13
「生まれた世界に戻り、そこで普通の生活を手に入れる……それがツォッポ様の目指す幸せだとすれば、召喚された世界の人間であるあなたが彼を追いかけることは、彼の邪魔にしかならないのでは?」
「ええ、そうかもしれません」
明確な悪意が含まれたヴラミルの問い掛けに、意外にもあっさりと頷くキーラ。
「うちの王女様から、時空跳躍を行うときのあの人の様子は聞きました。多分あの人はあなたの仰ったようなことを考えて、それでこっそり召喚前の世界へと行こうとしたんだと思います」
「そんな彼の意向を無視して、それでもあなたは彼を追うのですか?」
「いいえ」
怪訝気、という感情を珍しく表したヴラミルに、キーラは首を横に振る。
「それだから、です」
そう言い切ったキーラの態度は、見ようによっては傲慢そのもの。けれどそんな批判など取りつく隙も見出せないほど、キーラは真っ直ぐ前を見つめる。
毅然、などという形容は、本来キーラには似合わない。けれど今、彼女の双眸は、ヴラミルの眼差しを正面から受け止め見つめ返している。それを可能にしているのは、経験に裏付けされた自負。キーラはツォッポのことを、誰よりも理解している――おそらくは、ツォッポ自身などよりもずっと深く。
「追い駆けて、連れ戻さなくてはいけないんです――誰かが」
「誰か? あなたが、ではなく」
「ええ、残念ながら。今はまだ、それが私でなければいけないという状況には至れていません」
少し悔しげに、何かを羨むように。しかしそんな言葉にあってさえ、キーラの確信は揺るがない。
「彼の唯一にも成れていないあなたに、彼を引き戻す権利があると?」
「逆に、あの人に権利がないんです。慕い焦がれる多くの者たちを放り出して、勝手に他の世界へと逃げ出そうとするなんて……私は絶対に認めないし、それはきっと他の皆も同じです。だから、私は許しません。彼の選択を拒否して見せます。どうせ今回もあの人は、一人っきりでウジウジ悩んで暴走気味に決断して、しかもその決めたことについてもグダグダ後悔しているに決まっていますから――だからそんなこと全部ひっくり返して、首根っこ掴んで引きずり帰ります」
想い人に向けたものとは思えないほど辛辣な言葉。けれどもそれを述べる少女の瞳には微塵のブレもなく。彼女にズルズル引きずられていくツォッポを想像したエスラゴは、妙に似合っているその役回りにこみ上げた笑いを慌てて抑える。
「首根っこを掴んで、無理やりにでも連れて帰る……」
けれどヴラミルにはその行為を理解できないという様子で、眉を深く顰めて問う。
「そうして彼の意志を無視することが、本当に正しいとお思いなのですか」
「正しいかどうかなんて知りません。いいえ、たとえ間違っていても、それでも私はあの人が欲しい。この私の意志が、彼の意志と両立しないのだとすれば、どちらかが折れるまでぶつかるより他に方法はありません」
そして少なくとも、私は簡単に折れるつもりはありません、と宣言するキーラに、それはそうだと頷くエスラゴ。
「というかむしろ、攻撃魔法を使ってでも相手をへし折る気満々だったもんねー……さっきとか」
「え、あ、いえ、それは……」
からかいと文句を折り混ぜにしたエスラゴの言葉に、途端に顔を紅潮させたキーラがしどろもどろに弁解する。
「だって、ツォッポさんを追い駆けてきたはずなのに、女の人だけが二人もいたので……それでツォッポさんのいた跡も確かに在って。だからついさっきまで、三人で此処にいたんだなー、とか、何やってたんだろー、とか考えたら、ポワャァ、って頭が熱くなっちゃって……それで、」
それですっかり誤解して、エスラゴとヴラミルに魔法で襲いかかったと。
「ホンッッッッッッッットウに、ごめんなさい!」
顔を赤くして縮こまって、一生懸命に頭を下げる。その様子は何というか……うん。正直、どうでもよくなってしまいそうなくらい可愛い。彼女にそんな意図がないことを承知しつつも、ズルいなーとか考えちゃうくらい。
とはいえキーラの暴走で、直接に傷を負ったのはエスラゴではなくヴラミルだ。どうする、とエスラゴに視線を投げかけられ、躊躇いと共に眼差しを彷徨わせた彼女は、
「姫様が、よろしいならば……」
と迷いを含みつつ答える。
「よかった――でも、本当にいいの?」
「はい」
ほっとしつつも重ねた疑問に、今度ははっきりと頷くエスラゴ。
「あの炎槍を捌けなかったのは、私自身の未熟さ所以ですので」
「違うわよ、私を庇おうとしたからでしょ」
キーラが投擲した槍の射線をエスラゴが塞いだ瞬間のことを思い出す。硬直し、微塵も反応できなかった自身を恥じつつ、だがたとえ反応できたとしても意味はなかっただろうとも思う。
「戦闘魔法にはちょっと自信あったんだけど、技術的にも駆け引きでも完全に圧倒されちゃったし……やっぱり私って、大海を知らない間抜けな蛙なのかしら」
いくら修練を積んだつもりでも、歴史学に比べれば遥かに上達が早いように思えても、此処に二人きりでいたエスラゴには自身の魔法技術がどれほどのものか測り様がない。そして彼女が出会った他者――ツォッポとキーラは二人とも、エスラゴを簡単に圧倒できるだけの戦闘技能の持ち主で。
「エスラゴさんの魔法は、かなりいい線を行っています」
戸惑いつつのキーラの言葉が慰めにしか聞こえなくて、余計惨めになった気がしたエスラゴは彼女をギロリと睨み付ける。
「ほ、本当ですよ?」
「だってさっきの戦闘なんて、完全に大人と子供の喧嘩だったじゃない!」
「あれは……私が凄すぎるだけです!」
睨まれたキーラは言葉を詰まらせ、慌てた調子で弁明する。とはいえその明け透けな内容に、目を丸くするエスラゴ。
「此の疑似空間への侵入を果たせたことを考えれば、確かにそうかもしれません」
対してキーラが現れた上空の暗闇に目を遣ったヴラミルは、思慮の内から呟きを漏らす。
「ツォッポを追って此処に来たということですが……その時空移動は外部制御に依らない自律型魔法ですね」
「あ、はい。あのひとが世界移動を考えていることは分かっていたので、召喚魔法を参考に自分で開発したんです」
うちの王女のコネで、召喚魔法の詠唱式を見せてもらうことができたので……と何処か面白くなさそうに答えるキーラ。つい聞き流してしまうほど自然に述べられたその内容は、少しでも魔法をかじったものなら驚嘆必須の代物だった。
「それ、マジ?」
「はい、大本気かと」
エスラゴが思わず溢した声に、ヴラミルが頷く。
「魔法の統制を外部に頼っては、多元空間を移動する誰かを追い駆けるなど不可能なはずですから」
「でも異なる時空を繋ぐのって、伝承術式に従って国家規模でやる大規模儀式魔法でしょ。それを、本当に一人だけで?」
「そういった制御系統の魔法は、昔から得意なんです」
気恥ずかしげに、俯くキーラ――だがその言葉が事実なら、この気弱な少女は精鋭魔術師数百人にも匹敵する戦略兵器ということになる。
「得意って……そもそも時空移動って制御系統なの? 移動や転移の応用発展型だと思っていたんだけど」
「基本的には、それで間違っていません。ただ集団詠唱型の魔法を個人で実行する場合、個々の詠唱式よりもそれらを制御・調整する部分にコツがいるんです」
「あ、そうか。単純な複数同時詠唱じゃなくて、呪言を共鳴させることで効果を増幅させるのね」
「ええ。そうして魔力効率を高めないと、必要な霊素干渉余力を賄いきれませんから」
互いに魔法を使うもの同士、流派術式は違っても通じるものがあるようで。どこか楽しげなキーラの説明に、エスラゴも熱心に頷きを打つ。
「本当に凄いんだ、キーラって。そんな共鳴理論なんて、私じゃ全然思い付かないもん」
「いえ、私としては理論概念をもう理解しているほうが驚きです。あとはちょっと練習すれば、エスラゴさんなら実際に術式を共鳴させることも可能だと思いますよ」
「そうかしら。でもそもそもどうやれば、こんな理論を思い付けるの?」
「あれは……本当に、偶然なんです。テレコム・マギネットを構築している時に起こった混線事故で、たまたま共鳴現象が発生したので――」
恥じ入りつつも、着想のきっかけを述べるキーラ。へえ、そうなんだと彼女の説明に頷きかけたエスラゴは、ふと引っ掛かりを覚えた単語に首の動きを止める。
「その『テレコム・マギネット』って、なに?」
「ええと、telecommunication magical network(遠距離通信用魔力網)の略称で、簡単に言えば魔力メッセージを送受信するための超広域魔法結界です。狼煙や飛龍を使った伝令より早く情報をやり取りできるんじゃないかってツォッポさんが発案して、今ではこれを利用したメッセージ伝達が王国の主力通信事業になってるんです」
術式構築と起動は私が一人で担当したんですよ、と少しだけ自慢げに言うキーラ。だが彼女の言葉が示すのは、民間までをも巻き込んだ通信事情の大躍進に他ならない。彼女の魔法が国家や社会にもたらした影響を想像し、頬を強く引き攣らせたエスラゴはキーラへの認識を訂正する。
そう、彼女は決して戦略兵器などではない。
もう間違いなく完全に、国家政略上の存在だ。
「社会基盤をそれだけ弄れるインフラ級魔法能力を持っていて、なのに戦術レベルの魔法攻防でも十分すぎるほど有能って……」
溜息すら付けないほどにあきれ返ったエスラゴの、後ろに控えていたヴラミルが首を傾げる。
「ですが姫様も、本来の専門は戦闘用魔法ではないのでは?」
「へ!? いや、だってそれは――」
「そうなのですか?」
振り向いたエスラゴの上擦った声をキーラが遮って、
「ええ。もちろん攻撃や防御用の魔法も習熟されてはおりますが、姫様が最も得意としているのは心理系の魔法です」
そう答えるヴラミルの声音には、エスラゴが気付けない程度のかすかさで自慢げな響きが含まれていた。




