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 酷く、冷たい視線。首元より下の体躯を覆うは、黒味の強い紫のローブ。さらにその上に纏っている暗黒色の怨詛の念が、周囲の大気を染め上げる。圧倒的な存在感で空間そのものを縛り付け、眼差しをエスラゴたちに据えたまま、少女は静かに言葉を紡ぐ。


「泥棒猫の、においがします」


 穏やかな、けれど周囲を震わせるほどの威圧を宿した言の葉。彼女がそこに込めたのは、怒りでもなければ非難でもない。単に事実を述べただけ。ゆえに漆黒の空に浮かぶ少女は、事実から導出された己が役目を実行する。


「ヴラミル!」

「はい、姫様」


 少女が纏う黒いローブが、無いはずの風に(なび)いて揺れる。ローブに隠された小さな右手が、硬く握るは白銀の杖。その先端に、視認可能なほどの魔力が圧縮され、形質が今までとは真逆の炎へと変質する。

 エスラゴが学んだのとは異なる、全く未知の魔法体系。どことなく、ツォッポの刀に宿っていたのと似ている気もする。なんにせよ少女の唱える呪文の長さと魔力の圧縮率からして、高度で厄介なものであることに間違いはない。


「一撃目は、私が防ぎます」

「じゃあ、わたしは二撃目と三撃目ね」


 大きな跳躍で距離を取りつつ、それぞれの役割を取り決めるヴラミルとエスラゴ。少女が掲げた白銀の杖は、彼女たちへと振り下ろされる。

 鏃を模った無数の炎が降り注ぎ、しかし(くう)より生じた瓦礫によって阻まれる。召喚魔法に付随したプログラムであるヴラミルの、無から有を生む空間干渉。完全に未知の現象であるはずのそれを目の当たりにして、だが少女に動揺は生まれない。どころか即座に特性を把握し、最適な攻撃手段を選択――ヴラミルが干渉可能な最大質量によってでも防ぎきれない、巨大な炎塊を形成する。

 自身の丈の二倍はある、燃え盛る炎。それを無造作に(ほう)る少女の、瞳にあるのは殺意ではない。そもそも、殺す対象――打ち倒すべき敵であるとすら、認識されていないのだ。彼女にとってエスラゴたちは、単なる障害。定められた手順を踏んで、乗り越えていくべき課題でしかない。唐突で理不尽な攻撃以上に、格下とさえ認められていないという事実がエスラゴを激昂させる。


「ふざけない――でよね!」


 エスラゴが行使する魔法の対象は、迫り来る炎塊――の右斜め下。在する分子を凍結=固体化し、気圧差によって空気の流れに差異を生じさせる。結果、炎塊は少女とエスラゴたちを結ぶ直線から、僅かに右へずれて接地。轟音とともに地面が燃え上がるよりも前に、エスラゴは練りこめておいた魔力を氷雪に変換し、最大の出力で少女へと打ち出した。

 エスラゴの魔法は届くことなく、少女が既に放っていた豪炎によって相殺される。だがそれこそが、エスラゴの狙い。炎塊による死角から放った攻撃を防がれて、少女の顔にはじめて表情らしきものが見て取れる。


「舐めないでよ!」


 誇るように、叫ぶエスラゴ。氷雪と豪炎が拮抗し得たのはほんの一瞬に過ぎず、小さく振られた白銀の杖に氷雨はあっけなく呑み込まれる。だがその先に、エスラゴとヴラミルの姿は既に無い。拮抗した魔法によるほんの一瞬の間、それこそエスラゴが求めたものなのだから。

 少女の真後ろに位置取ったヴラミルが、空間を書き換え周囲に十五の刀剣を出現させる。

 少女の真上へと跳躍したエスラゴが、雷系の呪文を複数同時詠唱する。

 降臨した豪雷を纏いつつ、撃ち出された刃。エスラゴとヴラミルの全霊を込めた攻撃。完全な死角というベストポジションから放たれたそれは――少女が常時起動している魔力障壁の第二層であっけなく防がれた。


「う……嘘でしょ⁉」

「――姫様!」


 唖然としたエスラゴの呟きを、ヴラミルの悲鳴が遮る。一呼吸の間にも満たない、しかし戦闘中にあっては致命的な隙。それを見逃すほど優しくも愚かでもない少女は、形成した炎槍をエスラゴに向けて投擲する。


「⁉」

「……え?」


 少女の顔が戸惑いに歪み、唖然としたエスラゴの声が漏れる。その原因であるヴラミルは、二人とは対照的に平静を保持。先ほどとは逆にエスラゴを突き飛ばした彼女は、


「ご無事ですか、姫様?」


 白エプロンと黒スカートを食い破って右足脹脛を刺し貫いた炎槍に、構う素振りも見せずに言う。


「ヴラミル、足!」

「問題、ありま……、ッ!」


 そのまま平静で押し切ろうとするヴラミルを、だが彼女自身の躰が裏切る。右足に走る激痛は立ち上がろうとした彼女をよろけさせ、それを支えたエスラゴに向けて少女は切り掛かる。少女が握る白銀の杖が、氷雪を纏って薄刃を形成。エスラゴを庇おうとしたヴラミルは、逆に顔を蒼白に染めた彼女に身を挺される。近接での戦闘法を習得していないエスラゴにできるのは、ただヴラミルの前に身を晒すのみ。エスラゴを守るべきヴラミルは、力の入らぬ右足によろめき無様に地へと倒れ臥す。

 ヴラミルの眼前で、エスラゴへと振り下ろされる氷剣。だがその瞬間すらエスラゴは微塵も引く気配を見せず、ヴラミルが漏らす悲鳴さえをも切り裂いた少女の薄刃は――エスラゴの肩口ギリギリで止まる。


「――――…………」

「    ?」


 混乱、疑念、戸惑い。それを遥かに上回る、ヴラミルとの別離への恐怖。思わず目を固くつぶり、全身を竦み震わせて、それでも退くことだけはしようとしないエスラゴに、少女の視線が据えられる。

 死神の鎌よりも鋭い断絶の刃を充てたまま、エスラゴとヴラミルの間で眼差しを揺らす少女。その視線が、恐る恐る開けられたエスラゴの双眸とぶつかる。暫し瞳の中を覗き込んだかと思うと、少女は視線の焦点を不意にぶらし――


「あ、あの……ごめんなさい!」


 氷剣の魔力連結を解き、エスラゴとヴラミルに頭を下げた。


「……はぃ?」


 呼吸数回分の硬直の後に、エスラゴがようやく漏らしたのは困惑。その声に応じるようにして、炎弾・氷剣で変形した大地、炎槍に貫かれたヴラミルの右足、その血で汚れた白エプロンと黒ドレスを疑似空間が修復する。


「それって、もう敵意はないってこと?」


 正直、訳が分からない。それでも立ち上がったヴラミルに胸を撫で下ろしたエスラゴは、魔力を集約させた右手を少女に突きつけながら問う。


「はい」

「ならどうしていきなり襲いかかってきたのよ」

「それは――その、勘違いをしてしまって」

「一体何をどう勘違いすれば、初対面の人間にいきなり魔法を撃ち放つわけ?」

「だ、だって……あの人の、匂いがしたんだもの」


 ゴニョゴニョと言葉を濁し、俯く少女。儚げな顔に浮かべた恥じらいは、つい先ほどまでの彼女の暴挙を忘れさせるほど愛くるしく、問い詰めようとするエスラゴの庇護欲を掻き立てる。自らの内に生じた感情に、困惑を混乱にまで強めるエスラゴ。


「あの人とは、ツォッポ様のことでしょうか」


 彼女に代わってのヴラミルの問いに、少女は安堵と警戒の色を同時に浮かべて頷いた。


「やっぱり、彼はここに――」

「ええ、先ほどまではいらっしゃいました」


 ツォッポのことを、何故か尊敬語で述べるヴラミル。彼女の言葉がツォッポへ敬意を表明するたびに、少女の肩がピクリと震える。ヴラミルの意図は分からないが、彼女を見つめる少女の瞳に宿っている光の意味はエスラゴも分かる。ついでにそこから襲撃の理由もだいたい理解できてしまう――彼女が抱いているのと全く同じ感情を、きっと自分はエスラゴにいつも向けているはずだから。

 つまり彼女はツォッポが救ったという世界に住む人間で、


「恋慕した彼を追い駆けて辿り着いた疑似空間に、何故か見知らぬ女性が二人もいて。それでつい、カッとなっちゃったってわけね」

「な、なんで分かったんですか⁉」


 ため息交じりに言ったエスラゴに、少女が驚愕。見るものによっては馬鹿らしいとしか映らないだろう理由だが、エスラゴは彼女を笑えない。ヴラミルの為ならたとえ世界を敵に回しても構わないと、考えているのは他ならぬエスラゴ自身なのだから。


「強いて言うなら女の勘、かしら」


 少女の疑問を、本音によってはぐらかし。改めて彼女を見遣ったエスラゴは、握られた白銀色の杖で目を止める。少女には似合わぬ大振りのそれは由緒有り気な代物で。瑕だらけながら滑らかな表面が、大切に扱われていることを教える。さらにその奥から感じられる、幾重にも織り重ねられた魔術式。魔力付与の方式はヴラミルから教わったのとは異なって、あのツォッポが腰に下げていた大刀と同質のものだ。

 元勇者と同質の装備を持ち、しかも彼に思いを寄せている――その二つから推測したことに、ギクリと身を強張らせるエスラゴ。先ほどまでより幾分か固い動作で少女を見遣り、


「もしかしてあなた……ツォッポの言っていた王女さん?」

「! いいえ、違います!」


 恐る恐るの質問に、少女は猛然と首を振る。そこまで勢いよく否定しなくてもと思いつつ、自身の推測が外れたことにエスラゴは胸を撫で下ろす。


「弁当を食べてしまった後ろめたさは、感じずに済みそうですね」

「ええ、安心したわ――って、ヴラミル!」


 心中を見事なまでに言い当てられ、思わず顔を赤くする。コホンと小さな咳払いで話を元に戻そうとするが、


「弁当って、どういうことですか?」


 今度は、少女が真剣な表情で問う。


「え、いや、別に大したことじゃないのよ」

「というと、具体的にはどういう?」

「それは、まぁ、置いておいて――」

「ど・う・い・う、ことですか⁉」


 エスラゴの真正面から、ズズイと身を乗り出す少女。顔に浮かんだ微笑みは淑やかなものであるはずなのに、逆に迫力を増している。今の彼女はある意味で、氷剣・炎弾を放っていた先ほど以上に恐ろしく、ゆえにエスラゴは、


「ツォッポがナップザックに入れていた重箱なんだけど……」


 と、洗いざらい全てを白状した。


「そう、ですか。あの王女さまったら、ツォッポさんにお弁当を……抜け駆け、ですね」


 静かにそう言って、口元を隠して小さく笑う少女。決して目は笑っていないその妖艶な雰囲気に、呑まれかけたエスラゴはペースを取り戻すべく再度の咳払い。


「ちなみにあなたって、ツォッポとどういう関係なの?

 ――あ、これはあくまで興味本位よ、興味本位!」

「ええ、分かっています」


 向けられた少女の瞳に睨まれたと早合点し、慌てて言い訳を口にする。だが少女の視線は何故か穏やかなもので。安堵と共に抱いた困惑で首を傾げるエスラゴに、儚げに微笑みかけながら、


「あの人が、勇者だったことはご存知ですよね。

 私、彼のパーティーの魔法使いだったんです」


 当時を懐かしむように目を細めた少女は、自らをキーラと名乗った。


 初めて、ツォッポと会ったときのこと。道中での、彼との様々な諍い。他の仲間たちのことや、彼女たちに対するツォッポの態度。キーラが語るその内容に思わず聞き入ったエスラゴは、彼女がツォッポの単なる「仲間」ではないことを改めて確信する。

 少なくともキーラは友情以上の想いをツォッポに抱いていて、しかもそのことを恥じずにむしろ誇っている。彼女の在り様がエスラゴには眩しく羨ましくて、それが自分たちを魔法で襲った理由であると承知の上で、自然と顔を綻ばせる。

 話を終えたキーラは、少し顔を赤らめつつも改めてエスラゴたちに向き直り、


「それでそちらは、ヴラミルさんにヒメサマさんですね」

「ええ、そう……じゃないから!」


 淑やかな笑みにつられてうっかり頷きかけたエスラゴが、それを慌てて否定する。


「私はエスラゴよ。生まれた世界じゃ、王族とかいうやつだったらしくって」

「ああ、それで『姫様』」


 ポンッと手を打ったキーラは、次いでエスラゴとヴラミルを覗き見るように交互に目を遣り、何を想像したものか顔を更に赤らめる。


「ええと……それでツォッポさんは、どうしてここに?」


 小さく首を傾げながらのその問いは、何かを誤魔化そうとしているようにも見えた。


「偶然迷い込んだって言ってたわ……迷ったっていう点に関しては、本人は否定していたけど」


 苦笑交じりのエスラゴの言に、あの人らしいです、と首肯するキーラ。そうなの? とエスラゴに尋ねられ、ええ、と迷わずに頷く。


「負けず嫌いで、変なところで抜けている人ですから」

「……なるほど」


 キーラの評は、ツォッポの要点を見事射抜いたもので。彼女に同意したエスラゴの、後ろで控えていたヴラミルが二人に口を挟む。


「それではキーラさんは、ツォッポ様を追ってここに?」

「え、ええ」


 ツォッポに付与される敬語にやはりピクリと反応しつつ、ヴラミルに目を向け頷くキーラ。その視線はエスラゴに対するよりも慎重で、戸惑いの中に混濁された警戒と敵意がエスラゴにも分かる。


「ですがツォッポ様は、本来いらっしゃった世界への帰還を目指しておられました」


 一方のヴラミルは、いつも通り抑揚の無い平坦な口調。だがそこに潜ませたキーラへの当て付けを読み取って、エスラゴは目を丸くする。先ほどからツォッポを「様」付けで呼んでいるのも、彼に思いを寄せているキーラへの嫌がらせなのだろう。


「生まれた世界に戻り、そこで普通の生活を手に入れる……それがツォッポ様の目指す幸せだとすれば、召喚された世界の人間であるあなたが彼を追いかけることは、彼の邪魔にしかならないのでは?」


 今度は当て付けに収まらない、あからさまな批判。それをヴラミルは、平然と口にする。これはきっと、先ほど魔法で攻撃されたことに対する意趣返し――あの炎槍での一撃を、だいぶ根に持っているのだろう。けれどキーラに真っ直ぐな視線を向ける彼女には、それを表す素振りなど微塵も見当たらない。毅然とする必要性すら感じさせない堂々たる態度に暫し見惚れたエスラゴは、ハッと我を取り戻してブルブルと頭を振るう。


「ええ、そうかもしれません」


 明確な悪意が含まれたヴラミルの問い掛けに、キーラは意外にもあっさりと頷いた。

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