。


「――プハッ! も、申し訳ありません。つい術式に見入ってしまって……」

「うん、分かっている。分かっているけど……このことはヴラミルには、ね」


 キーラにだけ聞こえるよう、小声で囁くエスラゴ。けれど彼女の懇願に、何かを理解したようなキーラは何故か浮かない顔。


「つまりこの果実って、心理魔法の呪言で加工した霊素を果肉に埋め込んでいるんですね」


 摂取後も体内にとどまる食物に魔法を仲介させられれば、対象に干渉する期間――しいては魔法効果の持続時間も大幅に増伸する。


「しかもここの式の構造だと、ヴラミルさん専用に特別調整したオリジナルの心霊魔法――」

「やっぱり、そこまで分かっちゃうのよね」

「そういうのって、あんまり良くないと思います!」


 苦笑を見せたエスラゴを、キーラは睨み付ける。エスラゴに聞こえないようにと顰められたその声ははっきり険を含んだもので、彼女の反応に一瞬の戸惑いを浮かべたエスラゴは、しかしすぐに険しさを宿した瞳でキーラを見詰め返した。


「良くないって――でも、仕方ないじゃない」

「相手に自分の勝手を強要することが、仕方ないことなんですか?」

「そうよ、ヴラミルを失うなんて私は耐えられないもの。あなただって、同じじゃないの?」


 ツォッポを失うことを認めなかったからこそ、こんな疑似空間にまで追い駆けてきたのではないのか。だがそんなエスラゴの言葉にもキーラは首を横に振り、


「それでも私は、こんな惚れ薬みたいなものに頼ったりしません」

「わたしだっ、てっ、……って、なんで惚れ薬?」


 キーラの口から出た予想外の言葉にエスラゴは目を見開いた。


「だって『林檎』の実を介した心理魔法で、ヴラミルさんの、えっと、その、あ、愛が、エスラゴさんに向かうようにしている――んじゃ、ないんですか?」

「ち、違うわよ!」


 キーラの言葉を、血相を変えて否定するエスラゴ。というか、『愛』って、そりゃいっそそうしてしまいたいと思ったことはないでもないけど、でもヴラミルが私をそんなふうには見てくれていないことくらい、彼女を見ればすぐに分かることじゃない!


「この心理魔法でやってるのは――感情系統の論理式調整とシステム予備機巧の構築よ」


 どこか不貞腐れた様子でエスラゴが呟いた魔法プログラムについての用語に、「あっ」と小さく声を上げたキーラが慎ましげな口元を押さえた。



 勇者召喚魔法に付属するサポート用魔法プログラム、それが少し離れたところからエスラゴとキーラを怪訝気に見つめているメイド少女の正体だ。彼女の役割は、勇者召喚儀式の中核を担うエスラゴの教育及び補佐。主にメンタルケアの観点から人型を採用してはいるが情動に類する機能は持たず、ただエスラゴの挙動に機械的に反応する――少なくとも、最初期のヴラミルはそういった存在だった。

 だけどそんな彼女に、物心が付き始めた頃のエスラゴは満足できなかった。だからほんの思いつきで、覚えたばかりの心理魔法を彼女に対して行使した。もちろん当時の拙い魔法が十分な成果を上げられるはずもなく、その時ヴラミルに宿ったのは粗悪な感情の紛い物。それでも彼女が示した反応はそれまでとは一線を隔するもので、だからエスラゴはその先を見てみたいと強く望んだ。

 心理魔法を徹底的に磨き上げ、感情回路を自作した。それらの技術をヴラミルに適用し、試行錯誤を繰り返した。数えるのも馬鹿らしくなるくらいたくさん失敗もしたけれど、諦めることだけはしなかった。他にすること、出来ることなど此の疑似空間には無かったし、何より時間だけは飽き飽きするほどたくさん与えられていた。

 終わりの全く見えない路程。相談する者のいない、一人きりでの暗中模索。けれどその孤独であるという事実が、エスラゴを前へと推し進めた。一歩ずつ、酷くゆっくりではあるもののエスラゴの努力は実を結び、ヴラミルに情緒を、心想を、そして自我を芽生えさせた。やがて一本の木と一体の魔法プログラムしか存在しなかったこの疑似空間で、ヴラミルはエスラゴにとっての無二の『他者』へと成長し――同時にその頃には、エスラゴは彼女に恋をしていた。

 笑ってしまいたくなるくらい陳腐で、吐いて捨てたくなるくらい背徳的な話。しかも極めつけに最悪なのは、ヴラミルに施した心霊魔法の副作用。長年に渡って徐々に形成されたヴラミルの感情系統は、エスラゴ自身も全体像を把握できないほど入り組んでいて。もしも『勇者召喚の結果としての、疑似空間からの脱出』なんて刺激が加えられた場合、どこにどんな不具合が生じるか予想もできない状態だ。けれどそのことを、ヴラミルに知られるのは怖くて――だからエスラゴはヴラミルには内緒で、『林檎の実』を介した魔法による彼女の調整・改修を行っている。



 ヴラミルの事情を説明され、自身の早とちりを悟ったキーラは恥ずかしげに俯いた。


「すいません! 私、すっかり誤解して――」

「いいのよ、別に。同じくらい最悪だってことは変わらないんだし」

「そんなことは――ない、んじゃないでしょうか」


 なおも入るべき穴を探して視線を左右に彷徨わせつつも、キーラはエスラゴの言葉を否定する。


「『林檎の実』の構築式、改めてみるとすごく緻密で細部まで考え込まれていると思います。こんなすごい魔法をヴラミルさんのために設計できるんだから、きっと」

「そんなの、当然じゃないの」


 きつい視線と荒げた声でキーラの言葉を遮って、エスラゴは首を横に振った。


「そもそも、全部私のせいなんだもの」

「え?」

「だってそうでしょ? 私が感情系統なんて組み込まなければ、エスラゴを構成するプログラムがこんなに複雑になることはなかった。そうであれば感情回路の誤作動も、現実世界への回帰時の論理破綻だって心配する必要はなかった。ね。悲劇のヒロインぶって、ヴラミルが居なくなる可能性にガタガタ震えて脅えてみても、原因はみんな私自身にあるじゃない」

「……そうやって過剰に悲観的になるのも、十分『悲劇のヒロイン』ぶることに該当すると思いますけど?」

「分かってるわよ、そんなこと!」


 キーラの思わぬ冷静な指摘に意表を突かれたエスラゴは、言葉を詰まらせ頬を染め、プイッと顔をそっぽに向ける。彼女を覗き込んだキーラは、どこか先輩風を感じさせる穏やかな笑みを浮かべた。


「……なによ?」

「いいえ。ただヴラミルさんのこと、本当に大好きなんだなー、って思って」

「そんなの、当たり前じゃない」

「それにヴラミルさんのほうも……」

「え?」


 言葉の意味を理解できずに眉を顰めたエスラゴから、キーラは視線を奥へと移す。二人から少し離れたそこでこちらを窺っていたヴラミルが、慌てて顔を明後日に向けて――けれどエスラゴに近づく不届きものを警戒すべく、横眼でキーラを覗き見る。そんなどう見ても分かりやすいヴラミルの態度に笑いを噛み殺したキーラは、再び視線をエスラゴに戻し……何もわかっていない風に疑問符を浮かべている彼女へ、フゥとわざとらしい溜息を吹き掛けた。


「な、なによ!」

「いいえ、なんでも。ただ、どうしてこう自分のことには鈍感な人が多いんだろうなー、と思っただけです」

「それって、ツォッポのこと――」

「だけじゃ、ないですよ」


 呆れ顔で首を横に振るキーラだが、ツォッポだけじゃないとするなら他に誰のことなんだろう? 首を捻ったエスラゴはけれど答えを見付けられず、何かヒントでもないものかと視線を自然とヴラミルに向ける。数歩退いた位置で二人を窺うようにしていた彼女は、敵意にも似た鋭い視線でキーラのことを睨んでいた。


「あまり余計なことを、お話になるのはご遠慮いただきたいのですが」

「余計なこと、だったでしょうか?」

「はい、私はそう思います」


 はっきりと、断言するヴラミル。いつもより少し強めの語調は、慌てているようにも聞こえる。けれど、一体何に対して? 浮かべた疑問の回答をまるで示唆でもするように、含み切れなかった笑いがキーラの口元から洩れる。


「愛されているんですね、エスラゴさんって……少し羨ましいです」

「え?」


 小声の呟きを聞き返したエスラゴに、はぐらかすように微笑むキーラ。


「確かにここにいたのでは、エスラゴさんにとって余計なことをまた口にしてしまいそうですし――それに何より、私はお邪魔でもあるようですから……そろそろ、御暇(おいとま)させていただこうと思います」

「えぇ、もう行くの?」

「はい。お二人のことを見ていたら、私も早くツォッポさんに会いたくなっちゃいましたから」


 まだまだ彼女から聞きたいこと、学びたいことがたくさんある気がするエスラゴは、けれどツォッポの名を呼んだキーラの笑顔に、引き留めの言葉を仕舞い込む。それでもどこか不満気な表情が浮かぶのは隠し切れず、不貞腐れ顔のエスラゴ。そんな彼女をチラチラと横目で覗きながらも、表面上は平静を維持しているヴラミル。二人を交互に見つめたキーラは、そうですね、と小さく頷き――ヴラミルの視線を確認しながらエスラゴの耳元へと口を寄せる。


「最後に、老婆心ながらのアドバイスですが……」

「え?」

「私がこの疑似空間に来たとき、お二人への攻撃をどうして中止したのかご存知ですか?」

「そりゃ、『私とヴラミルがツォッポを慕っている』っていうのが勘違いだって気付いたからじゃ……」


 当然のように口にした答えは、しかしエスラゴに更なる推考・新たな疑問を呼び起こす。


 ――でもそういえば、どうしてあの時キーラは誤解に気付いたのだろう?

「それはエスラゴさんとヴラミルさんがお互いをすっごく想い合っていて、だからツォッポさんと何か間違いがあるわけないって分かったからですよ」


 口には出していないはずの問いに、答えるキーラ。覚えたての心理魔法を読心に応用して見せた彼女だが、エスラゴにとって重要なのはその返答の内容だった。

 つまりキーラという第三者視点から見たエスラゴとヴラミルは、ツォッポという他者には介入の余地がないほど親密な関係で、しかもそれは決してエスラゴからの一方通行なんかじゃなくって……

 けれどその全てをエスラゴが理解し終えるより前に、軽快なステップで一歩退いたキーラは左手の銀杖に呪言を囁く。

 同時に悪戯気な微笑を湛えた顔をエスラゴとヴラミルに向け、一礼。


「それでは、失礼いたします」

「え、ええぇぇ!?」


 エスラゴの悲鳴にも似た声が響き渡ったその時には、既にキーラの姿は疑似空間から消えていて。よって後に残ったのは、キーラが明かした事実のせいでヴラミルをまともに見れないエスラゴと、『キーラに耳元で囁かれたせいで顔を赤らめているエスラゴ』の様子に首を傾げるヴラミル、そして相も変わらずに立っている一本の『林檎』の木だけだった。


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