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「あなたも食べる?」


 そう言ったエスラゴが懐から、先ほどヴラミルが食べたのと同じ紅い果実を三つ取り出す。もちろん齧りかけではないそれに、何故か首を傾げるツォッポ。


「……それは」

「林檎よ、知らないの?」

「いやリンゴは知っているが」


 どうやら彼の世界にもこの紅い実はあったようだ。


「なんで、リンゴが」

「そこに林檎の木があるからでしょ。時々成るのよ」

「リンゴの木――これが?」


 何もない疑似空間に、ただ一本立っている木。それを示されたツォッポは、訝しげに目を顰める。


「これは……違うだろう」

「どうして?」

「だって葉の形が――いや、この世界だとこうなのか?

 ちなみにエスラゴは、なんでこれがリンゴの木だと?」

「だって紅い実っていったら林檎で、それが成るんだからこれは林檎の木でしょ」


 生じた動揺は噯にも出さず、エスラゴは紅い実を、食べないの? と再度勧める。


「やめておくよ」


 ここがエデンで、お前がヘビのような気がしてきたから、と、ツォッポは彼女には理解できないことを呟いた。


「ふーん、まあいいけど。お腹すかないの?」

「そうだな、俺も飯にするか」


 ほんの少しの思案の後、降ろしてあったナップザックから箱を取り出すツォッポ。


「なにそれ?」

「弁当……いや、この場合は重箱かな」


 ちょっと量が多いからお前らも食べるか、と軽い口調で誘われて、頷くエスラゴ。


「なら、ヴラミルも」

「ですが姫様……いえ、分かりました」


 対してヴラミルは珍しく、躊躇の様相を示した。

彼女の反応にエスラゴが抱いた違和感は、しかし開けられた箱の中身によって即座に追いやられる。


「なによ……これ⁉」

「いや、なにって弁当だが」


 ヴラミルがそこで目にしたのは、まさに芸術と呼ぶべき作品。箱で区切られた小世界に、様々なおかずが少しずつ、宝石のように敷き詰められている。

 白身魚の切り身は、表面にほんの少しだけ焦げ目の付いた絶妙の焼き加減。均等に細切りされた根菜は薄切り肉に包まれて、滲み出た肉汁の旨味を逃すことなくその身に湛えさせている。エスラゴのブロンドと同じ金色に輝いている卵焼きは、中央部が半熟状態で、口の中に広がるのは今か今かと待機中。甘く煮られた黒い豆には宝石のような艶があり、摘まめば即座にほどけそうなくらい柔らかだ。

 他にも様々な菜によって、彩られた重箱。二段目にも同様の副菜が並び、最終段である三段目に並ぶのは海苔の巻かれたおにぎり。しかも魔法効果によるものか、蓋を開けた途端に焼き物、煮物からは湯気が立ち上り、おにぎりの海苔は巻いたばかりであるかのようにパリパリだ。


「い、いただいても、よろしいのでしょうか」

「ああ、俺だけじゃ余らせちまうからな」


 思わず敬語を口走らせたエスラゴにツォッポが頷いて、ヴラミルが空間を書き換えて取り出したフォークが重箱の中身に付けられる。


「うぁ、おいしい!」

「これは、なかなか……」


 エスラゴが上げた歓声に続き、エスラゴも呻くように感想を漏らした。

 本来なら味覚機能を必要としない魔法プログラムが、おかずの味に明確な反応を示す。極めて稀有なはずのその事態に、しかしエスラゴは反応を示さない――示す余裕を持ち得ない。


「うん、おいしい!これも……熱ッ、はふほふ!」


 噛み切った断面からジワっと肉汁が広がる鳥の唐揚げ。顎に力を込めないと噛み切れないほど歯応えのある法蓮草の胡麻和え。その反対に、舌で触れただけでほどけるように崩れ、咥内を優しい甘さで満たすフワッフワの卵焼き。

 それら極上のおかずたちを次々と頬張って、更なる味のコラボレーションを求めたエスラゴはおにぎりにもかぶりつく。パリッとした海苔から来る磯の薫りと、僅かに振られた塩でより引き立てられた炊き立て新米の甘み。それらをより存分に味わおうと口を動かしたエスラゴは、


「ゥヴッ!」


 喉を詰まらせた。


「ヴ! ンゥウゥウ――――」

「……姫様、がっつき過ぎです」

「ヴッウ、ヴウヴィゥうンヴン!」

「いえ、そのような言い訳をされましても……」

「ああっと、お茶お茶――って、なんて言っているか分かるのか?」


 重箱と同じくナップザックから取り出した水筒の蓋を差し出したツォッポが目を丸くし、


「んぐ、ングングググ――ぅ熱ッィ!」


 湯気の出る熱いお茶を一息で飲み干したエスラゴが悲鳴を上げる。


「あ、悪ィ」

「べ、別にいいわよ」


 詰まらせたものを何とか呑みこんだエスラゴは、フウフウと息で覚ましながら残ったお茶を啜り、次いで再びおかずに向かう。もちろん今度は同じ愚を犯すことがないように、しっかり噛んで味わいつつ、


「それにしても……モグムグモグ、ゴクリ、ムシャモグ……悔しいけど、本当においしいわね。勇者になると、料理まで出来るようになるものなの?」

「ん? ああ、いや、これは俺がつくったんじゃないぞ」

「え、違うの?」


 ツォッポが持ってきたのだから、当然つくったのもツォッポだと思っていたのだが。ならば既製品なのかという考えを、エスラゴはピーマンの肉詰めと共に呑み下す。おかずの大きさや、配置具合。その他ちょっとしたところから垣間見れる優しさは、このお弁当がツォッポの為に手作りされたものであることを示している。


「じゃあ――ング、モグモグモグ、ゴックン――誰がつくったの?」


 フォークと口の動きは休めぬままのエスラゴの問いに、


「俺を召喚した世界にある国の王女さんだ」

「へー、そうなん、だ、って……おうじょ、さん?」


 何の気負いもなくツォッポは答え、その言葉の意味を認識したエスラゴがピシリと全身を硬直させる。


「ああ。一時は国の全てが魔王領になって亡命を強いられてたんだが、無事に国も再建されてな。今は復興計画とかで忙しいはずなのに、元の世界に戻るって言ったらわざわざつくって持たせてくれた」

「そんな人が、自分で料理を?」

「そういえば以前は肉を焼こうとして火炎呪文で厨房を破壊するようなトンデモ料理人だったんだが、そのことを俺がからかったのが頭にきたらしくて、頑張って練習したって言ってたな」

「へ、へー。ちなみにこの重箱はその王女さまが直接?」

「ああ。無理する必要なんてないのに、あの時からかわれたのが本当に悔しかったんだろうな。そういえば顔もいつもより紅かった気がしたけど、やっぱり寝不足だったのかな」


 つまりその王女さんはこの元勇者にゴニョゴニョで、このお弁当は王女さんの想いがいっぱい込められた代物だと――

 否定してくれることを望みつつ視線を向けた先のヴラミルは、フルフルと無慈悲に首を振る。姫様のご想像通りかと、だから食べるべきではないと申し上げようとしましたのに――いつも通りのはずの無表情が、何故か今は雄弁に語る。


「ご……ごちそうさま!」


 すぐに素知らぬ顔に戻っていつも通りを装うヴラミルと、おそらくは何も分かっていないだろうツォッポ。二人に囲まれ、そして何よりも三段の重箱弁当に気圧されて、フォークを置くエスラゴだが時既に遅し。


「おう、じゃあ俺もこれで」


 と残っていた卵焼きをツォッポが自らの口に放り、亡国の王女が心を込めたのだろう手作り弁当は見事に空っぽとなる。


「ヴゥ……」

「ん、どうした?」

「なんか自分が、人として――女として最低のことをしてしまった気がするわ」


 どんより落ち込むエスラゴだが、彼女の行動の原因が理解できないツォッポは頭に疑問符を浮かべるのみ。心配そうな顔をする彼が無性に腹立たしくなって、エスラゴは無造作無詠唱で形成した炎弾を撃ち放つ。


「おわぁ! 何しやがる、テメエ!」

「なんか、頭にきたのよ!」

「はぁ?」

「あー、もう! 何で私がこんなことでうじうじ悩まなきゃなんないわけ?」

「知るか、んなこと! つーかどこの世界でも、魔法使いってのはこんなふうに乱暴なのかよ?」


 口調でだけは慌てつつ、ツォッポは炎弾を難なく素手で打ち払う。ドッと疲れを感じたエスラゴが、溜息交じりに見上げた空――日も星も決して昇ることの無いその漆黒は、エスラゴの希望も悩みも幕無しに吸い上げてしまうような気がした。

 もちろん、それは気のせいで、いくら空を見上げても問題が解決することなどない。腹に収められた弁当は元に戻らないし、それを作った女性の思いはこの朴念仁に伝わらない。


「なんか……もうやんなっちゃった。帰ろっかな」

「だめです、姫様」

「どうして?」

「勇者様を待たなくては」

「ちぇっ!」


 投げやりに呟いた言葉をヴラミルによって咎められ、エスラゴは空から視線を戻す。二人の会話を聞いていたツォッポがきまり悪げに顔を背け、その理由を理解したエスラゴは、変なところにはよく気付く彼に思わず小さく苦笑した。


「……なんだよ?」

「べっつにー」


 惚けるエスラゴに、ツォッポが眉をしかめる。どうやら今度は、こちらが気を悪くしたものと思い込んだらしい。全く、思慮深いというべきか、気が小さいというべきか。


「なんでもないわよ、ホントに。いつまでもこんなところで無駄にダラダラしてる元勇者を、鬱陶しいなんてこれっぽっちも――」

「思ってるじゃねぇか、おもいっきり!」

「いや、だって実際、ウザいしダサいし五月蝿いし」

「んな、ぶっちゃけた⁉ つーかウザいとウルサいはともかく、俺のどこがダサいんだ?」

「何処というよりも、おそらくは存在そのものがではないかと」

「……全否定ですか」


 ふざけた口調のやりとりで陰鬱さを拭いつつ、とどめを刺したのはやはりヴラミル。項垂れて、だがすぐに起き上がるところからすると、ツォッポも彼女にだいぶ慣れてきたらしい。


「でもまあ、そうだな。此処でいつまでも愚痴愚痴悩んでいてもしょうがねぇーか」


 重箱をナップザックに仕舞い、それを肩に掛けるツォッポ。上げられた彼の視線が、光無き空の更に向こう側へと焦点を当てているのに気付き、エスラゴはツォッポに訊ねる。


「行くの?」

「ああ。じゃないと残してきた奴らにも、それにお前らにも悪いからな」

「べつに私は、気にしてないんだけどね」


 あまり似合わないニヒルな笑いに、返したのはエスラゴの本音。来るかどうかも分からない勇者をただ待つしかないない彼女たちに比べて、俺は自由に動けるのに――などという小難しいことをどうせツォッポは考えているのだろうが……


「此処で二人で勇者を待つのって、私は結構気に入ってるのよ」

「そうか――そりゃよかった」


 顔を赤くして小声で言ったエスラゴに、頷くツォッポ。その言葉がエスラゴとヴラミル、どちらに向けられたものであるのかは分からない。


「お気をつけて」

「もう迷子になんないようにねー」

「だーかーら、迷ってねぇっつーの! じゃあ、またな」


 上辺は畏まって頭を下げるヴラミルと、からかい混じりのエスラゴ。二人に軽く手を上げたツォッポは、助走も補助魔法も無しに上空へと跳躍――唐突に発生した轟音とともにその姿が掻き消えた。



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